第36話 辺境伯ヴァージル・ガードナー

 建国記念パーティーも終わり、レニーとアレクシアはヴァンフィールド城に戻った。

 それと入れ替わりで、辺境伯ヴァージルは王都へ向かって出発した。

 最低限の護衛と馬で向かったため八日ほどで王都に着き、そして今、王宮の応接室にいる。

 謁見の間ではなく応接室で王と向かい合っているということが、現在のヴァージルの立場の強さを表していた。


「まさかこのようなことが起きるとは夢にも思いませんでした、陛下」


「……」


「第一王子殿下が息子に一方的にファーレイを申し込むとは。しかも賭けたのはアレクシア嬢。婚約届を提出しに王都まで来た二人の仲を裂き、我が息子を殺してアレクシア嬢を手に入れようとするとは、まったくもって恐ろしい話です」


 押し殺したようなヴァージルの声が、周囲に威圧感を与えている。

 玉座においては威厳を保てる王も、こうして死線を幾度もくぐり抜けてきた男と同じ目線で向かい合ってしまえば、ただの弱々しい男に過ぎなかった。


「王子の失態であることは間違いない。私の教育不足だったと認めよう。ただ、殺そうとしたわけでは……」


「ただの殴り合いの喧嘩や木剣での決闘ならこのようなことは申しません。ファーレイは勝者が敗者の首を刎ね女性を手にするという、今は廃れた身勝手な決闘。ましてや殿下は息子の身辺を調査して真剣を扱えないことを調べ上げ、その上でファーレイを申し込んだのです。息子が弱点を克服していなければ、私は今ごろ首なしの息子と対面していたでしょう」


「それは……」


 ひんやりとした応接室の空気が、より一層冷える。

 壁際に立つ侍従は、冷や汗をかいていた。


「真剣での決闘は遊びではございません、陛下。ましてや真剣を扱えないと思っている相手に申し込んだ時点で殺意があるととられて当然。次期ヴァンフィールド辺境伯となり得る唯一の存在を理不尽に殺そうとし、その婚約者を奪おうとした。陛下も殿下も、この国にヴァンフィールドは不要とお考えか」


「そ、そのようなことはない!」


 魔獣の対応を一手に引き受けるヴァンフィールド辺境伯領。

 そのヴァンフィールドが魔獣防衛から手を引けば、国に魔獣があふれ返る。

 国民の人的被害、経済損失。それらが王子によって引き起こされたと知られれば、民心は離れ、貴族たちもこぞって王室を批判することは想像に難くない。

 国と王家が失うものは、あまりにも多すぎる。

 王国から独立となればヴァンフィールドとて無事では済まないが、辺境伯ヴァージル・ガードナーにはそれも辞さずという覚悟が見えた。

 王にとって、それは予想外の反応だった。

 辺境伯子息レニーは決闘においても圧倒的で、クリストファーは相手にもならなかったというのに、辺境伯が王宮にまで来て強硬な態度で抗議してくるとまでは思っていなかった。

 だが、こうなってしまえばもはやクリストファーに関して何らかの厳正な処分を下すしかない。

 クリストファーとヴァンフィールドの重要性と天秤にかければ明らかに後者に傾く。

 王が貴族の言いなりになるというのは危険だが、今回はクリストファーに明らかかつ重大な非があり、厄介なブラッドフォード侯爵からも怒りを買っている状況である。

 慰謝料減額についても「陛下の誠意次第でございます」という曖昧な回答を受けている。

 となれば、王がとれる手段は一つだけ。


「……クリストファーは、今後王子と名乗る資格と王位継承権を永遠に失う。これが王家としてできる最大限の謝罪だ。それで怒りを収めてくれぬか」


 臣籍降下と、王位継承権の永久はく奪。

 王の言う通りこれが最大限かつ妥当であり、ヴァンフィールドの顔色を窺うあまりクリストファーにそれ以上の厳罰を課せば、王家としての体面を保てない。


「承知いたしました。結果として息子もアレクシア嬢も無事だったのですから、私もそれ以上は望みません」


「感謝する」


 これは王にとってもそう悪い話ではなかった。

 もともとマクシミリアンが王太子となることが決まっていたのに、エレノーラ妃の出身家であるダッドリー侯爵家がクリストファーを次期王に推してくることを厄介に思っていた。

 だがダッドリー侯爵家を完全に抑えるほどの力は王にはなく、のらりくらりとかわしながらマクシミリアンが成人して王太子となりやがて王になるのを待つことしかできなかった。

 しかしクリストファーが正当な理由で王位継承権を完全に失えば、もはやダッドリー侯爵家も口出しはできない。

 クリストファーに対して愛情はあるが、もともと王位につかせるつもりはなく、良く言えば素直、悪く言えば単純な性格のクリストファーは、権謀術数けんぼうじゅっすう渦巻く王宮から離れて静かに暮らした方が本人にとってもいいのではないかという気持ちもあった。

 優秀なマクシミリアンに加え、同じく正妃の息子である第三王子もいるため、王家の血が絶える可能性は低い。最悪の場合でも、王弟とその息子たちもいる。

 すべてが丸く収まる、最良の方法である。


「王家にお仕えする臣下の身としては、殿下が王子としての権力を保持したままでは心配で夜も眠れぬところでした。これで安心できます」


 王の顔が引きつる。「よく言う」とでも言いたげな表情をしていたが、それに気づいてもヴァージルは余裕の笑みを浮かべていた。


「では私はこれにて失礼いたします。領地を長らく離れているわけにはいきませぬゆえ」


 王の返事を待たずして、ヴァージルが立ち上がる。

 それを無礼だと咎めるだけの気力は、王にはもはやなかった。

 侍従が開けた扉から出て長い廊下を歩くヴァージルは、少し先に立っている男に気づく。


「……ブラッドフォード侯爵」


 侯爵が人の好さそうな笑みを浮かべる。

 ヴァージルが足を進め、侯爵の前で立ち止まった。


「これはこれはヴァンフィールド辺境伯。お久しぶりでございます」


「お久しぶりです。これから陛下とお会いになるのですか」


「仰る通りです。ところで、アレクシアは元気にしておりますか?」


「はい。息子と仲良く過ごしています」


「それはよかった。親としては娘の幸せが第一ですから」


 ふ、とヴァージルが笑う。

 どこか皮肉めいた笑み。


「では私は領地に戻るのでこれで失礼いたします。またお会いしましょう」


「はい。娘をよろしくお願いいたします」


 ヴァージルが歩き出す。

 すれ違いざま、ヴァージルが小声で何かを言った。


 ブラッドフォード侯爵が、また笑みを浮かべた。

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