とこしえ屋

@chiharu200607

夢を失ったかつての子どもたちへ

『これを読んでいる私は今何をし、何を成し遂げたいと思っているのか』

 本を開いてすぐに、この一説が飛び込んできた。いや、本ではない。これは誰かの日記帳。流れるようにしなやかな、それでいて重みを感じる、不思議な字。誰が描いたのかという私の疑問に答えをくれる手がかりなんて皆無で、それがより魅力的だ。

 田舎で生まれ育った私は、幼い頃から東京に強いあこがれを抱いていた。それは高校生になった今の健在で、その憧れは並大抵のものではない。あまりにも私が東京の話ばかりをするものだから、私が家出をして胸一つで東京へ行ってしまうのではないかと両親が危惧していたほどである。どうして私が東京にあこがれていたのか。自分でも、よくわからない。ただ東京という街が、自分を変えてくれるような気がしたのだ。物心ついたころに初めて聞いた「東京」という言葉。内気な自分には珍しく、その言葉には何か魅力的なものを感じ、どうしても行きたいと感じるようになった。

周囲にもなじめず、努力もできない私。多くの大人がそんなことはないと励ましてくれたが、自分ではどうしてもそうは感じられなかった。中学生のころ深く身に刻まれた悲観的なものの見方。勉強に追われ、それを理由に何も行動できない。そんな自分のままでいるのは嫌だった。人生というのは残酷で、誰も答えを教えてくれない。何をすれば幸せになれるのか、そもそも幸せとは何なのか。大人でさえもわからないこの問いに、どうして私が答えを見つけられるはずがあるのだろう。みんなと同じく勉強して、大学に行って、就職して。何の変哲もない道を進んだ先に希望を見出すには、私は少し大人になりすぎていた。

私がこんな風に考えるようになったのは、中学生の出来事が大きく影響している。私は、学校に行っていなかった。いわゆる不登校というやつだ。別に、誰かにいじめられていたわけでも、何か重い病気を患っていたわけではない。どうしても、体が、心が言うことを聞いてくれなくなった。多くの人に後ろ指を指され、自己嫌悪に明け暮れていた。

私には、たくさんの夢があった。少し幼稚なものから背伸びしたものまで。本当にたくさん、やりたいことがあった。でも、その中学の時期は夢に向かって頑張っていた習い事も、趣味も何も手につかなくたった。

そして気が付けば、私の中には何も残っていなかった。

だから、こうして私が東京に来たのは、本当に神様が何かをたくらんだのだとしか思えない。

あれは確か夏の日。台風が過ぎ去り、まだ暑さに汗をつたらせる、そんな日。東京に降り立った私は圧倒されていた。どこを見回しても、人、人。おまけにてっぺんが見えないほど高いビルが立ち並んでいる。圧倒される一方で生まれて初めての東京に、私は心を躍らせていた。人の波をかき分け、私は小さな路地に出た。都会の喧騒を忘れそうな、冷たくてでもどこか温かみを感じる、不思議な路地だった。そして、一息ついている私の目に飛び込んできたのは、数えきれないほどの本で埋め尽くされた小さな古本屋だ。一文字瓦に格子、虫籠窓がある、昔懐かしい建物だ。まるでなん百年も前からそのままタイムスリップしてきたような異質感に、私の心は鷲掴みにされた。夏休み真っ只中の東京はどこも人でごった返しているにも関わらず、かの路地は全く人気がない。私は吸い込まれるようにその店に足を踏み入れた。

どこか懐かしさを感じる本の匂いが漂う店の奥には、着物を着たおばあさんが座っていた。目を閉じている彼女はまるで永遠の眠りについているようで、私はなんだか怖くなる。しかし、私の心配に反して、私に気づいたおばあさんは重い瞼を持ち上げ、かすかな笑みを浮かべた。

「いらっしゃい。待っていたよ、お嬢さん」

 深みのある低い声でゆっくりと紡がれるその言葉に、私は安心感と同時に緊張もおぼえる。そして、彼女の言葉が引っ掛かった。「待っていたよ」そう彼女は言った。しかし、私がここに来たのは偶然で、この店とも、ましてやおばあさんとも面識はない。

「これを」

そう言っておばあさんが差し出したのは、一冊の本だった。

意味も分からずに、私はおばあさんが差し出してきた本を恐る恐る受け取る。

『これを読んでいる私は今何をし、何を成し遂げたいと思っているのか』

 一ページ目、ひとページいっぱいを使って書かれているその言葉。私は心を見透かされたような、そんな気になる。頭を殴られたような衝撃を感じ、心拍が上がっていくのがわった。  

誰が描いたかもわからない、この日記帳。そして偶然入ったこの店と初めて会ったおばあさん。必然であるかのような出逢いに、私は心を震わせる。

夏だということを忘れそうな、暑さも湿気も感じないこの空間で。私は夢中になって日記帳を読み進めた。

『〇月〇日 晴れ

 今日は日記を書き始めた。何を書けば私のためになるのかわからない。これが今の正直な感想。そういえば今日、髪を染めた。気分転換になった。』

『〇月△日 晴れ時々曇り

 やりたいことが山ほどあって、何からしていいのかわからない。でも、とりあえずその時々でやりたいことをやろうと思う。今日は気まぐれでインスタを始めてみた。』

『△月〇日 雨

 今日は雨だったから、家でずっとごろごろしていた。YouTuberが英語を話していてかっこよかったから英語を始めてみた。It was a wonderful day.』


一年間にわたって綴られているその日記の内容は、おおむねこんな感じだった。その日起

きたことや思ったことを書いていて、等身大の姿がうかがえる。ただ、思ったことが一つあった。この日記の主は、自分とは違う世界を生きている。一日一日を楽しんでいて、何の躊躇もない。私とは正反対だ。数年の思いを募らせ、今回やっと東京に来た私とはわけが違う。羨ましくもあったけれど、心の奥のほうで腹立たしさを感じた。何もできない自分をあざ笑われているような、そんな不愉快な感情だ。

私は日記帳を閉じ、目をつむる。深呼吸をすると、高ぶった感情が凪いでいくのがわかる。

そして脳裏に浮かんだのは、私が日記帳を開いて最初に見たあの言葉。

『これを読んでいる私は今何をし、何を成し遂げたいと思っているのか』

 自分に問いかけるようなその言葉は、まるで私のために書かれたようだった。しかし、これは私ではない誰かの日記。その人自身が、自分への戒めに書いたのではないか。

 その考えに至った瞬間、日記帳の主に親近感がわいた。強いだけの人なんているはずがない。人はそれぞれ悩み、葛藤して日々を生きている。苦しみを抱えているのが自分だけではないことなんて、高校生の私にはわかりきったことだった。ありのままを書いているこの人なら、どこかのページに弱音を吐いているのではないか。

 私は一ページずつ丁寧にめくり、日記の内容を確認する。そして、見つけた。何の悩みもないような、行動力にあふれた主の弱音を。


『×月△日 雨のち曇り

 今日は一日落ち込んでいた。私は今何もする気になれないのに、社会は動いている。なんだか私だけ世界から分断されたみたいな気になった。まあ、そんな日もある。生きていれば。今日は早めに寝る。』


 どこかの誰かが言っていた。頑張れないことは、頑張ることよりもつらいのだと。何もできない日は自分を責めて、惨めになって。ライトも持たずに暗闇を彷徨っているような、そんなどうしようもない不安が心を埋め尽くしてしまう。

 どうして、忘れていたのだろう。頑張れないことの恐怖を。

 ある日ぷつっと糸が切れて、何をしようにも体が言うことを聞かない。かつての私は中学生ながら心を病んでしまって、本当に何もできなかった。

 それから数年。今では学校に行けるまでになったけれど、あの頃の内気な性格は直せなかった。自分には何もできないし、そんな資格もないような気がして、何も行動できなくなった。きっと、東京に惹かれたのは運命だ。ここに来るために、行動できることがどんなに幸せかを思い出すために、私は導かれた。

 真っ赤な綺麗な日記帳。手に取ったときには気づかなかったその美しさに感動する。もやがかかっていた心が、すっと晴れていくようだ。すべてのページに目を通し、日記帳を閉じようとしたとき、裏表紙のうらになにか文字が書かれていることに気が付いた。


『この一年で、私は何を成し遂げただろうか。そしてこの先の十年で何を成すだろうか。

 ---- の私へ』


 ----の部分は掠れていて何と書いているのかわからない。だが、前の文章から察するに、『未来』の私へとでも書いているのだろう。


 日記帳を閉じ、感嘆の息をつく。日記帳に書かれていた内容をなぞるわけではないけれど、この空間はよい意味で世界から切り離されているようだ。世間体なんて気にせず、ただ自分と向き合える。ここは私にとってそういう場所になった。


「すみません、長居してしまって。ありがとうございました」

 相変わらず眠っているようなおばあさんに言うと、彼女はゆっくりと目を開けた。そして、何も言わずに笑顔でほほ笑む。おばあさんには、最初から心を見透かされていたのかもしれない。そんな突拍子もないことを考えてみたりする。普通ではありえないことでも、この空間に鎮座しているおばあさんなら、ありえるような気がした。


 建物の外に出ると、すっかり傾いた太陽が私を形どって、路地に影が映し出される。その様子を眺めて、夢から覚めたように現実味を感じ始める。色づく空はいつもの何倍もきれいな赤色をしていて、私は思わず空を見つめる。きっと、今まで見た夕焼けの中で、最も美しい。幸せな気持ちで胸がいっぱいになって、今なら何でもできるような気がする。そんな私の見る先には、ある看板があった。ここへ来た時には気づかなかった看板。本、いや日記帳で埋め尽くされた古い建物の上に、木製の看板がひっそりと見える。目を細めてみてみると、その看板には『とこしえ屋』と書いてあるのがわかった。とこしえ、とは何だろうか。そんな疑問を抱きつつ、その看板の文字を頭に刻む。また来ると心の中で約束を交わし、路地を去った。

 東京から帰った私は、すぐに机に向かった。ノートを広げ、思いつくままにペンをはしらせる。今まで心の奥でくすぶっていた未来への野望が、烈火のごとく燃えている。『とこしえ屋』で見た日記帳が点火源となって、一気にその炎が燃え広がっていく。

私がやりたかったこと、それは誰かのためになるような仕事。絶望の暗闇の中にいる誰かにライトを届ける、そんな仕事がしたい。かつての私が持っていなかった希望を。

『誰かの役に立つ』『カウンセラー』『そういえば昔やっていたテニスも』『小さいころ好きだった料理をやりたい』『ボランティアで地域の子供たちと交流する』

夢中になって書いていると、自分も知らなかったところで、夢や目標を掲げていたことが分かった。自分で自分を制限せずに、正直になって。ここには夢を笑う人も、できるはずないのにと指をさす人も存在しない。

思えば、東京に来る少し前の私は、具体的に何がしたいのかを自覚していなかった。勉強におわれ主体的に行動を起こすことができない自分を、ただ責めていただけだ。形のない空想の未来を自分で勝手に作り出して、勝手に落ち込む。そんな冴えない日々を今も送っていたかもしれないと考えるとぞっとする。しかしその、実像もないぼんやりとした不安を抱えていたおかげで、私は東京に行くことができた。

自分の理想のためなんてたいそうなことは言えないけれど、少なくとも一日一日を楽しみながら生きたいと思う。そして、その先の未来はきっと私が想像している以上に素晴らしいものだろう。

思い立つままにスマホを開き、ボランティア募集のサイトをタップする。私の目に飛び込んできたのは、「子ども食堂」という文字列だった。見た瞬間に、これだと確信する。安易な考えだが、これ以外にないと、私はこのボランティアに携わる運命なのだと、そう思った。


夏の暑さが和らぐ頃。私は子ども食堂を訪れた。風鈴を季節外れだと思うのは、秋が近づいてきているからだろう。

「今日からよろしくお願いします!」

 私はできるだけ元気よく挨拶をする。今まで何の行動もせずに自分の責めていたのが噓のように、活力がみなぎっているのを感じる。何も行動しないことは、行動するよりも実は甚いことなのだということが、今になって分かった。行動して消費するよりも多くの活力があふれてくる。

 



風鈴の音が響き、今年も夏が来たことを実感する。梅雨の影響でずっと湿気っていた髪も、これからは太陽の光をいやというほど浴びることになる。十年前に比べてここ数年は夏の暑さが格段に増した。まだ初夏だというのに、気温は38度を超えている。

高校生のころ夢の街と化していた東京も、住んでみれば案外そうでもないことに気が付く。高校生だった私は、大人に理想を見出しすぎていた。そんなことを考える。あれから十年たったのに、相変わらず私の心には成長が見られない。いつまでも子供のようなことを考えて、夢を見ている。あのくらいの年頃は大人になった自分と今の自分を別にして考えがちだけれど、そんなことはない。幸せになるにはどうすればいいのか、そもそも幸せとは何なのかなんて、私が教えてほしいくらいだ。

とはいえ成長した部分もある。この十年間で、私はやりたいことを思う存分やってきた。周囲の目など気にせず、その日その日に思いついたことに気まぐれに挑戦する。そういった点では、あの頃の自分よりも気楽だろう。

今の私は、カウンセラーとしてある心療内科に努めている、ただの社会人だ。特に大きな不満もなく毎日社会の歯車として動いている。

「そうだ、日記を書いてみようかな」

 独り言をつぶやき、今日も今日とて好きなことをする。思い立ってすぐに、私は近くの雑貨屋へと歩き始める。

 そして、何も考えずに一番に目についた日記帳を購入した。これから一年間、気分屋な私に書き続けられるかはわからないが、とにかく書いてみよう。

 私は日記帳をテーブルに置き、用意したコーヒーを片手にペンを握る。まだまだ子どもの私は格好をつけて、誰に見せるわけでもないのにペン回しをする。ペンを回しながら日記帳を眺めていて、私はあることに気が付いた。それに気が付いた瞬間、私の心に雷のような大きな衝撃が走る。

 私の目の前にあるのは、転機となったあの赤い日記帳そのものだった。あの時感じたほどの輝きは感じないものの、遠い、だけれど鮮明なあの記憶が、今目の前にある日記帳に重なる。初めて東京に来た、あの日。あの暑さを体が、あの興奮を心が。お節介にも回顧させる。

 まるで高校生のあの頃の輝きを思い出すことを強要されているようで心外だ。心は幼いといえど、今の私にまだ幼かったあの頃の私が期待するような希望は詰まっていない。それに十年も前の、しかもたった一度きりしか読んでいない言葉を思い出すことなんてできない。だから、私が今あの頃の私に一番訴えかけたいことを、大人になった私の文字と言葉で書きだすしかない。

『これを読んでいる私は今何をし、何を成し遂げたいと思っているのか』

 今の私ですらも、いやきっと全世界の人が戸惑うであろうこの質問は、文字とは裏腹な投げやりな考えをこめている。自分の書いたこの言葉を眺めると、妙にしっくりきた。パズルがはまったような、言葉にできない快感を覚える。

 この一年は、一度童心に帰ってみよう。若かったあの頃と同じくらいの熱量で、日々を生きてみよう。ここ数年は飽き性を発揮していた私だが、根本的には私は凝り性のはずだ。そうでなければ、今カウンセラーとして生活できているはずがない。

 それからの日々は、ほんの少しだけ彩りが増した。例えばいつもの食卓にもう一品加えられたような、そんな絶妙な彩りが。とはいっても、ドラマのように突然何かが変わることはない。あくまで今までの日々の延長であることに変わりはない。仕事に行って、ご飯を食べて、日記を書いて寝る。たまに気の向くままに散歩してみたり、海外旅行をしてみたり。世界が注目するような何かが自分にあればいいけれど、そんなものは夢物語だ。

 月日が経つのは早いもので、気が付けば寒さを超えまた風鈴の音が響いていた。

 最後のページを書き終えた私は、相変わらず好きなコーヒーを片手に息をつく。そして、背表紙の裏に申し訳程度の華を添える。

『この一年で、私は何を成し遂げただろうか。そしてこの先の十年で何を成すだろうか。

 16歳の私へ』


 自分の中にまだ眠っていた大人の理想像になりきって、ポエムのような一説を書く。高校生の頃、自分がそれなりの年になったと勘違いしていた。自分が大人だと感じている今の私も、きっとさらに十年後には「あの頃はまだ子供だった」なんて呆れられているかもしれない。十年後の自分の姿を想像すると、現実味がなくて思わず笑ってしまうが、それは確実におとずれる私の未来だ。

 あの時の、あの路地裏。どうして今までここを訪れようと思わなかったのだろう。日記を片手に、私はぼうっと考える。なんだか不思議な温かみはあの頃のままで、私はその建物の屋根についている看板を見上げる。

 そして、腑に落ちた。あの頃はわからなかったが「とこしえ屋」とは「永久(とこしえ)屋」、つまり永遠を意味する言葉だ。

 夢みたいな、突拍子もない考えが頭をよぎるが、頭を振り払う。「永久屋」がどういう場所かなんて、私には関係ない。少なくとも私にとっては人生を変えてくれた、かけがえのない場所。それでいいじゃないか。

 なんとなく一礼して、路地を去る。

 空を見上げると、やっぱりいつもと変わらない。だだっ広い青がどこまでも続いている。でも、それだけのことが私にとっては嬉しかった。魔法をかけてもらったようになんでもできる気がして、私はスキップをしながら家路に

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