第5話/血肉

 灰坂は俺を気遣っているような雰囲気があるが、言っていることは身勝手そのものだ。それなのに「私はあなたの気持ちも慮っていますよ?」とでも言いたげな、自分を卑下するような笑みと言葉遣いが気持ち悪い。


「とりあえずどっか、外行こうか? 公園とか」

 時刻は深夜1時ほど。この時間帯なら人はいないだろう。

 俺は灰坂に促されるままに靴をはく。部屋の奥にいたツルヨも不安げに駆け寄ってきた。

「私も一緒に行きます」

 灰坂は驚いた顔でツルヨとそのメイド服を見る。

「彼女さん? それはコスプレ?」

「私はジロウ様のメイドです」

「美人さんだねえ。いいねえ、次郎くんは」

 教えていないはずなのに、灰坂は俺の名前を呼ぶ。

 俺たち三人は少し歩いたところにある公園に向かう。メイド服と中年男と俺。昼間なら好奇の視線に晒されたに違いない。

 決意と緊張の混じったような表情で歩くツルヨの横顔が、夜道の中でなぜかはっきり見えた。

 深夜の公園は乾いたような静けさで、滑り台やブランコといった遊具はやけに脆そうに見える。公園が持つ温かさのようなものが感じられない。そういう冷たい場所で俺と灰坂は向かい合って立ち、ツルヨは俺の後ろに控えている。

 後ろ手に組んだ灰坂は相変わらずの笑いを浮かべながら言う。

「じゃあ始めますか。殺し合い」

「その前に一つ聞いていいですか」

「いいよ、次郎くん」

「どうして俺を殺したいんですか?」

「願いが叶うって聞いたよ」

「誰に?」

「声がしたんだよ」

 イカレてるのか?

「その声の人がこれを付けてくれて、甲斐次郎を殺せば願いを叶えてやるぞ~って言ったんだ」

 灰坂が後ろ手に組んだ手を前に出すと、右腕に大きなサイの頭がくっ付いていた。動物のサイだ。大きく太い角が生えている。

 すごいのが来たな。

「この頭はねえ、けっこうすごいんだよ」

 灰坂は手近にあった滑り台に向け、サイの頭が付いた腕を叩きつける。すると滑り台はペッコ~ンと情けない音を立て、粘土みたいにひしゃげて曲がった。

 自分の力を誇示するのに公共物を破壊するのも厭わないなんて、とっても恐ろしい。

「こんな力をくれるんだから、願いだってきっと叶えてくれると思わない?」

「うん、思う」

 こういうスーパーパワーを人に与えられる神様みたいな奴が、その力をもってして俺を殺したがっている。しかも何でも願いが叶うというおまけ付き。そこまでしなくても神様的パワーがあるなら念力とかで俺を殺せないのかなって思うんだけど。

 灰坂は可哀想な自分を演出したい奴がする顔を俺に向ける。

「だからさ、死んでよ。僕って結構さ、人生終わってて。もう45でさ、人生こっから逆転とかないわけ。君を殺すことだけが人生の展望なの。でもそういう状況でも卑怯なことはよくないじゃん? だから正々堂々、ご挨拶して、勝負って形でやって、次郎くんの方もまあ、死んだにしてもスッキリできる形がいいかなって。誠実とは言えないかもだけど、これなら次郎くんも嫌な気持ちしないよね?」

「今から殺す相手にそんな自己弁護する必要なくないですか?」

 灰坂は恐縮だとでも言いたげに頭を掻く。

「でも僕さ、そういう度胸もないからダメなんだよなあ。いっつも人の気持ちを優先で考えちゃってさ、ここ一番で力が発揮できないんだよ。優しさって裏返せば気が弱いってことじゃん?」

「夜中にいきなり呼び出して、何の力もない俺をすごい力でぶっ殺すあなたは、かなり優しくないと思いますよ」

「いやいや弱いよ。ダメな優しさでさ、こうして正々堂々勝負とか挑んじゃって、甘いよね? 次郎くんに都合がいいよね?」

「俺を殺そうとしてる時点で、自分の都合しか考えてないんじゃないですか?」

 灰坂はまるで怯えるように目を泳がせる。

「そうかなあ? そう見えちゃったならごめんね。じゃあ後日にしようか? また次郎くんの都合のいい時でいいからさ。勝負の前にやりたいことあるとかでしょ? それが済んだらまた連絡してよ」

「俺を殺さないって選択肢はないみたいですね」

「それは、まあ……そうなるかなあ」

 この男はただ願いのために俺を殺すという最大の身勝手から目を逸らし、何の筋も通ってない自己完結な誠実さを俺に押し付けている。それが誠実であると認めさせようとしている。我儘なくせにそんな自分を認める器もない。小さい男。

 そんな人間にも人を殺してでも叶えたい願いがあって、そのために死んでやるのは善であり優しさではないのか? その願いが何かも知らない。でも他者の求めに応じ、自己犠牲をし、それによって利益を与える。それは善であり優しさなはずだ。こういう中年にこそ、俺は俺の全部を与えたい。どうせ誰も欲しがらない俺を、誰にも救われない中年に捧げたい。言動とあの不快な笑顔を見れば、この男が社会や他者から著しく何かを受け取り損ねているというのは理解できる。

 中年男に命を捧げるという絶対の善。俺はそれが欲しい。

 この世界に何の良い影響を与えられる自信もなく、ただ六畳一間に引きこもっているより、誰かに価値を与えて死にたい。

 生きている意味が、こんな俺にもあったって思いたい。中年の腕に抱きしめられながら息絶えてそれが感じられるならそれでいい。それがいい。誰だっていいから、俺がここにいてよかったって思ってほしい。

「いいよ、殺してくれよ。勝負なんかしない」

「マジで!?」

 灰坂は喜び勇んで歩み寄ってくるが、後ろに控えていたはずのツルヨが前に出て俺たちの間に立つ。まるで俺を守るみたいに。

「ジロウ様は殺させません。ジロウ様も殺してくれなんて、冗談でも言わないで……私が一緒に戦うから」

 ツルヨの言葉には妙な確信があった。自分にはそのための力があるとでも言いたげだ。

 灰坂は困ったように肩をすくめる。

「女の子には、手出ししたくないよ」

 俺もツルヨを下がらせようと彼女の肩を掴む。

「いいよ、ツルヨ。君みたいな子があのサイの頭と戦ったら、危ないよ」

「大丈夫。ジロウ様と一緒なら、あの変な人に負けないよ」

 瞬間、灰坂がサイの頭の腕を振り上げてこちらへ駆け出す。

「変な人とか言って怒らせたそっちが悪いんだからねこれはさあっ!」

 中年の発作的な怒りがツルヨに迫っている。俺が死ぬのは良いが、ツルヨが巻き込まれるのはダメだ。

 だから、まだまだ死にたいってすっごく思うけど、少しだけこの男に抵抗する力が欲しい。

 そういう俺の中途半端で強い覚悟も意思もない、その場しのぎなだけで決意と呼ぶことなんかおこがましい曖昧な気持ちに、ツルヨの身体が応える。


 ツルヨの身体は血を噴いて捻じ曲がり、メイド服の少女が別のなにかに変形し始める。


 まずツルヨの胸骨が体表と服を貫通してせり上がり、顔を守るように180度回転。同じく腕も上に回転。次に腰から下を90度横に捻れる。足が両膝を内側で向き合わせるように捻れ、両足がカチリという音と共にくっつく。さらにツルヨの脛骨・大腿骨が肌を突き破り迫り上がる。その骨はまるで削り研いだ刃のようで、ツルヨの曲がった足に沿って刃が生えているような形になる。

 最後に首の骨が持ち手のように肌から飛び出し、俺はそれを握る。


 そうしてツルヨは、血肉の紅に彩られた大剣へと姿を変えた。

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