第27話 出立前夜
次の魔の周期――赤い星が浮かぶ日に、ついにレニーが砦に行くことになった。
万が一剣気酔いで暴走した場合に備え、唯一レニーを止められ、なおかつ彼に代わって現場を指揮することができる辺境伯ヴァージルも同行する。
特に問題がない場合は、ヴァージルは一切手を出さないのだという。
この試練を乗り越えれば、レニーは正式な後継者となることが確定する。
その出立前夜。
アレクシアとレニーは、夜の庭園を散歩していた。
少し離れて並んで歩く二人の口数は少なく、秋を知らせるリーリーという美しい虫の声が優しく響いていた。
「寒くはありませんか」
「ええ、大丈夫です。夜の庭園も美しいですわね」
昼間日光をため込んだ魔道具の灯かりが、夜の庭園を淡く照らす。
特に白い花が闇夜に浮かびあがる様は幻想的で美しく、アレクシアはしゃがみ込んでそっと花びらに触れた。
「ご存じの通り、明日砦に行きます」
花に触れる細い指が、ぴくりと動く。
「……ええ」
「俺は必ず試練を乗り越えます。魔獣だけでなく、自らに打ち勝ってみせます」
「レニー様ならきっとできると信じています」
アレクシアは立ち上がり、彼と向き合う。
揺れる瞳を隠すかのように、笑みを浮かべた。
「どうかご無事に帰ってきてください。それだけが、わたくしの願いです」
風が吹く。
銀色の髪が、さらさらと揺れる。
白い花びらが雪のように舞った。
レニーはアレクシアに向かって手を伸ばしかけ――拳を握りしめて手を下ろした。
「必ず無事に戻ります」
「はい」
アレクシアもレニーも、互いの気持ちに気づき始めている。
だが、今はまだ言葉にできない。
「手を……つないでもいいですか」
これが今のレニーにとっての精一杯。
「ええ、もちろん」
レニーがアレクシアの細い指の間に自分の指を差し入れ、そっと握る。
予想していたのとは異なる形で手をつなぐことになったアレクシアは、一瞬動揺したものの手を握り返した。
指が太いので少し握りづらく、そのことに密かに笑みをこぼした。
「今夜は月が美しいですね」
「本当に」
それ以上は何も語らず、ただ二人でゆっくりと歩く。
つないだ手と時折触れ合う腕が、温かかった。
翌朝、レニーは騎士団を引き連れて出発した。
アレクシアは近くで見送ることなく、部屋の窓からその様子を眺める。
不安に締めつけられる胸に、そっと手を当てた。
(わたくしって、案外弱い女なのね。自分のことを無敵のように感じていた時期もあったのだけど)
今までは何を言われても傷つかないと思っていたし、弱い姿を他人に見せることもなかった。
だが彼のことになるとこんなにもか弱い、ただの女になってしまう。
(恋は人を弱くさせるものなのかしら)
怪我などせず、無事に帰ってきてほしい。望むのはただそれだけだった。
辺境伯になんてならなくてもいい、危険なことはせずただ傍にいてという言葉が喉から出かかるほどに、彼のことが心配だった。
けれど、その言葉は彼を苦しめるだけだとわかっているから、決して口には出さない。
最後の試練に挑む彼を待つことしか、今はできないのだ。
(……わたくしも、今までとは違う強さを手に入れなければならないわね)
愛する人が試練を乗り越え、無事に帰ってくることを信じて待つ強さ。
不安を自分の胸の中に押しとどめ、愛する人が安心して役目を果たしてこられるよう笑顔で見送る強さ。
自分の中の不安をかき消すように、アレクシアは
(レニー様ならできるわ。きっとできる。だから、わたくしはこうして笑顔でいるわ。それはこの城の女主人を目指すなら必要不可欠なこと)
不安や動揺を見せずに堂々としていなければならない。
まだ女主人でなくても、この城の人間はすでにアレクシアをその候補として見ているのだから。
アレクシアは窓から離れ、自分と同じくレニーを心配しているであろうフィオナの部屋に向かうべく歩き出した。
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