第19話 レニーの過去

 もうすぐレニーが戻ってくるという辺境伯の言葉を思い出し、アレクシアはなんとなく外に出てみた。

 正面玄関から出たところで、はっと気づく。


(出迎えるにしても、レニー様が帰ってきたら知らせるようにメリンダに言って自分は部屋で待つのが普通よね。なぜわたくしは待ちきれないと言わんばかりに一人で外に……)


 自分の行動がとたんに恥ずかしくなり、引き返そうとしたところで、遠くで複数の人の声がすることに気づいた。

 声は正門ではなく訓練所や騎士団の宿舎がある方から聞こえてくるようで、しばらくのち一人の男性がそちらの方から歩いてきた。

 黒地に銀糸の騎士服に身を包む、長身の青年――レニー。

 その歩く姿は隙がなく、ネコ科の猛獣がひたりひたりとしなやかに歩く様に似ている。

 彼が歩くたび、深い青のマントが揺れた。どこか気だるげな表情を浮かべる彼には、近寄りがたい雰囲気がある。

 それなのに、なぜか彼から目が離せない。


(いつもはボンヤリしたお人好しという印象なのに、今日はなんだか別人のように見えるわ。緊張感があるというのかしら)


 訓練所で辺境伯と打ち合いをしていたときの雰囲気に少し似ている。

 そのときは目の前で繰り広げられる戦いを恐ろしいとしか思わなかった。

 それがなぜ、今は胸の奥がうずくのか。わからないままその場に立ち尽くし――さらに近づいてきたレニーと目が合った。


「! アレクシア嬢」


 レニーが走り寄ってくる。


「……討伐に出られていたのだとか。お疲れ様でした」


「ありがとうございます。アレクシア嬢はなぜこちらに? 散歩の帰りでしょうか」


「いえ……そろそろレニー様が戻られると聞いたので……」


 それを聞いて、レニーが目を見開く。


「俺を……待っていてくださったと思っていいのですか」


「そ、そうなりますわね」


「……」


 彼が革手袋をはめた手で口元を覆い、顔ごと視線をそらす。

 その耳は真っ赤に染まっていた。

 

「……夏の終わりの夕方は冷えます。部屋までお送りさせていただいても?」


「ええ、もちろん。ありがとうございます」


「少々お待ちください」


 彼が革手袋を外し、大きな手があらわになる。その様にもなぜか見入ってしまった。

 外したそれをポケットに突っ込み、反対側のポケットからハンカチを出して手をごしごしと拭く。

 わざわざ手を拭くのがかわいくて、アレクシアはひそかに笑みをもらした。

 彼が玄関の扉を開け、手を差し出す。その手を取ると、彼が歩き出した。

 階段を上りきったところで彼が手を離し、少し前を歩く。


「ありがとうございます、アレクシア嬢」


「?」


「あなたのアドバイスのおかげで、ようやく辺境伯子息としての仕事ができました。騎士たちからもある程度認められたのではないかと思います」


「わたくしは何も……あれはただの無責任な軽口ですわ。今回の成果はレニー様の努力と覚悟ゆえです」


 彼が足を止め、隣に来たアレクシアを見つめる。


「あなたのアドバイスのおかげで気が楽になったことに変わりありませんし、一歩踏み出そうと思えたのもあなたがいてくださったおかげです」


 ――少しでもあなたに相応しい男になれるように


 先日言われた言葉を思い出して、心拍数が上がる。

 真剣な眼差しから逃れるように、アレクシアは前を向いた。

 レニーがまた歩き出す。


「アレクシア嬢。あとで……少し時間をとっていただけますか?」


「はい」


「あなたは弱い俺も情けない俺もじゅうぶんにご存じだと思いますが、最後の部分……真剣を持てなくなった理由をお話しさせていただければと。俺がどういう男なのかを知った上で、……その上で……色々と判断をしていただければと思います」


 色々と判断ということは、本当の婚約者になるかということだろうと思った。

 レニーも、この婚約の「答え」に向かって歩き出している。


「わかりました」


 そう返事をしたところで、部屋の前に着いた。


「では夕食後にまた」


「ええ」


 レニーと別れて部屋に入ったアレクシアは、しばらく落ち着かない気持ちだった。


 辺境伯が終始上機嫌だった夕食の時間を終え、部屋で本を読んでいると、レニーが訪ねてきた。

 部屋に入ることを勧めると、今日は素直に入ってきた。

 紅茶を出したメリンダが下がると、部屋が静寂に包まれる。

 向かい合って座る二人はしばらく人形のように動かなかったが、レニーが緊張で渇いた喉を潤すように一口紅茶を飲み、やがて重々しく口を開いた。


「二年前の夜のことです。裕福な家の使用人が、強盗が押し入ってきたと町の騎士団駐在所に助けを求めてきました。使用人が一人逃げたことに気付いた強盗たちは慌てて逃げようとしましたが、すでに騎士団による屋敷包囲網は完成しており、その家の夫婦や使用人を追い出しその家の子供である姉妹を人質にとって立てこもりました。八歳と十歳の姉妹でした」


 ヴァンフィールド周辺は貧しい領地が多く、そこで食い詰めた者が比較的豊かなヴァンフィールドまでやってきて罪を犯すことがあると資料にあった。

 おそらくそのたぐいなのだろうと思いつつ、先を促すようにうなずく。


「交渉のためにその場の指揮官である私だけが中に入ることができました。強盗は十人……騎士でも若造一人ならどうにかなると思っていたのでしょう。二人の男が姉妹の首筋にナイフを突きつけており、残り八人は外を警戒していました。男たちは説得に応じず、娘たちを人質に領外に出る、金を用意しろ、包囲を解けの一点張り。他の騎士が乗り込んできたら姉妹を殺すと叫んでいました」


 彼が淡々と語る。

 感情の見えないその表情は、心の傷となる出来事について話しているようには見えない。


「……強盗を殺すことに躊躇いはありませんでした。子供を人質にとるような輩ですし、犯罪者の要求に屈するようでは騎士団は率いていけない。ただ、一人を殺している最中にもう一人が人質を傷つける可能性があるので、二人同時に殺す必要がある。だからまだ実戦では使うなと父に言われていた剣気を使いました」


 何の感慨もない様子で殺すという単語を使う彼に、背筋が寒くなる。

 それをごまかすように、アレクシアは「剣気」とつぶやいた。


「剣に気の力を流して切れ味が格段に増すものだと思ってください。近くにあった壺を蹴り倒して一瞬注意をそらし、交渉のため床に置いていた剣を拾って距離を詰めつつ剣を抜いて剣気をまとわせ、一振りで姉妹を人質にとっていた男二人を絶命させました。残り八人は人質からは少し離れていたので、全滅させるのは難しくありませんでした」


 そう語る彼の瞳は昏く、底知れない闇を見ているようだった。


「そこまではまだよかったのですが。俺は……物音や男たちの叫び声を聞いて踏み込んできた騎士団にまで剣を向けてしまったのです」


「!」


「すんでのところでなんとか剣は止めましたが……」


 彼がぐしゃりと髪をかき上げる。


「剣気酔いというのだそうです。気の力が強すぎると、理性を失い周囲にいる者を見境なく攻撃してしまうことがあると。剣気そのものや命をやりとりするような戦いに慣れていけば、その症状も見られなくなるというのですが」


「……」


「なんとか剣を収めて振り返ると、姉妹が近寄らないで怖いと火のついたように泣き始めました。無理のないことです。一振りで絶命させることを優先させたため、姉妹は罪人の血を頭からかぶり、罪人たちの状態も……ひどい有様でした。騎士たちも、罪人の状態はともかく一瞬理性を失った私に恐怖の表情を見せていました。なまじ腕がいいので余計にぞっとしたでしょう」


 門外漢ゆえにどう言ったらいいのかわからず言葉を探すアレクシア。

 レニーは、自嘲じみた笑みを浮かべた。


「騎士としての仕事は十五歳からしていましたが、人を殺したのはその日が初めてでした。にもかかわらず、殺人に躊躇いも恐怖も感じない上、剣気に酔って歪んだ愉悦すら感じていた気がします。冷静になったあと、そんな自分を化け物のように感じて……また剣を抜けば、次こそ罪のない人を殺してしまいそうな気がして……剣気どころか真剣を持つことすらできなくなりました」


「……」


「気分の悪い話をお聞かせして申し訳ありません」


「……いいえ」


 アレクシアが首を振る。

 長い銀色の髪が、さらさらと揺れた。


「レニー様の苦しみをわかるとはとても言えません。剣気とは有効な攻撃手段であると同時に恐ろしいものなのでしょう。ですが、姉妹はその力で救われたではありませんか」


「命はたしかに救ったでしょう。ですが、ひどい体験をさせてしまいました。もっと上手くやれたかもしれないのに、俺は戦いに溺れ……」


「命以上に大切なものはありません。たとえ心に傷を負ったとしても、生きていれば立ち直る機会はあります。その姉妹も、あなたも」


 レニーがようやく顔をあげてアレクシアを見る。

 彼は眩しいものでも見るように目を細めた。


「生きていれば必ず立ち直れるとは申しません。ですが、死んでしまえばもう何もないのです。その一番大事な命を守ったのですから、どうかご自身を誇ってください」


 レニーがかすかに笑みを浮かべる。どこか悲しそうな笑み。


「ありがとうございます。少し気が楽になりました」


 そう言いつつも、その表情は晴れやかとは言い難い。

 そもそも彼にとって一番の問題は、姉妹を怯えさせたことではなく自分の制御を失ったことである。

 たが、これ以上は彼が自らの心と向き合い解決していかなければならない問題であり、長々と慰めの言葉をかけるのは違う気がしてやめた。


「俺は今まで逃げ続けてきました。自分は化け物になりたくない、罪なき人を殺したくない、だから剣を握ることはできないと。……愚かでした。俺が逃げれば、他の誰かが重荷を背負うだけだというのに。そのくせ完全に辺境伯子息という立場を捨てることもできず、すべてが中途半端でした」


「……」


「ですが、ようやく覚悟が決まりました。真剣や剣気に関する欠点を克服できれば、俺は次期辺境伯の地位を確立できるでしょう。今はその最後のチャンスだと思っています」


 レニーがアレクシアを真摯な瞳で見つめる。

 アレクシアも見つめ返す。

 覚悟を決めた男の顔を美しいと思った。


「もし克服できたら、そのときは……」


 レニーが自身の言葉を遮るように唇を引き結ぶ。

 アレクシアは微笑した。


「期待していますわ」


 そろそろ婚約について決めるべきときがきている。

 レニーが何を言いたいかはなんとなくわかっているし、アレクシアも彼に好感を抱いている。むしろ惹かれていると言っていいだろう。

 彼がただの騎士なら、それだけでじゅうぶんだった。

 だが、彼には生まれながらにして背負うものがある。

 たとえアレクシアがレニーに辺境伯子息でなくなってもいいと伝え彼を受け入れたとしても、どこかで関係は破綻するだろう。

 それがいかに過酷なものであっても、人は自分が果たすべき役割から目をそらし続けて生きていくことはできない。

 だから、彼はこの試練を乗り越えなければいけない。自らの力で。

 その意味をこめての言葉だったが、レニーも理解したようで力強くうなずいた。


「必ずご期待に応えてみせます。……夜も更けてきましたので、今夜はこれで失礼します」


「ええ。おやすみなさいませ」


「おやすみなさい、アレクシア嬢」


 彼は立ち上がり、静かに部屋から出て行った。


(自らの力で前に進めない男性とは、生涯を共に歩んでいくことはできない。けれど……わたくしはここに来て彼の優しさに癒された。だから、ほんの少しだけ優しさを返して背中をそっと押すことくらいは許されるわよね?)


 そんな言い訳じみたことを考えている自分がおかしくて、アレクシアはひとり苦笑した。

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