第12話 ヘタレ騎士

 アレクシアは自室として使っている客間のソファで、長い溜息をついた。

 紅茶を入れていたメリンダがびくっと体を揺らす。

 初日に叱りつけて以降、彼女はよく仕えてくれている。だがいまだにアレクシアを恐れているようだった。

 ため息の原因は、メリンダではない。婚約者レニーである。


(ここ一週間、食事以外の場では話すらしていない。そんなことでは、彼に影響を与えるどころか彼のことを知ることすらできないわ)


 奥手と言えば聞こえがいいが、男女のことに関してはボーッとしているようだ。

 ただここに滞在して和やかにガードナー家の人々と食事をしていてもいたずらに時間が過ぎるだけだし、どうしたものかと思案する。


 そんなアレクシアの悩みを察したわけではないのだろうが、昼食の席で、午後からの訓練を見に来ないかと辺境伯が誘ってきた。

 彼自らレニーに稽古をつけるのだという。

 アレクシアは承諾し、午後になってメリンダに案内され訓練所を訪れた。

 予想に反して騎士たちはおらず、辺境伯とレニーだけが広い訓練所の中にいた。

 メリンダが去って訓練所内に三人だけになったところで、辺境伯がさて、とアレクシアの方を向いた。


「ようこそ、アレクシア嬢。ああ、騎士たちは追っ払っておいたよ。騎士たちに後継者候補の情けない姿を見せるのは忍びないのと、その情けない姿を見て君が王都に帰ってしまうかもしれないからな。婚約者のお披露目には少し早い」


「……左様ですか」


 そうとしか言えなかった。

 アレクシアの目の前には、大きな木剣を肩に担ぐように持っている辺境伯と、木剣をだらりと下げているレニー。

 まだ訓練を始めてもいない二人の間にはなんともいえない緊張感があって、ぴりぴりとした空気が肌を刺すようである。

 二人が真剣を腰から下げているせいもあるのかもしれないと思った。

 レニーがアレクシアに視線を向ける。


「アレクシア嬢、壁際まで下がっていていただけますか。訓練所は広いとはいえ、万が一にもあなたに何かあったら大変です」


「承知いたしました」


 言われた通り、壁際まで下がる。

 同時に、二人が木剣を構えた。


「さて。私は是非アレクシア嬢に家族になってもらいたいが、だからといって騙すようにお前と結婚させる気は毛頭ない。だからお前のヘタレな部分もちゃんとアレクシア嬢に見てもらう。容赦はしないぞ、息子」


 レニーが何か答えるよりも早く、辺境伯が距離を詰める。

 振り下ろされる辺境伯の一撃を、レニーが受けた。続く攻撃もレニーが受け、次は彼が反撃に出る。

 木刀が激しくぶつかり合う音が、幾度となく訓練所に響いた。


(剣のことに詳しくはないけれど、ほぼ互角に見えるわ。そういえば真剣でなければ大丈夫ということだったわね)


 たしかに辺境伯が後継者候補から外すのを迷うだけあって、腕はいいようだ。

 とそこで、辺境伯が木剣をレニーに投げつけた。それをレニーが払う。

 その隙に、辺境伯は腰の大剣を抜いた。

 レニーの顔色が明らかに変わり、構えに乱れが生じる。


「ほらお前も剣を抜けよ、息子」


「……抜けません」


「私の剣を木剣で防げるとでも? 死ぬぞ」


「……」


 二人のそんなやりとりを、壁際のアレクシアはハラハラしながら見ている。

 さすがに自分の目の前で息子を斬り殺すことはないだろうと思いながらも、剣を構える辺境伯の迫力は身がすくむほどだった。


「父上、アレクシア嬢の前です。このようなことはやめてください」


「女性を言い訳にして逃げるのか? あー情けない。この父がその軟弱な根性を叩き直してやろう!」


 辺境伯が振りかぶり、剣を容赦なく振り下ろす。

 それをレニーが下がって避けた。

 繰り出される剣を避け、木剣で軌道をずらすが、辺境伯の攻撃をすべてかわし切ることはできず、レニーの体に小さな切り傷がひとつふたつと増えていく。

 アレクシアは何度もやめてと叫びそうになったが、ぐっとこらえた。

 辺境伯領の後継者問題や騎士としての領域にかかわることは、普段安全に暮らしている自分が口を出していい問題ではないと思っている。


(でも……いくらなんでもひどくないかしら、仮にも婚約者の前で!)


 レニーがいったん距離をとり、腰から鞘ごと剣を外して構える。

 だがあくまで剣は抜かない。

 鞘と剣は、革紐のようなもので固定してあった。


「はっ、まだ抜かないか。剣を扱えぬ男は次期辺境伯どころか騎士ですらない。アレクシア嬢もこんな情けない男には死んでもらったほうが幸せだろうよ!」


(そんなこと一言も言っていませんけど!?)


 アレクシアの心の叫びをよそに、戦いはさらに続いていく。

 剣を受け止められるようになったことで互角に戻ったが、何度目かの辺境伯の攻撃で、革紐が切れたのかレニーの鞘がすっぽ抜ける。

 レニーの手に残るのは抜き身の剣。

 彼は体を硬直させ、剣を手放してしまった。

 石造りの床と金属がぶつかる音が響き、辺境伯が攻撃の手を止める。

 二人の息遣いだけが、訓練所に響いた。


「ヘタレが」


 吐き捨てるように言いながら辺境伯が剣を収め、アレクシアはほっと息を吐く。


「いつまで女々しく心の傷などと言っているつもりだ。そんなことで民を守る辺境伯が務まると思うのか」


 レニーは何も答えず、ただうつむいている。


「民どころか女性一人守れないだろうな、今のお前なら。例えば私が腕の立つ犯罪者で、目的がアレクシア嬢だったとしたら、お前は剣も抜かずに彼女が攫われるのを黙って見ているのか?」


「……」


「お前が一般市民ならそれも仕方がない。だが辺境伯子息で私以上の才能を持つお前が、過去を言い訳にして真剣を扱えず、そのことで大事なものを守れないというなら。お前は剣も辺境伯子息という立場も捨てて生きろ。婚約者も、お前にはもったいない」


 レニーに背を向け、辺境伯がアレクシアの方に歩いてくる。

 いつものおおらかな雰囲気の彼とは違っていて、アレクシアはひやりとした。

 彼が少し困ったように笑う。


「荒事に慣れていないレディにおかしなものを見せてしまって、すまなかったな」


「……いいえ」


「じゃあ私はこれで失礼するよ」


 カツカツと靴音を鳴らして、辺境伯が訓練所から去っていく。

 荒々しいながらも、魔獣と戦い民を守ってきた彼の言葉にはたしかな重みがある。

 その広い背中に、彼が辺境伯として背負ってきたものの大きさを垣間見た気がした。

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