第2話/ご飯にする? お風呂にする?
夜。仕事を終えアパートに帰ってきた俺はドアを開ける。するとツルヨがメイド服のフリルを揺らしながら駆け寄ってきた。
「おかえり〜! お風呂沸いてるよ〜」
「え?」
驚いて返事ができない。お風呂なんか沸いているはずがない。
だって水道もガスも未払いで止まっている。
「ん? どした?」
「なんでそんなことしてくれてるの?」
「あなたのメイドだから!」
「はあ……」
「とりあえずご飯にしようよ。お仕事終わってお腹減ったでしょ? 食べながら私の話聞いて!」
ツルヨの言うことはわけがわからないけど、問い詰めるのも面倒なのでどうでもいい。
「わかった。ご飯ってなに?」
「カップ麺とかある?」
ゴミだらけだった部屋もそれなりに綺麗にされていた。
ツルヨに促されて座卓の前に座る。目の前にはお湯の入ったカップ麺と、皿に盛られたツルヨの舌肉があった。
このカップ麺はいつだかに買ったけど結局食べることなく戸棚の奥に仕舞っていたやつだ。この部屋に他に食材などない。昔はよくカップ麺を食べたが、水道とガスが止まってからは買わなくなった。今は一日一つコンビニの菓子パンを食べるだけの生活をしている。
「お湯、どうしたの?」
この部屋にはキッチンも鍋もある。だがガスと水道が止まっている。どちらも半年以上前から払っていない。お湯を沸かせるはずがない。
目の前に座るツルヨは自慢気に胸を張る。
「私、アツアツのお湯を出せるんだ。なんてったってメイドだからね」
ツルヨは得意げに笑った後、途端に顔を赤くする。
「も、もちろん口から出したお湯だからね!? ちなみに冷えた水も出せるから! 私がいればジロウ様は水に困らないんだよ!」
「へえ、すごい特技だね」
もっと驚くべきかと思ったけど、気力が湧かなかった。
「さあ、冷めないうちに食べちゃってよ。私のお湯で作ったカップ麺と、私の舌肉!」
俺は早速食べようと箸を手に取る。
「待ってジロウ様!」
険しい表情のツルヨ。視線が突き刺さるようだった。
「どうしたの?」
「いただきますって、ちゃんと言わないとダメだよ!」
「ああ、そういう……」
しばらくその言葉を口にしていなかったので忘れていた。ツルヨは人間っぽくないところばかりなのに、こういうことは大事にしたいらしい。俺は手を合わせて一緒に「いただきます」と言い、それからカップ麺を口にする。
「うまい」
普通のお湯で入れたカップ麺と何も変わらないで普通に美味い。
舌肉も食べてみると、朝食べたものよりしっかり塩味がついていて美味い。
「どうやって味付けしたの?」
「私の塩!」
ツルヨはスイカの種を吐くみたいにフッ!と何かを吹く。すると座卓の上に白く輝く粉末が付着した。
「これがツルヨの塩?」
「うん。口から塩も出るんだよ。塩分もちゃあんと摂らないと体力なくなっちゃうからね〜」
「ツルヨってすごいね。ありがとう」
「口に合うようでよかったよー」
ツルヨは俺が食べる様子を見てニコニコ笑っている。
「ツルヨは食事とか必要ないの?」
「私、食べなくても死なないんだー。食べるジロウ様を見てたら心がお腹いっぱいって感じかな!」
ツルヨの屈託のない笑顔。色々な部分が人間じゃないっぽいのに、人として大事なものを彼女の奥に感じる。
思えばこんな風に誰かと食卓を囲むのはいつぶりだろう。ここにはあの中年男をもきっと癒されるであろう温かさがある。こんな俺には相応しくない。
「それで、これからの話なんだけど……落ち着いて聞いてね」
ツルヨが神妙な顔をして俺を見る。
「これから色んな人が、すごい力であなたを殺しに来るの」
「へえ」
唖然として俺を見るツルヨ。
「えっと……ショックすぎて理解できなかったかな? もうちょっと詳しく説明するね」
「別にいいよ。そういうことなら、そういうことなんでしょ」
身体からお湯と塩と上手い肉が出る女の子が言うことだから、現実感がなくても信じる気にはなる。ツルヨは信じがたいものを見るような目で俺を見ていた。
「ジロウ様はそれでいいの? だって理由もわからないのに、いきなり色んな人から殺されそうになるって言われて、それで納得できるの? 嫌じゃないの?」
「まあちょっと怖いなって思うけど……俺を殺しに来る人にもきっと事情があるんでしょ? だったらまあ、しょうがないかなって」
例えば俺を殺したいと思う人にも生きる理由、幸せにしたい愛する人、逃れえない事情なんかがきっとあって、泣く泣く俺を殺すことで人生を良くしようとするんだと思う。それが他者からどんなに無意味な殺しに見えたとしても、きっとその人はには切実かつ絶対に必要なことなのだ。
だったら俺はそれを受け入れようと思う。
俺を殺したいなら殺してくれればいい。
ツルヨは身を乗り出して涙目で俺に詰め寄る。
「私は嫌だよ、ジロウ様が死んじゃったら!」
「なんでそんな風に思うの? 俺が死ぬと困る事情があるとか?」
「だって、こうしてせっかく出会えたじゃん。これから一緒に、楽しい事とかたくさんしたいよ!」
ツルヨの喉から絞り出すような声に嘘はないように感じる。
「そもそもツルヨはどこから来たの?」
「そんなの、わかんない……目が覚めたらジロウ様の隣にいて、あなたと幸せになりたいって思ったの。わかるのはこれから色んな人たちがジロウ様を殺しに来るって事と、私がジロウ様のメイドってことだけ。私はそれだけなの」
さらにツルヨがわからなくなる。
あの子と同じ顔をしていながら、空っぽな中身と記憶。
まるで無理やり植え付けられたみたいに、俺への好意だけが都合よくそこにある。
ツルヨは縋るように俺を見て、目に涙を滲ませる。
「お願いだから、死なないで。一緒にいて」
震える瞳からは渇望が感じられる。彼女は俺を必要としていた。俺が生きるためだけに存在するような、便利な機能と強い愛を持った女の子。それがツルヨだった。
俺は他者と関係性を結んでいいような人間じゃない。
それなのに。
「じゃあ一緒にいよう」
そう口にしてしまう。
彼女の顔に、幸せそうな笑顔がゆるやかに形作られていく。理由もなく愛してくれる彼女の無垢な笑顔に罪悪感を覚える。ツルヨはそんな俺の後ろめたさもお構いなしにこちらへ手を差し伸べる。
「これからよろしくね、ジロウ様」
「うん。よろしく」
俺たちは握手をする。ツルヨの手は温かい。
それから俺はツルヨから出たお湯を張った風呂に入り、一枚の布団に二人で入って眠った。
お湯に入るのは久しぶりで、温かった。
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