第14話 王子、弟に会う
離宮で謹慎中のクリストファーは、昼間から部屋で酒を飲んでいた。
二度目にここを訪れたグレアムの「近くで熊の爪痕が発見されました」という報告で庭園にすら出られなくなってしまい、たまる一方のストレスに耐えかねてそうしている。
気晴らしにと離宮の中を歩き回ったところで、静まり返った空間に自分の靴音が響くのみ。
娯楽もないうえに部屋以外の場所がかび臭いので、結局ほとんどの時間を部屋で過ごしている。
使用人は皆無口すぎるほど無口だが、それは王宮でも同じである。ただ、この異様に静まり返っている離宮の中では、使用人たちの人間味のなさがより一層不気味に感じられた。
一日が、ひどく長い。
昼間はグレアムが暇つぶしにと持ってきた本を読んで過ごし、夜は風や葉擦れの音しか聞こえない部屋で眠る。
グレアムの三度目の
暇すぎておかしくなってしまいそうだと思っていたそのとき、ノックの音が響いた。
グレアムかと思ってろくに返事もしなかったが、入ってきたのは弟マクシミリアンだった。
「遊びにきてしまいました。入ってもいいですか?」
「マクシミリアン……! ああ、もちろんだ。退屈でおかしくなりそうだったんだ」
久しぶりにまともに話せそうな人物の登場に、心が躍る。
同時に、せめてグレアムは毎日ここに来ればいいものを、自分の従者なのに何をやっているんだと不満に思った。
「ちゃんと許可を取った上で来たので、安心してくださいね。王族でここに来ていいのは僕だけのようです」
つまり母エレノーラ妃はここに来ることができない。
おそらくそれがブラッドフォード侯爵の出した条件なのだろう。そう思うと、歯噛みしたくなった。
「早く離宮での謹慎が解かれるといいのですが」
クリストファーの向かいに座りながら、マクシミリアンが言う。
「そうだな。どうしても会いたいというミレーヌに押されて会ってしまったのが失敗だったよ」
そうまでして会ったというのに、あまり喜びを感じなかった。
むしろ頭の中ではアレクシアの存在が大きくなりつつある。
そして後悔し始めていた。
なぜミレーヌに惹かれて婚約破棄までしてしまったのか。順風満帆な人生をふいにするほど、本当にミレーヌを愛していたのか。自分が本当に愛していたのはアレクシアではなかったのか、と。
「ミレーヌ嬢、ですか。兄上の立場を考えれば、どうしても会いたいなどと言うのは少し身勝手に思えます。話を聞く限り、思ったよりもしたたかな女性だとも思いました」
ミレーヌを悪く言われてもクリストファーが腹を立てることはない。それどころか、「そうかもしれないな」と同意してうなずいた。
「その点、アレクシアはわがままを言うこともなかったし、私の立場も考えてくれていた。それに、良くも悪くも真っ直ぐだった気がするよ」
「アレクシア嬢のこと、惜しいと思っているのですか」
「今さらだろう。もう彼女は辺境伯子息の婚約者なのだから。いまだに婚約届を提出していないのは解せないが……」
「僕もグレアムからそのことを聞きました。おかしな話ですよね。もしかして後継者問題がかかわっているのでしょうか」
「後継者問題?」
クリストファーが首をかしげる。
後ろで一つに結んだ長い金髪が、さらりと揺れた。
「レニー卿は、辺境伯の唯一の息子であるにもかかわらず後継者に正式指名されていないとか」
「なに? それはなぜだ?」
「詳しくは知りません。ただ重大な欠点があるとかなんとか……」
「そんな男を、政略結婚とはいえブラッドフォード侯爵、ひいてはアレクシアが選んだというのか?」
「アレクシア嬢のような素晴らしい方とは釣り合いが取れませんね。彼女に相応しいのは、それこそ王族やそれに連なる者くらいでしょう。侯爵が了承さえしていれば、王妃にすらなれる人だったというのに……」
遠くを見るような目でマクシミリアンが言う。
アレクシアは王太子となるべきマクシミリアンの妃となることはない。王はそれを望んでいたが、今までどおり未来の王妃をブラッドフォードから出すことはないと侯爵が断ったのだ。
(やはりマクシミリアンはアレクシアのことが好きなのか? なんて惜しいことをしてしまったのだろう。優秀で何もかもを手に入れる弟が決して手に入れられない彼女を妻にしていれば……)
クリストファーの弟に対する感情は複雑だった。
無邪気に兄と慕ってくれた弟を可愛く思う気持ちはあるし、現在の仲も悪くない。
だが、妬ましいという気持ちも強く、彼の悔しがる顔を見たいという歪んだ欲望があった。
「アレクシアは、私への気持ちなどもう忘れてしまっただろうか」
「兄上を愛していたのでしたら、そう簡単には忘れられないと思いますよ」
「心底反省し、やはり愛しているのはアレクシアだと伝えたら、彼女は戻ってきてくれるだろうか」
「正式な婚約をしていないので可能性がないわけではありませんが、どうでしょう……彼女は気が強く誇り高いので」
「そうだよな……」
「とはいえ、惜しいですよね。兄上の気持ちはわかります」
マクシミリアンが、なんともいえない笑みを浮かべる。
照れているようにも、仄暗い欲を抱えているようにも見える笑み。
「ああいう女性が自分だけを見つめて自分だけにすべてを許すというのは、格別でしょうね」
クリストファーの背筋にぞくりとした感覚が走る。
婚約中だというのに口づけひとつ許さなかった彼女が、夫となった自分に愛を囁き、自分のすべてを受け入れたとしたら。自分が彼女のすべてを支配できるとしたら。
そう思うと、たまらない気持ちになった。
(だが、このままでは彼女は辺境伯子息のものになってしまう。彼女が他の男のものになるなんて……しかも田舎貴族の後継者にすらなれない男に)
奪い返したい、とそのとき初めて思った。
同時に、彼女が再び婚約者となってくれれば、父王も自分を見直すのではないかと。
(まずは自分が間違っていたと反省する手紙を彼女に書こう。君も悪かっただなんて少しでも書けば気の強いアレクシアは反発するだろうから、とことん下手に出るんだ。それから……)
マクシミリアンが言っていた“重大な欠点”とは何なのか。
「少し調べさせるか……」
独り言のようにクリストファーが言う。
マクシミリアンはただ笑みを浮かべた。
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