「へろへろに酔うと甘えたくなるよね」























 デラウェアも食べて、酒も飲んだし、後はお風呂に入るだけ。


「結花ちゃーん、一緒にお風呂入ろ?」

「いいよー」


 だから結花ちゃんも誘って、ふたりでゆったり湯船に浸かることにした。


 友達同士だから変な恥じらいもなく服を脱ぎ捨てて、結花ちゃんは文句も言わず私の残骸を拾ってはカゴに入れ、


「あきちゃんの服も用意しとくね」


 ついでだからという理由で、タオルや下着まで用意してくれる。まじで神。


 こういう優しさに甘えちゃうから、私は全然恋人が欲しいと思えない。そこら辺の男と付き合うより、結花ちゃんと暮らしていた方が苦労も少なく平和で楽で、何よりも幸せなのだ。


 服を用意してもらってる間に、先にシャワーを済ませておいて、結花ちゃんが来る頃には髪を洗い終えて湯船に足をつける。


 ちょうど良いタイミングでやってきた彼女が今度は髪と頭を洗いだし、一緒にお風呂を満喫する。…これが毎晩の流れである。

 

「はぁ〜……きもちいいねぇ」


 湯船が大好きな結花ちゃんは、浴槽の縁に腕と頬を預けてすっかりまったり気分で感動の声を漏らした。


「今度さ、温泉でも行こうよ。結花ちゃん連休の時に」

「行く行く。私お金出すよ」

「だーめ。そういうとこ、ほんと良くないよ?金に物言わせる感じ。変なやつに引っかかっちゃうよ」

「あきちゃんは変なやつじゃないもん」

「いやぁ……私も大概…」


 変なやつだと思うけどね。


 と、言っても優しい彼女はきっと否定するから言わない。


 少なくとも23歳に自分のパンツを用意してもらって風呂に入る26歳は、まともな人間じゃないというのに。


 まぁ、そんなんどうだっていい。今の問題は、結花ちゃんが私以外にもホイホイお金を出してしまう財布のヒモの緩さである。


「もっとさー、大事にしな?金も自分も」

「うーん……だけど、私にはそれしか価値がないから…」

「急に激重なこと言うじゃん」

「へへ、ごめん」


 そう言ってヘラリと笑った結花ちゃんの過去を、私はよく知らない。


 もしかしたらやべえ男に引っかかったのかもしれないし、家庭環境がそうさせたのかもしれない。…悲しいことに聞いてもはぐらかされるから、知る術がないのだ。


「とりま……ちゅーしとく?」

「キモっ。しないよ」

「おい。キモいってなに、泣くぞ」


 本気でするつもりはないものの、茶化して元気づけようとしたら、笑いながら悪態をつかれた。


 そのおかげで暗い雰囲気は回避できたから良かったけど、微妙に気まずいような空気は流れて、ぼんやりと天井を見上げる。


 酔ってるせいか、変なことばっか言いそうで怖いな。ちょっと気を付けないと。


 気楽なこの関係を維持させるのに必要なのは、気遣いや思いやり……そして何よりも、“恋心を持たない”ことである。


 恋人になったら、いずれ終わりが来る。そんなの嫌だし、そもそも彼女をそんな目で見てないからこの関係を変えるつもりもない。


「鼻高いの……いいなぁ」


 黄昏れていた私の横顔を見て、羨む言葉を呟きながら彼女は私の鼻の頭にちょんと指を置いた。


「横顔が綺麗なの、羨ましい」

「……結花ちゃんもかわいいじゃん。鼻」

「えぇ〜、私の鼻は小さいし……ここから出てないから低いよ」


 そう言って、彼女は眉間のすぐ下辺り、私の鼻の始まりを撫でた。


 確かに、鼻はよく褒められる。自分でも気に入っているし、周りから見ても変ではないのだろうという自覚もある。


 ただ、結花ちゃんの鼻も私とは違って女の子らしい形をしていて可愛らしいと思う。そんな卑下する必要があるのか疑問なくらいに。


「かわいいよ、結花ちゃんのお鼻も」


 相手の鼻を指の甲でさすり触れば、結花ちゃんの眉が照れたように垂れ下がった。


 ついでに鼻から頬へと指を移動させて、むにっとつまむ。


「なんか、赤ちゃんみたいでかわいい」

「顔が?」

「質感が」


 もちっとしたほっぺの柔らかさに感動しつつ、ちゃっかり愛でたい気持ちを発散させるため手のひら全体を当てる。


 無意識なのか、手のひらに向かって頬を押し付けるように顔が動いていた。…その行動も、またかわいい。


 私から見て結花ちゃんは本当の妹みたいで、感覚的にはもはや家族だ。


 だから恋人とするような濃厚なキスをしたい感情にはどう頑張ってもならないが、赤ちゃんや小動物相手にする軽いキスをしたくなる思いは湧く。


 酔ってるのも相まって、余計に。


「……ちゅーしていい?」

「いいよ」

「いいんかい。そこはやだって言ってくれよ…」

「ふははは。私の心の広さをナメるな」

「心が広いというか、貞操観念がイカれてるだけというか…」


 冗談めかして言ってきた相手にノリを合わせて、手を離して浴槽のフチへと持っていく。


 少し熱くなってきたから、体も頭も冷まそうと立ち上がり、そのままフチに座った。


「あきちゃんはさ」

「うん」

「意外と貞操観念ガチガチだよね」


 急に、そんなことを言われた。


 言われてみれば確かに……下ネタを言うわりに私は貞操観念がガチガチのガチである。


 どのくらいガチだったかというと……まだ誰とも付き合っていなかった当初は、結婚するまでセックスはしないと頑なに決めていたくらいには、堅い。まぁそれも、欲と現実を前に崩れたが。


 緩くなってからも、付き合うまでは絶対にしたくないという謎の意地がある。だからワンナイトの経験は当たり前のようにないし、付き合う前にキスするなんてこともってのほかだ。


 なのに、軽口は言う。という、チグハグな人間である。


「それが……どうしたの?」

「いや…私と違って、付き合う前にちゅーとかありえないのに、なんでちゅーしよ?とか言うんだろって……不思議で不思議で」

「もしかして、嫌だった?すみませんでした…」

「嫌じゃないけど…」


 ちなみに、結花ちゃんはこう見えて遊び人である。わりと誰にでもついていってしまう危なっかしいタイプとも言える。


「次言ったら、ほんとにしちゃうよ…?」

「ちゅー?いいよいいよ、しよっか」

「もう、あきちゃん!怒るよ」

「はい……ごめんなさい…」


 彼女は彼女で私の軽率さを心配しているようで、わりと本気で怒られてしまった。


「ほんとに良くないんだから。危ないんだから。真に受けちゃう人もいるんだからね」

「はい…すみません……ほんとごめんなさい…」

「私だからまだ良いけど…他の人にはだめだよ?」

「そもそも他の人に言わないけどね」

「ん?」

「…ん?」


 結花ちゃんからの説教は続いて、普通に本心を言っただけなのに、相手は引っかかりを覚えたようで聞き返される。


「なんで他の人には言わないの?」

「いやほら……こう見えて人見知りだから。ここまで仲良くならないと、こんなこと言えない」

「あー……なるほど。確かにあきちゃん、ゴリゴリの人見知りだもんね…ってか人間嫌い」

「その通り。根本が人間得意じゃないから、こんなん心開いてない限り言えないよ」


 故に、他意はない。これはまじで。


 お互い「うんうん」と納得して頷いて、自然な流れで風呂から上がることになったから浴室から出ていった。


「あきちゃん〜、これ塗ってー…」

「はーい。いいよー」


 体を拭き終わった後は、肌の弱い結花ちゃんのためにボディクリームを全身に塗りたくる時間である。


 さすがにおっ■いとか、際どい部分の多い体の前面は自分で塗ってもらって、手の届かない範囲である背中やお尻なんかが私担当。


 だからボディクリームを手にとって、いつものように肌に当てた。


「今日も痒くてさー…」

「あーあ、ほんとだ。荒れちゃってるねぇ……痛くない?これ」

「痛くはない。痒いのよ…」

「後で薬も塗ろっか」

「うん。いつもありがとう〜」

「いーえ」


 肌の状態によっては、薬を塗ることもある。


 結花ちゃんはくすぐりに弱くて、くすぐったがりだからなるべく手短に、痛くない範囲で強めに力を入れて塗ってあげるのがコツだ。このニ年で、塗り方を学んだ。


 それが終わると、今度は自分の体にササッと塗って、お風呂上がりのケアは完了。


 後はタバコと酒を楽しみに、キッチンに向かう。


「水飲んどき」

「うん」


 一緒についてきた結花ちゃんにはペットボトルの水を投げ渡して、自分は缶のスパークリングワインをひとつ手に取った。


「また飲むの?」

「うん、あと二杯飲んだら寝る」

「……晩酌、付き合います」

「やったー。…何飲む?」

「ぽろよいで」

「かわい」


 珍しく一緒に飲んでくれるという結花ちゃんにはアルコール度数3%しかない、ほぼジュースな缶チューハイを手渡して、デラウェアと角煮の残りとおつまみに晩酌スタート。


 お酒が弱い彼女は、飲んですぐ顔を真っ赤にしていた。…本人曰く、顔が赤いだけでベロベロに酔ってるわけではないらしい。


 心配になりつつお酒を嗜むうちに、だんだんと私は酔いが回ってきて、会話も盛り上がってきた。


「小説がね、けっこう伸びてきてて」

「おぉー……すごいじゃん」

「大事なのは数字じゃないって分かってるんだけどさー……でも、嬉しいよね。そんだけ多くの人に好かれる作品なんだって可視化されるのが、まじで嬉しい」

「分かる。私も嬉しい」


 酔うとだいたい、私は小説の話をする。結花ちゃんはそれを、自分の事のように喜んで話を聞いてくれる。


「でもね……嫌なコメントも届いたの」

「どんなやつ?」

「…こういうやつ」


 もちろんいい事ばかりではなく、悪いことも共有するためスマホを見せたら、彼女は私よりも怒って何やら文句を言っていた。


 気にしなくていい、とも言ってくれたけど……小心者で打たれ弱い私は、些細なことでも気にしてしまう。


 酷評が悪いとは言わないし、思わない。抱いた感想は人それぞれで、相手に伝えるか踏みとどまるかもその人の自由だ。


 …傷付くのも、作者の勝手である。


 だから誰も悪くないと分かっていても、傷付くと悪態をつきたくなることもある。


「もう嫌だな……書いてるの、恥ずかしくなってきちゃう」

「私は好きだよ、あきちゃんの作品。だからそんなこと言わないで」


 気分が落ち込みすぎた時に持ち上げてくれるのは、いつだって結花ちゃんの励ましの言葉だ。


「……ありがとう、結花ちゃん」


 こういう時、いつも私は心救われる。


 恋愛じゃなくても彼女のことは大好きで、酔ってきて冷静じゃない頭でその日は「一緒に寝よう」と誘ってみた。


 彼女は快く了承してくれた。


 だから晩酌も終え、寝室で同じ布団に入る。


「結花ちゃん…」

「ん?なに」

「頭なでて」


 布団の中、相手の手首を持って自らこめかみの辺りに置かせたら、彼女の鼻から優しい吐息が抜けてそっと髪を撫でてもらえた。


 何度も前後を行き来する手の感覚と温度に身を委ねて、目を閉じる。


 眠くなってきた。


「かわいいね、あきちゃんは」

「ん…」


 ボヤボヤとしてきた意識の中、結花ちゃんの穏やかな声が聞こえる。


「こっちおいで」

「う…ん…」


 手を広げるのが薄目で開いた視界に見えたから、おとなしく相手の腕の中へと入り込む。


 その状態で頭を撫でられながら、私はすぐに意識を暗闇へと落とした。


 人の体温があるだけで、こんなにも安心できる夜があるんだと。


 彼女のおかげで、今日も私の心の平穏は保たれたのである。






 






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