第7話【婚約者候補?アレクシス】2

 ブラックフォード家の広い敷地内にあるガーデンへとアレクシスを案内する。ここはエヴァがいつもお昼に使うガゼボがある場所だった。

 もちろん後ろにはクライム、少し離れたところにも複数の騎士と侍女も数人ついてきていた。


「へ~。良いところだね」

「……ありがとうごございます」


 咲き誇る薔薇の他にも色んな花々があり、吸血鬼のことばかり喋っていたアレクシスも目を奪われてくれてひとまず安心した。

 そのうちのひとつ、赤い薔薇が咲いている場所で一旦歩みを止めると、エヴァはアレクシスを振り返った。


「あの……父、エイブラハムからの手紙を拝読しても宜しいでしょうか?」

「ああ、執事には見せたけど君に渡すのを忘れていたよ。どうぞ」


 差し出された簡素な手紙を受け取ると、そこにはブラックフォードの家紋が押された封蝋、中には見知った父の字が並んでいた。


『拝啓 アレクシス・カークランド殿

 

 我が娘エヴァに興味を持ってくれたことにまずは感謝を。

 貴殿が娘の血の記憶について研究所の魔法で調べてくれるのは大いに賛成している。なんせ最後に調べたのは百年以上前と聞くからな。新たな発見があるかもしれん。

 これで娘が吸血鬼の呪縛から解放されるならいい。

 だが物理的に調べるのは絶対に許さん。痛いことも無しだ。

 

 それから求婚の許可はするが、娘が貴殿に好意を持つまでは絶対に触れるな。研究所に連れて行くのも必ず娘の同意を得ること。

 娘は人見知りをするだろうから、絶対に貴殿の吸血鬼研究の欲を優先しないように。口説くなら紳士的に心掛けるように。 敬具』


 内容に唖然とする。

 アレクシスがこういう性格だと分かった上でかなり注意をしているようだが……。


(結局お父様の心配どおりになっているわね……)


 一応彼なりにエヴァを口説いているつもりらしいが、全く心がこもっていない。

 ガーデンに着いてからの最初の会話も吸血鬼の話ばかりで興味深かったものの、結果的にかなり気が滅入った。



 


『エヴァ嬢、君は吸血鬼についてどの程度知っているんだい?』

『えっと……基本的なことしか……』


 そう言うと彼はニッコリ笑って上機嫌になる。まるで自分の知識をひけらかすのが好きな子供みたいだ。


『なるほど。じゃあ吸血鬼は始祖から生まれたこと、吸血鬼同士でも血を吸えることは?』

『……い、いえ……』


 それらしい話しは先日したが、この変人にこれ以上詰め寄られても困るので一応黙っておこう。

 

『今はもういないんだけど遥か昔に吸血鬼の始祖がいてね、人間を吸血鬼に変えたことで同胞を増やしていったらしい。そうして増えた吸血鬼達と人間との間に大戦が始まった。けれどそうしたら餌の人間が減ってしまうからもっと賢く支配しようと考えた。それが今でも続く共存協定の原形の始まりだね』

 

 アレクシスの話は止まらない。

 

『共存協定は各国によって内容が違うんだ。我が国は知ってのとおり人間を襲わない代わりに定期的に血液の提供だね。そしてそれに違反した吸血鬼は討伐対象になったり、人間は非公式で吸血鬼に血液を売った場合も違法になる』


 吸血鬼の歴史は小さい頃から習うので基本的な知識はある。

 例えば野良吸血鬼は国の管理外、共存協定に反対している吸血鬼、理性を失ってしまった者も含まれているので討伐対象になるのだ。

 

 けれど彼はさすが専門的な分野だけあって詳しいことまで知っていた。


『それから吸血鬼の魔法については知っているかい?』

『人間の魔法とは違うのですか?』

『もちろんさ』


 アレクシスは笑いながら右手を出しパッと小さなつむじ風を呼び起こした。外が暑かったのでとても涼しい。


『人間の魔法は自然の力を借りるんだよ。君の父君であるブラックフォード伯爵もそうだろう? 君のためにこの屋敷全体に聖なる結界を常に貼り続けている』

『……はい』

『吸血鬼の魔法は血を操る魔法なんだ。見た事はないけれど、攻撃だけでなく人間を吸血鬼に変化させる時にも使うらしい。自らの血を与える時に魔法を使うか使わないかで理性のある吸血鬼が決まる。そして人間も吸血鬼も魔法を扱えるかどうかは血統によって決まるんだ』


 父が魔法を使えることは知っていたが、男子だけに引き継がれるのか何故かエヴァは使えなかった。

 吸血鬼に変化させる方法は初耳だ。

 

『何故そんなにお詳しいのですか?』

『ああ、吸血鬼にも貴族がいるんだよ。始祖吸血鬼に近い血を持つ強い貴族がね。彼と知り合いなんだ』

 

 なんだか少しゾクっとした。始祖吸血鬼に近い血を持つ強い貴族とは、まるで吸血鬼の王そのものではないか。

 でもそこで疑問が生まれる。

 

『吸血鬼の始祖は……何故いないんですか?』

『さぁ、かなり昔のことだからね。今度また貴族達に聞いてみるけど、どうせ教えてくれないだろうなぁ。それより吸血鬼同士で吸血が可能なのに何故人の血を必要とすると思う!?』

『え……と……わかりません』


 グロテスクな話になってきたな……嫌だな……と思って引くが、アレクシスは全く気にしない。

 クライムのことも多少理解出来ると思って積極的に耳を傾けてきたが、彼から直接聞くならまだしもアレクシスから聞くのは怖かった。


『単純に味と栄養さ! 人間の血は味も栄養も抜群なのに対し吸血鬼の血は栄養も足りないからかなりの量が必要になる』

『そ、そうなんですか……』 


 何故そんなにウキウキ話せるのかエヴァには全く理解出来なかったが、そうこう話している内にこうして今に至る。



 

 美しい赤い薔薇の香りを楽しんでいるアレクシスを横目に、父エイブラハムはエヴァのこの血の呪縛を彼に解かせようと考えていると手紙から知った。

 確かに魔法研究をしている彼なら可能かもしれない。でも話してみると結構マッドサイエンティストというか、エヴァのことを実験動物か何かのように見ている節があったり、自分の話ばかりで信頼に値しない。


(結局彼は本当に私の血にしか興味がないんだわ。結婚はそのための手段かしら……)


 はぁ……とため息をつきながら目の前の美しい薔薇に手を伸ばすと、思いの外尖っていた棘で指を切ってしまった。


「痛っ」

「! 大丈夫かい?」

「え、えぇ……」

 

 意外にも怪我の心配をしてくれたらしい。後ろに控えるクライムも身を乗り出そうとしていた。

 

「ああ……貴重な血が……勿体ない」


 そう言いながら舌なめずりをするアレクシスにエヴァはギョッとした。

 まるで吸血鬼みたいではないか。


 取り出したハンカチでそっと血を拭ってくれたのはいいが、そのハンカチを恍惚と眺める様子に更にゾッとする。

 

「何故吸血鬼たちは貴女の血に誘われるのだろうね? この美しい薔薇に群がる虫のように」


 薔薇の周りに舞う蝶々やミツバチを見つめて言う彼は、その後すぐに「今日はお開きにしよう。また後日、口説きに来るよ」と帰って行った。

 

 

 

◆ ◆ ◆




「疲れたわ……」

 

 アレクシスが帰ってからドッと疲れたエヴァはクライムに部屋まで送ってもらい、力なく長椅子にもたれかかる。

 

「お嬢様、傷の手当てを致しましょう。アルコールで消毒しなければ」

「……そうね」


 部屋にある救急箱を持っていたクライムはエヴァの足元にかしずき手をそっと持ち上げる。


「私がいながらお嬢様に傷を負わせてしまうなど……申し訳ありません」


 眉間にシワを寄せ悔しそうな顔で傷を見つめるクライムに、思わずくす、と笑みがもれる。


「これくらい気にしないで、大した傷じゃないわ。……あ……飲む?」


 血はもう止まっているが深く刺さった右手の人差し指をクライムの目の前に差し出す。

 すると彼は一瞬戸惑い、すぐに瞳がほんのり赤く光った。

 

 薄い唇がゆっくりと開かれ小さな人差し指が吸い込まれていく。

 くちゅ、という音と共に温かい舌で舐められ、エヴァの身体がゾクゾクと悦びで震えた。


 ちゅ、ちゅ、と小さく吸う音が静かな室内に響く。


「んっ……」


 なんだかとても恥ずかしいことをしているような気がして、もじもじと身体をよじりながら顔を背ける。

 しかし指はすぐに解放された。


「も、もういいの……?」


 クライムはふぅ……と息を整えた後、何事もなかったかのようにアルコールで濡らした清潔な布でエヴァの指を拭い、包帯を丁寧に巻いていった。


「昨夜頂いたので……これ以上吸えばお嬢様のお身体に不調をきたします」

 

「……気にしなくていいのに」

 

(……でも……私の身体のことを気遣ってくれて嬉しい……)


 頬を赤く染めて照れるエヴァに、クライムは困ったような笑みを向けた。


「どうか私のために無茶はしないでください。それと……あの男には十分お気をつけください」

「アレクシス様のこと?」

「はい。…………それでは私はこれで失礼します」


 パタン、と閉まる扉を見ながら、ひょっとして嫉妬してくれた? と考えた。


「いえ……そんなわけないわ…………」


(なんだか私ばかり意識して……悔しい)

 

 エヴァはぼんやりしながら無意識に、クライムが巻いてくれた包帯を愛おしそうに撫でていた。

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