第五十話 彼女が聖母と呼ばれる理由


「ふぅ……し、死ぬかと思った」


 優しくて暴力的な抱擁から解放されたおかげで、ようやく息が吸えた。

 肺に清涼な空気が広がる。息苦しさがすぐになくなってスッキリした。


「よーへー……大丈夫?」


 聖さんも悪気はまったくなかったのだろう。その証拠に、先ほどとは違って申し訳なさそうな顔で俺の背中をさすってくれている。


「友達に『男はおっぱいを触らせておけばオッケー!』って教わったから、実践してみたんだけど……ごめんね、初めてだったからちょっと力が入りすぎてたみたい」


 そのお友達の言うことは、聞かない方がいいような気が。

 いや、間違ってはいないんだけど、間違っているというか……まぁ、そのあたりはさておき。


「よーへー、まだ気分悪い? もう一回おっぱい触ったら治る?」


「もう大丈夫!」


 またあの感触に包まれたら、今度は理性がどうなるか分からない。


「そう? 遠慮しなくてもいいのになぁ」


「遠慮じゃなくて……もう元気になったからっ」


 隙あらばもう一度抱きしめようとしてくる聖さんをけん制しつつ、ひとまず状況を整理するためにも気になっていたことを問いかけることに。


「えっと、聖さんは『俺のロリコンを治すため』にこういうことをしてくれた――っていう認識で当たってる?」


 いきなり抱きしめられる理由なんて、それくらいしか思いつかない。


「うん。そうだよ~?」


「……胸を触れば治るって考えたの?」


「友達がそう言ってたから」


「なるほど」


 ごめんね、聞いてみてもちょっとよく分からないかもしれない。

 あと、聖さんの友人関係がちょっと不安になった。そのお友達、大丈夫なのだろうか……いや、聖さんは意外としっかりしているし、そんな彼女が親しくしているということは、ちゃんと信頼できる人ではあると思うのだが。


「……よーへー、どう? ロリコンは治りそう?」


 ともあれ、話をまとめると……今までの全ては、俺のためにしてくれた行動だということを、まずはしっかりと理解しておこう。


「私のおっぱいで良ければ、いくらでも触っていいからね? 少しずつでいいから、ロリコンを治そ? ひめちゃんはたしかに可愛いけど、そういう目で見るのはあんまり良くないと思うから」


 手段が正しいとは言い難い。

 でも、彼女の思いが献身的な優しさであることは間違いない。


『――学園の聖母、か』


 唐突に、聖さんが影でそう呼ばれていることを思い出した。

 クラスメイトが彼女の話題を出すと、決まってその異名を口にしていた気がする。


 彼女がそう呼ばれているのは、見た目がおっとりしていて包容力を感じることと、名前の語呂があっているからだろうなぁ……と、思っていたのだが。


 聖さんの性格は――想像以上に優しい。

 それもまた、聖母と呼ばれる理由だと気付いた。


 しかも、無責任な優しさではない。その場しのぎで適当に相手に同調したり、肯定して気分を乗せることだけが目的の上辺じゃない。


 相手のことをちゃんと思いやる、温かさを感じた。

 今だってそうだ。俺の悪い点を怒っているものの、威圧したり嫌悪したりせず、向き合って正しい道に導こうとしているように見える。


 まぁ……悪い点というよりは、勘違いなんだけど。

 とにかく、聖さんが俺のためを思ってくれていることは間違いなかった。


 ひめが心から信頼している理由が分かった気がする。

 聖さんは、とても優しくて素敵な人だった――。

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