第37話 王子、対話する

 ブラッドフォード家が経営する、王都の一等地に立つ絢爛豪華なホテル。

 その最上階には特別室が一室だけある。

 広い部屋の中央に置かれたソファに掛け、向かい合う男が二人。

 一人は、このホテルの持ち主、エドワード・ブラッドフォード侯爵。

 そしてもう一人は、第二王子マクシミリアン。

 しばし無言で紅茶を飲んでいた二人だったが、やがてマクシミリアンが口を開いた。


「兄上はダッドリー侯爵家の所領の一部をもらい、子爵となることが決まりました。王都から離れた田舎町一つが領地です」


「左様ですか」


 侯爵が微笑を浮かべる。

 マクシミリアンはため息をついた。


「何もかも、あなたのお陰です。兄上は永久に王位継承権を失い、ダッドリー侯爵家は国王の外戚となる機会を失いました。私が遭ってきた“不可解な事故”も、今後はなくなることでしょう。私が死んだところで、兄上に王位継承権はありませんから」


「ダッドリー侯爵は目的のためならともかく腹いせのためにリスクを冒す人間ではありませんしね。そしてまもなく殿下が王太子となられれば、正妃様のご出身家であるエルドレッド公爵家も力を増す。勢力図も少し変わるでしょう」


「そうですね。すべてが上手くいきました」


 そう言いながらも、マクシミリアンの顔に喜びの色はない。

 兄に対して罪悪感を抱いているようだった。


「殿下が気に病まれる必要はありません。計画を立てたのは私です。殿下は私の提案を受け入れただけです」


 ブラッドフォード侯爵は、慰謝料減額と魔石鉱山の売却を餌に、クリストファーが心から反省できるよう建国記念パーティーまで離宮で静かに過ごさせることをした。

 雑念を忘れて己を見つめなおせるよう謹慎期間を伝えないこと、エレノーラ妃とは会わせないことも条件に付け加えた。

 それは反省を促すというよりも、娘を捨て、ブラッドフォード家に恥をかかせ、さらにはその原因となった女性とコソコソ会っていた王子への復讐心であると王は理解していた。

 その上で、王はブラッドフォード侯爵の要求をのんだ。

 たかがひと月と少し王子が離宮で過ごすだけで、それだけものが得られて侯爵の気も済むとなれば、王にとっては決して悪い話ではなかったからである。


「たしかに計画を立てたのはあなたです。ですが、実際に兄上を追い詰めて愚かな行動を取るように仕向けたのは私です」


 もともとくすぶっていたであろうアレクシアへの未練を、弟への劣等感と嫉妬を利用しつつ燃え上がらせた。

 離宮に隔離した上、熊が出るという情報を与えてほぼ部屋だけで過ごすよう仕向けた。

 そうして外界から遮断し、人とほぼ話すことのない生活を送らせた上で、救いを与える唯一の存在となるべく会いに行った。そうすることで、マクシミリアンの言葉はクリストファーに大きな影響力を持つようになった。

 いつ離宮から出られるかの期限すら教えず、精神的に追い詰め、酒も与えることでさらに判断力を鈍らせた。

 実際の情報であるレニーの弱点をあえて情報ギルドを通じて知らせ、レニーは勝てる相手だと思わせた。

 ファーレイについて記載した本を置いておき、読ませた。


「ファーレイまで持ち込めるかどうかは五分五分でしたが……最後に兄上に相談されたときに私が背中を押したのが効いたようです。さらに、レニー卿に恥をかかせるくらいのつもりでファーレイを申し込んだのが、あなたが間に入ったことで兄上は引くに引けなくなった」


「仰るとおりです」


 マクシミリアンが長く息を吐く。


「……後悔はありません。自身の身を守るためにも、国のためにも必要なことでした。この通り単純で流されやすい兄上ですから、万が一にでも王になっていたらダッドリー侯爵家の傀儡かいらいとなっていたでしょう。王にならずとも、自身も知らないうちに利用される可能性もあった」


「そうですね。私もそう思います」


 侯爵がうなずく。

 を取るように、王子が一口紅茶を飲んだ。


「歴史を学んでいて、時折王家が“軌道修正”することがあったのを不思議に思っていました。それがまさか、歴代のブラッドフォード侯爵によるものだったとは」


 王権が弱まりそうなとき、暗君となるであろう者が王座に就きそうなとき。

 表向きには政治的な力のないブラッドフォード家が、この国を裏から動かしてきた。

 ある時は力を持ちすぎた貴族を巧妙に陥れてその力を弱め、またある時は暗愚な王太子を表舞台から引きずり下ろした。


「ブラッドフォード侯爵というのは恐ろしい存在ですね。グレアムはもちろんのこと、離宮についていった他の侍従もメイドも騎士もすべてあなたの息のかかった者だった。王宮には、いったいどれほどあなたに忠誠を誓う人間が紛れ込んでいるのか」


 侯爵はそれには答えず、優雅に紅茶を飲む。


「気になるようでしたら王太子となられたあとに使用人を総入れ替えしても構いませんよ。いずれにしろ、これ以上私が首を突っ込むことはありません」


「あなたがそう言うのならそうなのでしょう。この国を掌握することすら可能だというのに、ブラッドフォード侯爵家はそうしてこなかったのですから」


「それが初代国王陛下とブラッドフォード家のお約束ですからね。ところで、クリストファー様に子ができぬよう処置をしたほうが良かったのでは?」


 膝の上に置いた王子の手がぴくりと動く。


「兄上がさらに落ちるのを、侯爵はお望みですか?」


 娘を傷つけられた復讐をとことんしたいのかという意味で問う。

 侯爵は低く笑った。


「私は私怨では動きません」


「ならばその措置は不要です。王家の籍から完全に抜けた子爵の子や孫が担ぎ出されるようでは、もう王家としては終わりです。そこまでの事態なら、兄上に子孫がいようがいまいが関係ありません。そうならないよう、国を治めていくだけです」


 その答えに満足とばかりに、侯爵がにこりと笑う。


「それに……私が言ってはいけないのでしょうが、兄上はもう相応の罰を受けたと思っています。王子としての名も華やかな生活も失い、後悔を抱えたまま田舎町の小さな屋敷で子爵として生涯を終える。これ以上のことは、もう……」


 そう言うマクシミリアンの表情は、悲しそうだった。

 愚かで身勝手ではあるものの悪人ではなく、マクシミリアンにとっては自分をかわいがってくれた兄である。

 そして、最後までマクシミリアンを疑うことなく、関与も否定した。マクシミリアンが自分をそそのかしたのではないと。


「生活の質を落とすというのは容易ではなく、クリストファー様はしばらくつらい思いをなさるでしょう。それでも、傍にあるもの、手の中にあるものの大切さに気づけば、そこからは幸せを感じながら穏やかに暮らしていけますよ。もともと、陰謀渦巻く王宮には向かぬ方です」


「兄上の傍には、誰も……。まさかミレーヌ嬢が?」


「まあただの予想ですが。私の娘とやり合うほどの気の強さですし、クリストファー様への想いが少しでも残っているのならきっと彼の傍へ行くでしょう。他の男を狙おうにも、彼女にまともな縁談が来るとも思えませんしね」


「……そうかもしれませんね」


 ふっとマクシミリアンが笑う。

 その表情には、どこか安堵の色があった。


「それでも、私は兄に対して生涯罪悪感を抱いて生きていくことになるでしょう。……あなたは、アレクシア嬢に対しては?」


 そう言われて、初めて侯爵の顔に苦いものが浮かぶ。


「アレクシアはもう私の関与に気づいたでしょうね。嫌われても仕方がありません。ただ、ミレーヌ嬢は私が用意したわけではありませんよ」


「そうなのですか?」


「さすがに自ら娘の幸せを壊すような真似をするはずがありません。あの方が勝手に浮気しただけです」


「それは……意外でした。あなたは娘すら利用したのかと」


「利用したと言われればそのとおりなのでしょうね。クリストファー様の浮気を知ったとき、渡りに船とばかりにこの計画を立て始めたのですから。ただ、背後に打算があったとしても、アレクシアが幸せになれる相手を見つけたつもりです。少し遠回りさせてしまいましたが」


「では、兄上が浮気しなかったらどうなさるおつもりだったのですか?」


「その時は娘の幸せを願って別の方法をとったかもしれませんね。ダッドリー侯爵家をじわじわと内側から蝕んでゆっくりと崩壊させるか……ただそれは手間と金がかかる上にリスクもあるので、今回のが一番簡単な方法でした」


 クリストファーが婚約破棄しなければ。

 アレクシアが縁談を受け入れなければ。

 レニーが弱点を克服できなければ。

 この侯爵はどうするつもりだったのだろうとマクシミリアンは思うが、その時に最適と思われる行動を取るだけだろうと思い至る。

 ひとまず、血を見ることなく最も平和的な結末を迎えたのは素直に喜ぶべきことである。


「巻き込んでしまった辺境伯には、王宮のゴタゴタは二度と御免だと言われました。私は王への抗議を勧めただけですが、さすがは辺境伯。今回の騒動の裏に私がいたことはすぐに気づいたようでした。それをわかった上でクリストファー様を落としにかかったのは、国を思ってのことでしょう」


 そういう方だからこそアレクシアをお任せできます、という言葉に、マクシミリアンは遠くを見るような目をした。

 やがて窓の外に視線を移す。


「アレクシア嬢が王妃になる道もあったでしょうに」


 独り言のようにぽつりと漏らす。


「ブラッドフォード家は王妃を出さない。それは変わりませんよ」


「そうでしょうね……」


 マクシミリアンがため息まじりに言う。

 その口元には、苦い笑みが浮かんでいた。

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