とある百合小説家のひとりごと。

小坂あと

「異世界転生しなくても、同居人とデラウェアがあれば生きていける説」





















 煮詰まる。


 夕方の時間から炊いている角煮は良い具合に煮詰まって味が染みてホロホロだが、小説の方はとことん進まず、さっきから換気扇の下とソファを行き来しては重たい吐息を吐いている。


 こういう時は、タバコと酒。


 とりあえず角煮の様子を見に行くがてら、冷蔵庫から缶ビールを取った後でタバコを吸いにまた換気扇の下へと向かった。


「はぁ〜……全然書けない…」


 コンロのそばに常備されているパイプ椅子の上で体育座りの形を取って、スマホ片手にため息をついた。もう片方の手には、煙漂うタバコ。


 咥えタバコでスマホを両手に持ち替え、とりあえず文字を打とうとしてみるが……なにひとつ言葉が浮かんでこない。


 完全に手詰まり、煮詰まり、行き詰まり。


 まさに、お手上げ状態である。


 たまにある。どう頑張っても続きが思い浮かばなくて書けない時が。


 ヤケクソになる気持ちはビールの苦い味を喉に通すことでなんとかごまかして、タバコを吸い終わったら角煮を完成に向けて最後の仕上げをする。


「ただいま」


 残りは盛り付けだけって時にタイミングよく帰ってきた同居相手⸺結花ゆいかちゃんは、匂いにつられて真っ先に私のそばへとやってきた。


「角煮だ、うまそー…」

「好きでしょ?結花ちゃん」

「うん、好き。…今日も天才、あきちゃん」

「ふははは。もっと褒めたまえ」

「すごい。料理上手。俺の嫁最高」

「あんたの嫁ではない」


 普段と変わらない会話を経て、料理を食卓テーブルに並べていく。その間に、結花ちゃんは着替えとシャワーだけ済ませに行った。


 かれこれ二年近く同居している結花ちゃんは物静かな女の子で、今年23歳になるまだまだ社会人一年目のOLだ。黒髪セミロングの、どこかあどけなさが残る幼い顔をしている。


 一方で私は、専門を卒業して数年務めたリゾートホテルの仕事を辞め、今は貯金と事務のバイトで生計を立てているほぼ無職な26歳。緩い社風の会社にしたから、髪は斑な金と黒のウルフで、どこぞのヤンキーみたいな見た目をしている。


 薄く端正な顔立ちの結花ちゃんと、沖縄とか九州顔って言われる濃くてキツい顔立ちの私。


 見た目も性格も正反対なふたりが同居を始めたのは、今から一年半ちょっと前。


 当時、同棲までして付き合っていた彼氏と別れ、行き場を失くした私を拾ってくれたのが、数年前に友達同士の飲み会で知り合った彼女…結花ちゃんだった。


 結花ちゃんは優しくて、別れたついでに仕事も辞めた私を最初の数カ月はほぼ養う形で面倒を見てくれた。


 お礼に私は家事の大半を担っていて、主に料理は私の担当である。今はちゃんと、家賃なんかは折半している。


 出会った当時はまだ大学生だった彼女も、今では新社会人。慣れない仕事で大変だろうから、せめて家での負担は減らしてあげたい。


「家事がんばってくれたお礼に、これ」


 そんな私に、結花ちゃんは結花ちゃんで感謝してくれているみたいで。


「おぉ〜、デラウェア…!」


 私の大好物である、ぶどうを買ってきてくれた。


 スーパーの袋から取り出されたそれをありがたく受け取って、さっそくタバコとスマホはそっちのけで洗いだす。


「ありがとう〜、これちょー好き。まじ好き。早く食べたい」

「それ全部あきちゃんのだから。食べていーよ」

「まじー?神。ほんとありがと」


 洗いながらひとくち食べてみれば、皮からじゅわっと広がる甘い果汁と、その中に包まれた果実の酸味がなんともマッチしていて、小さなひと粒なのに大きな満足感を得る。


 せっかくだから、これをつまみにしよう…と傍らに置いていたビールを飲んでみて……あまりにミスマッチすぎて面食らった。


「こりゃ合わん。…ワインかな」


 とりあえず残り半分くらいまできてたビールはグイと飲み干して、次の酒に進もうと冷蔵庫を開ける。


 中に入っている缶チューハイを避けて取り出したのは、スパークリングワインの入った小瓶だ。今日は赤にした。


 すでにほろ酔い気分で瓶を開けて、洗ったデラウェアは雑に水気を拭き取ってさらに移す。そうして準備を終えてから、食卓テーブルの椅子について小瓶に口をつけた。


「っ…はぁ!んまい」

「相変わらず飲むねぇ…」

「いうてまだ二杯目」


 私が準備をしてる間に着替えを済ませてきていた結花ちゃんも、テーブルを挟んで向かい側の椅子に腰を下ろす。


「あ。角煮待ってて。今出すね」


 そこで大事な仕事……結花ちゃんの夕飯作りの途中であったことを思い出して、すぐそばのキッチンへ移動した。


 今にも崩れ落ちそうなほど柔らかくできたお肉をそっとおたまで掬い上げて、皿に乗せる。


 そこへ刻んでおいた白髪ねぎをちらして、煮汁を全体にかければ完成。後は味噌汁とご飯と一緒に食卓へ運ぶだけ。


「ご飯どのくらい食べる?」

「いっぱい」

「りょーかい」


 キッチン横の棚にある炊飯器を開ければ、大成功な炊き上がりにひとり感嘆とした吐息を漏らした。今日は小説以外、うまくいってる。


「そういえばなんか悩んでる?今日」

「ん……なんで?」

「なんとなく」

「勘のいいガキは嫌いだよ」

「出た、名言だ」

「あのアニメいいよね〜」

「いいねぇ。今度見よ」

「うんうん」


 言いながら結花ちゃんの希望通り“いっぱい”、いわゆる漫画盛りにした茶碗を食卓テーブルへと置いて、続けて味噌汁のお椀、そして今日のメインである角煮の乗った皿も運んだ。


「今日も盛りもりだ…!」

「いっぱいお食べ」

「ありがとう、いただきます!」


 彼女は見かけによらずよく食べる子で、嬉々として頬張りだした幸せそうな笑顔を肴に、スパークリングワインを喉に通した。


 シュワシュワ弾ける感覚と、鼻に抜けていくワイン特有の香りがたまらなく美味しくて、そこにデラウェアの甘酸っぱさも追加していく。


「原材料を食べながら飲むワインうますぎる」

「ふはっ、言い方」

「デラウェアからもう、ワインの味するもんね。あれ?これもう発酵してんのかも…」

「早い早い。採れたてだっていうのに」


 そうやって他愛もない会話を重ねながら夕飯と晩酌を楽しみ、久々の秋の味覚に舌鼓を打つ。


「で、何に悩んでるの」


 途中、やたら勘の良いガキである結花ちゃんに話を戻されて、あんまり重たい雰囲気にしたくなかった中でもちゃんと話そうと口を開いた。


「小説がさ、行き詰まってて」

「あー……今回は初めて転生モノ書くって言ってたよね」

「そうなの。…でもなんか、アイデアは浮かぶんだけど肝心の本文が出てこなくてさ。頭に浮かばない感じ」

「あ~……それは辛いね。慣れないジャンルだからかな?」


 そう、まさにその通りだ。


 普段書き慣れないジャンルすぎて、何をどう書いていいかも分からなければ……正直、自分の描く転生の何が面白いのか気持ちが分からないから理解に困っている。果たして需要はあるのか…?


 転生したいと、自分自身が思ったことがないのも要因の一つだ。今を生きるのが精一杯で、来世のことまで考えてられない。


 それに、転生はありえないことすぎて現実味がなさすぎる。どこか現実主義な私は、そう考えてしまうのだ。…でもそういうアニメを見たりするのは好き。


 だからみんなは、凄いと思う。ゼロから世界観や設定を作ったり、この世に存在しないものを生み出すなんて、到底できることじゃない。少なくとも私にはできなくて……自分には向いてないのを嫌でも痛感してる。


 とはいえ、需要のあるジャンル。新たな挑戦という意味でもしっかり書き上げたい。


 という悩みを含めて、聞いてもらうこと十数分。


「てか、あきちゃんが作ってくれた角煮うまい!」

「まじ?どのくらい?」

「いっぱい!」

「ははっ、そうかそうか。いっぱい美味いか。それならよかったよ」


 空気を暗くしたくない私の思いを察してか、結花ちゃんは唐突に話を変えてくれた。…単なる天然かもしれないけど。


 こういうさりげない優しさが温かくて、ありがたい。


「…私のデラウェアも美味しい?」

「乳■の話してる?」

「……そう思うのはあきちゃんだけです」


 わざわざ“私の”なんて付けるから、てっきり隠語か何かかと思ったのに、違ったらしい。ジト目で睨まれて、肩を竦ませた。


 下ネタが大好きな私は、よくこうやってなんでも下ネタに繋げちゃうという最悪な癖があるんだけど、結花ちゃんはあまり好ましく思ってないみたい。


 だから気を付けよう、とは思うものの。


「デラウェア味の乳■だったらうまそう…」


 天然な彼女が呟いた、些細な言葉に思わず飲んでいた液体を吹き出しかけた。


「っふ、ははは!甘酸っぱくていいね」

「一生舐められる気がする」

「そんなに舐められたら痛いって、さすがに」

「確かに……でもおいしいだろうなぁ…」


 至極真面目に語り始めたのをおかしな気持ちで眺めては、苦笑する。


 下ネタを嫌うわりにこういうことを平然と言える彼女は、ある意味でピュアを極めてるかもしれない。


「そういえば…最近、全然乳■舐められてないな。舐める?」

「舐めないよ。…あきちゃん、彼氏は?」

「いないよ」

「そうじゃなくて。作らないの?」


 冗談は軽くあしらわれて、代わりによこされた質問になんて答えようか肘をついて右上を向く。


 ……ここに来てから、彼氏とか考えたことなかったな。


 なんだかんだ、寂しい気持ちは結花ちゃんのおかげで緩和どころか、楽しい気持ちで満たされすぎて飽和状態だし、今はデラウェアも食べられて幸せだし。


 濃い紫色をした粒の塊を見下ろして、ひとつもぎりとる。


 軽く押しつぶしてみれば、ぷにゅっと中から綺麗な薄い緑の果実が飛び出してきた。


 それを唇で挟み込んで、ちゅうと吸って果実だけ果汁の甘さごと喉の奥へと運んでいけば、あっという間に胃に落ちる。


 …うん。おいしい。


「いらないかな」


 今は、結花ちゃんがいれば。


「デラウェア、うまいし」


 別に彼氏なんて必要ないことに、気が付いてしまった。


「はははっ、なにその理由」


 私の返答を聞いて、結花ちゃんは眉を垂らして笑っていた。


 その笑顔を見れるだけでも充分に癒やされたから、やっぱり当分の間は恋なんていいや……と、友情を優先した気持ちで思うのだった。













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