第13話 心の傷
静寂の訓練所に、レニーとアレクシアだけが残った。
アレクシアはここを去るべきか迷う。
彼を一人にしておいたほうがいいのか、何か話しかけたほうがいいのか。彼の性格がまだよくわからず、最適解がわからない。
ただ、黙ってここを去れば愛想を尽かしたように思われるかもしれないので、彼に声を掛けることにした。
「レニー様」
「……情けない姿をお見せしました」
立ち尽くしたままのレニーが答える。
視線は合わせない。
「いいえ。何か事情がおありなのでしょう」
再び静寂が訪れる。
「わたくしはいったん失礼しますわ。夕食後に少しお話することはできませんか?」
レニーは一瞬、捨てられた子犬のような顔をした。
それを見て察する。
「王都に帰るというお話ではありませんわ」
「……はい」
「では部屋でお待ちしています」
そう言って、アレクシアは訓練所を出て行った。
レニーは夕食の席には現れなかったが、約束通り夜になってからアレクシアの部屋を訪れた。
「どうぞお入りください」
扉を開けたアレクシアが言う。
レニーの表情に動揺が走った。
「いえ……女性の部屋に夜に入るわけには」
「婚約者の部屋に入ったところで誰も不思議には思わないでしょう。そしてわたくしはどう思われようと気にしません」
「……」
まだ躊躇う様子のレニーを見て、アレクシアの中にいたずら心が芽生えた。
「それともレニー様は夜に女性の部屋に入ると野獣と化すのですか?」
「!! ち、違います! そんなことはありえません……!」
レニーが真っ赤になって否定する。
「ならお入りになって?」
「……はい」
レニーはためらいがちに部屋に入り、勧められるままソファに腰掛けた。
アレクシアがその向かいに座る。
ベルでメリンダを呼ぶと、あらかじめレニーが来ることを伝えてあったためか、既にお茶の準備をした状態で入室してきた。
(なかなか見込みがあるわね。……でも)
紅茶を淹れるメリンダの顔には、隠し切れない好奇の色が浮かんでいる。
ニヤニヤしているというほどではないが、無表情を装いつつも目元や口元がかすかに笑っている。
(まだまだね)
そう思いつつも、そんなことまでいちいち注意するほど狭量ではないので、あえて何も言わない。
メリンダは二人に紅茶を出すと、静かに出て行った。
それをアレクシアが一口飲む。
当然、初日のように
「……幻滅なさったでしょう」
ぽつりと、レニーが言う。
「そもそもレニー様のことをほとんど知りませんので、幻滅も何もありませんわ」
「そうですか……」
しん、と部屋が静まり返る。
アレクシアがカップをソーサーに置く微かな音が、やけに響いた。
「はっきりお話しするのと、やんわりお話しするの、どちらがお好みですか?」
「はっきりとお願いします。俺は王都の貴族のように雅やかではないので……」
「わかりました。閣下は先ほど心の傷と仰っていました。何かつらい出来事があって、真剣を持つことができなくなってしまったのですか?」
「それは……」
再び重い沈黙が下りる。
アレクシアは、レニーの言葉を待った。
「今はまだ詳しくお話する勇気が出ません。ただ、自分の未熟さと……内に潜む残忍さを思い知ったのです。そんな男が剣を使えば、周囲の人を怯えさせ傷つける……それが恐ろしくて真剣を扱えなくなってしまいました」
「そうなのですね」
「自分でも情けないと思います。ですが……」
「情けないだなんて少しも思いませんわ。戦いに身を置くというのは過酷なこと。誰かに守られながら暮らすわたくしにはレニー様の心情を完全に理解することなどできませんが、それでもわたくしはあなたを尊敬いたします」
レニーがぐっと唇をかんだ。
「そのように仰っていただけてうれしいです。ですが、その出来事以降、俺は騎士として辺境伯子息として何もしてきませんでした」
「何もしていないことはないでしょう。筋肉は使わなければすぐに衰えると聞きました。その体つきは、訓練しつづけた証でしょう。たとえ今、その心の傷にとらわれていたのだとしても、あなたは辺境伯になることをあきらめてはいないのではありませんか?」
「……。戦える能力があるのに、そこから完全に逃げ出すのは卑怯だと思いましたから……。それにフィオナには自由な結婚をさせてやりたい。俺が情けないばかりに、好きでもない、能力だけが重視された男と結婚して家を継がせるのはかわいそうですから」
「レニー様は優しいのですね」
「そんなことはありません。逃げ出すことも進むこともできない“ヘタレ”です」
「わたくしが優しいと思ったから、それでいいのです」
その言葉に、レニーが頬を染める。
乙女のようだと思ったが、さすがに口には出さなかった。
「ひとまず、心の傷についてはなんとなくわかりました。レニー様のお心も」
「はい」
アレクシアは、例えば真剣勝負で恐ろしい目にあって真剣を扱えなくなってしまったのだと思っていた。
だが、レニーが恐れているのは自分自身に見える。
「解決策を探すのはなかなか難しそうですが……ひとまず殴ってはいかがでしょうか」
「……? はい?」
「真剣を扱うのが無理なら、相手の剣を受けても折れたりしない、中に鉄か何か仕込んだ木剣か、もしくは大きなハンマーか、いっそ鉄の棒か。そういったものを持ち歩いて、相手を殴ればいいのではないでしょうか。閣下と木剣で打ち合っても平気だったのですから」
彼がぽかんとした顔をする。
「レニー様の力なら、それだけでかなりのダメージでしょう。斬撃だけでなく、殴打だって立派な攻撃ですわ。鎧には殴打のほうが有効と聞いたことがありますし」
これで解決ですわね、と笑みを向けると、レニーは小さく吹き出した。
「そんなに簡単な問題ではないとお考えですか?」
「……いいえ。目から鱗です」
「解決したようで良かったですわ」
「ふ、そうですね」
本当にそれで解決したわけではないことは、アレクシアにもわかっている。
だが、何らかの心の傷を抱え、前に進むこともすべて投げ出すこともできずに苦しむレニーの気持ちを、少しでも軽くしたかった。
そして、そんな自分の気持ちにも驚いている。
今まで、家族以外の誰かに対して、どうにかして力になりたいと思ったことはあっただろうかと。
少なくとも、クリストファーに対してはなかったということに気づく。
「剣にこだわらなければいい、か。悪党を倒すにしても、殴打で気絶させてもいい……たしかに。頑丈な魔獣相手には通用しないでしょうが、それでも少し気が楽になりました」
「それならよかったですわ」
アレクシアがティーカップに口をつける。
すっかり温くなっていた。
「ありがとうございます。アレクシア嬢は頭が柔らかいのですね」
「ふふ、そうでしょうか。商売に携わる人間だからかもしれませんね」
「あなたのそういう部分も好きです」
その言葉に、カップを取り落としそうになる。
愛の告白などではないとわかっているはずなのに、動揺してしまった。
「あ……」
自分の言った言葉の大胆さに気づき、レニーが赤くなる。つられてアレクシアも赤くなった。
「いえ……変な意味で言ったわけでは」
「え、ええ。わかっていますわ」
「はい……」
部屋が静まり返り、二人の間になんとも言えない気まずい空気が流れる。
「もう夜も遅いし、俺はこれで失礼します」
「ええ」
「お部屋でなくてもいいので、また……俺と話してくれますか」
おそるおそる聞いてくる様子に、胸の奥が疼く。
「もちろん。あなたのことを知るために、わたくしはここにいるのですから」
「ありがとうございます。……では」
レニーが部屋から出ていく。
アレクシアは大きく息を吐いた。
(意図せずドキッとさせるようなことを言うのよね……)
心を落ち着かせるように、冷め切った紅茶を飲み干した。
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