第11.5話【クリストファー・レヴァイン公爵】★

この回のみの表紙

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 コツコツと鳴り響く大理石の床に響く靴音。

 至る所に華美な装飾が施された豪華絢爛なこの屋敷で開かれている夜会は、人間のためのものではない。今夜の催しの一つだろう、美しい音楽が流れ続ける中には笑い声と共に悲鳴も混じっている。

 ”狩り”の会場の熱気から逃れるように静かな廊下を歩く主催者を追いかける足音がもう一つ。


「クリストファー・レヴァイン公爵」


 全身黒い紳士服に身を包んだ彼は、美しい金髪をなびかせ呼ばれて振り返ると、焦げ茶色の髪をリボンで一つに結んだ胡散臭い笑顔の若い紳士がこちらにやって来るところだった。


「これはこれは……アレクシス・カークランド殿。いや、吸血鬼研究室・室長とお呼びすべきですかな?」

「ははは、貴方様のおかげでいくつかの研究は上手くいっておりますよ」


 アレクシスは目の前の全身黒い紳士服に身を包む男性をじっと見つめた。

 

 クリストファー・レヴァイン公爵。

 いにしえの吸血鬼と呼ばれている彼は、赤い瞳と右眼の泣き黒子ぼくろ、美しい金髪を後ろに流した穏やかな雰囲気の彫刻のように美しい男性だった。

 吸血鬼らしい青白い肌に男女共に惹きつける色香を漂わせるような存在は、この貴族社会にもそういないだろう。


 アレクシスが最も研究したい吸血鬼であるが、彼は紳士的な雰囲気とは裏腹にとても恐ろしい男だった。

 ヘタしたらアレクシスが無残に吸い尽くされるか、運が良ければ同胞に変えてくれるか……。

 それを運が良いと考えるアレクシスも大概おかしなものだが、心から望んでいるのだから皆彼を変人と思うだろう。

 

 観察していたのはたった数秒ほどだが長い時間に感じられたので、こほん、と咳をひとつしてから居ずまいを整える。

 

「本日、ようやく貴方様の望む物が手に入りました」


 そう言ってアレクシスは懐から二本の瓶を取り出した。


「エヴァ・ブラックフォード伯爵令嬢と、彼女の騎士であるダンピールの血です」


 クリストファーはそれをにこやかに受け取ると、赤い瞳でじっと瓶を見つめた。


「……ようやく……これだけ、ですか…………」

「っ!」


 瞬間、アレクシスの背筋がゾクッと凍りつき、珍しく冷や汗を流しながら血の気が失せた顔で後ずさる。


「アレクシス室長殿。貴方の役目はなんでしたか?」

「……っ、あのダンピールの……記憶を戻さないように……二人を引き離すこと、でした」


 震える声で恐る恐る口にする真実。アレクシスは目の前の美しい男が恐ろしくて堪らなかった。

 自分を見る目が、赤く輝いているから――。

 同時に湧き上がる歓喜に、吸血鬼にしてほしいという願望を口にしたくなったが耐える。彼の機嫌を損ねると一瞬でミイラにするなど造作もないのだ。


 クリストファーは変わらず穏やかな声で続ける。


「それで? 彼は記憶を取り戻したんですか?」

「……既に、少しですが過去を思い出していたようです……エヴァ嬢に似た瞳と赤い髪の吸血鬼ハンターの少女の話をしていました」

「ふーん。で、他には?」

「他には……何も、それ以上は覚えていない、と……」

「……なるほどね……」


 楽し気に笑ったあと、クリストファーはアレクシスの喉元に触れた。

 ビクッとなり更に青ざめるアレクシスは、まるで蛇に睨まれた蛙のように一切の身動きがとれなくなった。

 

「私はね……日光耐性と理性のある吸血鬼を作りたいのですよ。私や彼のような・・・・・・”完璧なダンピール”を、人工的に。祭りの日のような失敗作ではなくてね」


 その一言一言が恐ろしい響きに聞こえ、アレクシスは大きく唾を飲みこんだ。


 数ヶ月前、王都で開催された夏の豊穣を予祝する祭りで、まだ太陽が沈んでいないのにも関わらず突如吸血鬼が城下町で人を襲った事件。

 王都には理性が無くなるような吸血鬼、所謂”野良吸血鬼”が入り込むことが出来ないよう結界が張ってあるはずだった。にも関わらず内部で突如理性を無くした吸血鬼が生まれるのは不自然なことだった。

 

 通常、吸血鬼が人間を理性のある同胞に変異させる場合、血を与えるときに魔法を使うかどうかで決まり変異には数日を要する。その日は昼間に広場の中央で大道芸人が芸を披露していて、その後すぐ雨が降った時には彼らは理性の無い吸血鬼へと変異したのだ。

 そもそも理性を失うのにも数日、数年と段階があるものだが、この実験ではどうやらその段階を飛び越えた化物になってしまったらしい。


 クリストファーはまるで悪いことをした子供に対し、やれやれ困ったな、というかのような優し気な顔で少しだけ指先の力を加える。

  

「この計画を誰にも邪魔されたくないのですよ。彼の記憶が無い今だからこそチャンスだったというのに……貴方ときたら……」

「ぐっ……も、申し訳……ありませんっ……!」

 

 震える彼に小さく笑うと、「まぁいいでしょう」と言って手を離し、瓶を懐にしまう。アレクシスはゲホゲホと咳き込み必死に息を整えた。


「貴方はこれだけは成功しましたからね。引き離す作戦は恐らくもう無意味でしょうが、次は彼女・・がやってくれると言うので任せます」

「……彼女……?」

「ええ。私の可愛い可愛いデザートですよ」


 そう、クリストファーにとって、いや全ての吸血鬼にとって、どんなに極上の血に巡り合えたとしてもエヴァを前にすれば途端にメインディッシュではなくなってしまう。

 クリストファーは祭りの日に偶然会ったエヴァのことを思い出していた。


 雨の匂いの中に漂う香しい蜜の香り。

 一目で分かった。彼女がブラックフォードの娘だと。


 クリストファーのような高位貴族でかつダンピールではないそこらの吸血鬼であれば、皆すぐに理性を無くしていただろう。それほどまでに魅惑的な香りだった。

 あの血はある意味で支配する血だ。抗えない力と等しい。


「エヴァ嬢に似た瞳を持つ赤い髪の吸血鬼ハンター……か……」


 昔どこかで見た少女の容姿や職業も確か――と考えたところでニヤリとする。

 窓の外に浮かぶ金色に輝く月を見上げると、独り言のように呟いた。

 


 

「……――――次の王は、この私です」



 

 屋敷に響く美しい音楽はまだ止まない。

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