第七十二話 メイドの不手際
「ひめちゃんったら……もうっ、かわいいなぁ。このこの~」
「わっ。ひ、引っ張らないでください……!」
ベッドの上で星宮姉妹がじゃれ合っている。
聖さんに手を引っ張られたことで倒れたひめは、抱きしめられて頭を撫でまわされていた。
「よしよし。ひめちゃって、なんだかんだ言ってお姉ちゃんのこと大好きなんでしょ~?」
「……別に、嫌いなんて言ったことはないですから」
「え、そうだっけ? じゃあ大好きってことか~。私もひめちゃんのこと好きだよ~。ぎゅーっ」
「で、でもそうやって抱きしめられるのは苦しいです……うぅ、陽平くん助けてっ」
助けを求められているけど、どうしようもなさそうだ。
聖さんの胸元に抱き寄せられているせいで、ひめの顔が埋まっている。手を出すとたぶん聖さんの触れてはいけない部分に触りそうなので、手は出せなかった。
ひめ、がんばれー。
内心でエールを送るだけに留めて、救援要請は見て見ぬふりすることを決意。
しかし、そんなひめを助けるかのように部屋の扉がノックされた。
そのおかげで、聖さんのかわいがり攻撃が一時中断となる。
「はーい。どうぞー」
聖さんが声を上げると同時、ひめが抱擁からすり抜けて俺の方に寄ってきた。そのままの勢いでしがみつくように腕をつかんでいる。
「……ふぅ」
ひめがようやく一息ついたタイミングで、部屋の扉が開く。
姿を現したのは、夕食の準備をしていたはずのメイドの芽衣さんだった。
「取り込み中のところ悪いけど、失礼するわ」
そう言いながら入室してきた彼女は、コップやティーカップが載っているトレイを持っている。それを見て、聖さんが不思議そうに声を上げた。
「あれ? 今から夕食なのに、なんで紅茶なの?」
俺も気になっていたので、聞いてくれて助かった。
このタイミングで紅茶というのも、なんだか変な気もする。
「ごめんなさい。実は夕食の準備に時間がかかっていて……一時間くらい遅れそうなの。その間に、小腹もすくだろうし紅茶でもいかがかと思って」
なるほど。現在時刻は十九時近く。
一時間遅れたところで大したことはないだろう。
「え? 芽衣ちゃんが手間取るって珍しいね~。お腹空いたのに~」
「私のミスではないけど……というのは言い訳ね。使用人として、申し訳ないわ」
「いえ、大丈夫です。一時間くらいなら問題ありません。それに芽衣さんの紅茶は美味しいので、ぜひ陽平くんにも飲んでもらいたいですし」
「……ひめお嬢様はとても優しいわ。厳しい聖お嬢様もそう思うでしょ?」
「うぐっ。べ、別に責めてるつもりはないもんっ」
「ふふ、分かってるわ。冗談よ」
と、親密そうなやり取りを交わしている間にも、芽衣さんは手際よく紅茶の準備を進めていた。室内の丸テーブルにコップを三つ並べて、ティーカップから紅茶を注ぎ、氷を加える。なるほど、アイスティーを作ってくれているのかな? 暑い季節なので、冷たい方がありがたかった。
「陽平くん、どうぞ飲んでください」
ベッドから降りたひめに手を引っ張られて、俺も立ち上がる。
ひめと同じタイミングで椅子に座り、コップに手をかけて飲もうとした……その時だった。
「……あ」
唐突に、芽衣さんが声を上げた。
反射的にそちらを見てみると、芽衣さんの手がひめの前にあるコップに触れて、倒している光景が見えた。
「あ」
一拍遅れて、ひめも声を上げる。その時にはもう手遅れで、コップに入っていた紅茶がひめの制服にかかってしまっていた――。
「わっ! ひめちゃん、大丈夫!?」
そこで聖さんが慌てて駆け寄ってくる。ただ、衣服にかかったのはアイスティーなので……大事に至ることはないだろう。
ただ、少し気になったことが一つ。
それは、芽衣さんがまったく慌てていないことだった。
使用人なら、もっと焦ってもいいのではないだろうか。
冷静なだけなのか。
あるいは他に理由があるのか……それが気になった――
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