納豆が嫌いで仕方ない兄の行方

武石勝義

 見返した日記には、一ページだけ意味のわからない箇所がある。


 朝食 コンビニの握り飯(鮭、五目、明太子 各1)、味噌汁(ワカメ)

 昼食 忙しくて食う暇無し

 夕食 サラダ巻き寿司セット、唐揚げ、フライドポテト、味噌汁(豆腐)、納豆


 一見したところ献立表にしか思えないが、これはほとんどのページがこの調子だから、妙なのはそこではない。最初の方は日々見聞きしたことや思ったことが綴られていたのだが、十日もしない内からほとんどその日の食事の内容を記したメモばかりとなっている。途中で飽きて投げ出すよりはマシなのだろうが、こんな日記を日々書き連ねていた兄はいったいどういうつもりだったのか。昔から何を考えているのかよくわからない兄だったが、日記を読み返してみてもわからないことは変わらない。

 ではこの記述のどこがわからないかといえば、最後の「納豆」という言葉だ。

 私の知る限り、兄は極度の納豆嫌いだったはずだ。実家の朝食では週に三回は納豆が出されていたのだが、私が物心ついた頃から、兄は頑として納豆を口にしなかった。それどころか匂いを嗅ぐのも嫌だといって顔を背け、私がパックの中でにちゃにちゃと納豆をかき混ぜようものなら、その音が気持ち悪いからやめろとよく頭を叩かれた。私が幼い頃はその都度母が兄を叱ったものだし、私も小学生高学年になる頃にはうるせえそんなこと言うとこの納豆頭からぶっかけるぞと言い返して、よく兄と喧嘩になった。

「小さい頃は納豆大好きだったのに、なんでかいきなり食べなくなっちゃったのよね」

 母は生前そう言って嘆いたが、私は納豆好きだった頃の兄など知らない。兄と納豆と聞いて思い出されるのは、先のようにろくでもない記憶ばかりだ。

 その彼が、独り暮らしをしている内にいつの間にか納豆好きに転向したという可能性が有り得るだろうか。

 あの頑固な兄があっさり食の嗜好を変えるところが、私には想像つかない。兄は食に限らず何につけ頑なで、一度こうと決めたことはよほどのことがない限り変えることがなかった。たとえば高校までは自転車で片道一時間はかかるという道程だったが、兄は身体を鍛えるためという理由で自転車通学にこだわり、晴れの日も風の日も雨の日も嵐の日も三年間毎日自転車で通い続けた。最寄りの駅から電車で通えば三十分で着くというのに、だ。大学生になると同じような理由で腕立て伏せとプランクを始めて、これも私の知る限り一日と欠かしたことがない。ジムに通うほど筋肉を鍛えたいというわけではなかったようだが、おかげで兄はすっかり顔つきが引き締まって、見かけも立派な細マッチョになった。そのくせまったく運動神経がないのは笑いどころだろう。

 だから兄が幼い頃納豆好きだという母の言葉が、私にはとても信じられない。もしかすると私のことと間違えたのではないかと思う。


 私がこうして兄の部屋で彼の日記を読み返しているのは、兄が突然行方不明になってしまった手掛かりを探るためである。この部屋は兄が勤める食品加工会社が社員寮代わりに借り上げているアパートで、兄が三日連続で出社しないというので連絡を受けた父に頼まれが、やむなく私が訪れたというわけだ。もちろん兄が行方をくらました理由など私には思いもよらず、私は部屋の中で何か手掛かりになるものがないかと探し回る内に、この日記を見つけた。日記をつけるなど想像もつかない兄だが、入社を機にまた私にはよくわからない理由で思い立ったのだろう。現に日記は入社日から始まって、一応ではあるものの毎日欠かさず記されている。もっとも途中からはただの献立表めいていくのだが。


 それにしても見れば見るほど「納豆」という言葉には違和感が拭えない。「納豆」という文字そのものもだが、日記自体もそこで終わっているのだ。日記の最後に書かれている言葉が「納豆」とは、つくづく私の知る兄にそぐわない。日付は兄が会社を休んだ、その前日付だ。兄はいったい何を考えて最後に「納豆」と書き残したのだろう。

 私はろくに物のない部屋の中を見回した。よりによって西日の当たる窓辺にある安普請のベッド。中央のちゃぶ台めいたローテーブル。その隣に置かれたクッションは座布団代わりだったのだろう、兄の尻の形に凹みきって薄汚い。床はフローリングでところどころ染みがあるが、これは年季が入っているから兄がつけたものというわけでもなさそうだ。冷蔵庫の中を開けてみればほとんど大した食材はない。目立つものといえば使いかけの醤油ボトル(大)と出汁入り味噌ぐらいだ。そういえば兄は納豆は嫌いなくせに、その他の大豆系発酵食品はひたすら好んだ。レタスサラダやキャベツの千切り、トマトの輪切りから目玉焼き、果てはオムライスやハンバーグにまでなんでもかんでも醤油をかけて食ったし、朝食に味噌汁が出て来ないと目に見えて不機嫌になった。俺の身体の七割八分は味噌と醤油でできているとわけのわからないことを言っていた記憶がある。七割八分ってまた変なところで具体的な上に中途半端だなと突っ込んだら、あと数年したら十割に達するとかさらに変なことを言い出した。じゃあ私の身体は納豆でできていると言い返したら、叩かれた。納豆は敵だ、お前は俺を殺す気かとか真剣な顔で怒り出すから、納豆に負けるとか情けないなと言い返した。兄はさらに私の頭を叩いたので、今度は私も蹴り返した。あれが最後の兄妹喧嘩だったと思う。以後兄が就職して家を出るまで、私は兄とろくに口をきかなかった。


 もう一度日記を読み返してみる。冒頭、入社初日の記述が一番長い。そこに書かれているのは憧れの食品加工会社に入ってバリバリ働くぞという気概が書き綴られていた。兄が入社した会社は中堅どころながらこだわりの味噌や醤油が人気で、内定したと聞いたときにはそこまで味噌や醤油に人生を捧げるのかと呆れたものだ。次の日には研修で工場を見学していたく感動したとあり、最強の味噌を作る、至高の醤油を作ると豪語している。よく見ると最初の一週間はわりとその調子で綴られているのだが、途中から突然ただの献立表に変わってしまった。徐々に献立表に移行したわけではないのだ。ぱらぱらと流し読みしていたから気づかなかった。いったいこの変化はなんだろう。私は手元のスマホで、兄の日記が献立表に変わってしまった日付を検索してみた。世の中の出来事が兄を行方不明に追いやったとは考えにくいのだが、ほかに心当たりもなかった。

 だがしばらくスマホの画面をスクロールさせている内に、これはという記事を見つけた。それは兄の勤める会社が新たに納豆を発売するというプレスリリースだった。これまで様々な大豆食品の開発で培ってきた知識と経験を元に、従来にない万人に受け入れられるような納豆を開発したというのだ。なるほど言われてみれば今まで納豆を扱っていなかったことがむしろ不思議なほどだが、兄には衝撃だったに違いない。今までやる気に満ち溢れていた日記が突然献立表に変貌してしまった理由が、少しはわかった気がする。もしやそのショックのあまり失踪してしまったのか。あの兄ならそんな馬鹿げた理由でも納得してしまいそうになるが、しかしその後もただの献立表とはいえ日記は続いている。では、なぜ――

 すると手にしていたスマホの画面が変わり、同時に呼び出し音をコールし始めた。画面上には「父」とある。

「どうかした?」

 開口一番そう尋ねた私に、父は困惑した声で応じた。

「どうかしたって、お前、あいつの部屋にいるんだろう。何かわかったか」

 今日私が兄の部屋を訪れることは父にも告げてあった。が、どうやら私の報告を待ちきれなくなったらしい。様子を尋ねずにはいられなかったということだろう。父にはそういうところがある。

「なんにも。部屋はがらんとして殺風景だし、日記があったから読んでみたらほとんど献立表みたいだし」

「献立表?」

「毎日三食何を食べたかってことばかりつらつら書いてある」

「日記なんてらしくないと思ったけど、そう聞くとあいつらしいなあ」

「でも最後にらしくないこと書いてあるんだよ」

「献立表に?」

「そう。最後に『納豆』って書いてある」

 父が絶句するのがわかった。やはり兄と納豆は父にとっても結びつかないらしい。

「それは……確かにあいつらしくないな」

「でしょ?」

「納豆かあ。うちで納豆嫌いなのって、あいつだけだよなあ」

「うん。病的なほどに」

「あいつの納豆嫌いの理由なあ。実は俺、ちょっとだけ心当たりあるんだ」

「そうなの?」

 それは初耳だった。母はどうしてかと何度も首を傾げていたのに、母ほど兄と接する時間の無かったはずの父がなぜ。

「あいつ、小さい頃は納豆も好きだったんだよ。味噌と醤油、納豆の三セットがお気に入りだった」

「それは母さんも言ってた」

「でもあるときさあ。お前が生まれる前だけど、俺、あいつに言っちゃったんだ。納豆は、味噌や醤油とは絶対に一緒にしちゃいけないんだって」

「え、なんで?」

「納豆菌って強力で、味噌や醤油を作るときのこうじ菌を殺しちゃうから、工場とかでは持ち込み禁止だったりするんだよ。いや、まあ、そんなこと子供に言ってもわかんないだろうから、納豆は味噌と醤油をやっつけちゃうんだぜって言っただけなんだけどな」

「私、納豆によく醤油かけるけど」

「だから作るときの話だって」

「もしかして、それ以来?」

「多分なあ。母さんから、なんかあいつが突然納豆食べなくなったって聞いて、しまったと思った」

「父さんてば余計なことを」

「だってあいつ、好きなもんはとことん好きなのはちっちゃいときからだから、それぐらいで納豆嫌いになるとは思わなかったんだよ」

 兄が頑固なのはその通りだが、もしかしたら父から聞かされた話は、幼い兄にとって納豆に裏切られたような衝撃だったのではないだろうか。可愛さ余って憎さ百倍とでもいうような、百八十度価値観を転向させるほどの。とことん頑固ゆえに、いざ転向するとなったら極端なほど方向転換する兄も、また想像しやすい。

「母さんには最後まで打ち明けられなかったなあ。今度墓前で報告するかなあ」

「そんなしょうもない理由聞かされても母さんも困るから、やめときなって」

 兄の失踪の原因を尋ねるつもりだったろうに、父の話はとりとめもない方向に脱線しそうだったので、私はそこで有無を言わさず電話を切った。だが今の電話はヒントにはなった気がする。そうか、兄は味噌と醤油を守るために納豆を憎んでいたのか。もしかしたら最強の味噌、至高の醤油とは、納豆菌に負けない味噌や醤油のことなのかもしれない。そんなものが作れるのかわからないし、作れたとしても美味しいのかもわからないが、だとしたら食品加工会社に入社したという動機もわかる気はする。いや、前言撤回。わかりはしないけど、兄の行動原理としては理解できた気はする。

 何しろ身体の七割八分は味噌と醤油でできているとほざいていた兄のことだ。きっと身体を鍛えたのも、最強の味噌や至高の醤油を創り上げるのと、兄の中ではおそらく同一線上にあるのだろう。あれはもう何年も前の話だから、もしかしたら兄の身体はとっくに百パーセント味噌と醤油に組成を変えていたかもしれない。そんなわけないだろうと自分自身に突っ込みながら、だがあの兄ならもしかしてと考えてしまう自分がいる。

 だとしたら念願の入社を果たした食品加工会社が納豆を開発しようというニュースは、まさに青天の霹靂、驚天動地の出来事だったに違いない。だが退社する手前で踏みとどまるほどの理性は残っていたということだろう。その代わりに日記はただの献立表に成り果ててしまった。だがその日記の最後の言葉もまた「納豆」……

 私はふと思いついて、今度は日記の最後の日付と食品加工会社の名前を、スマホで検索した。案の定だった。その日は兄が勤める会社が、新製品の納豆を発売した初日だった。きっと帰りのスーパーで、兄はその納豆を手に取ったに違いない。兄にとっては忌むべき、憎むべき納豆。だが会社に勤める以上、もはや目を逸らすことのできない納豆。きっと社内でサンプルを受け取るのも拒んだろうに、スーパーに並んだ納豆を見かけて、兄は現実を受け入れるしかないと頭では理解したのだ。頭では。そのまま家に持ち帰って、サラダ巻き寿司に醤油をつけて口に運び、味噌汁を啜り、口直し用の唐揚げやフライドポテトを用意しながら、覚悟を決めて納豆を食した兄の姿を思い描いた。納豆ひとつ食すのにそこまで覚悟が必要なのかと問われればそんなわけはないが、兄にとっては身命を賭した覚悟が必要だったのだ。

 アレルギーというわけでもないのに、好き嫌いの克服がそれほど大事なわけがない。もちろん常人にとってはそうだ。だがあの兄なのだ。兄はいずれ味噌と醤油の身体になると宣言していた。兄がそう言うなら、きっと味噌と醤油の身体となることを果たしたのだろう。だが味噌と醤油は、納豆に弱い――少なくとも兄の中では。

 私は再び部屋の中を見渡した。兄の気配はどこにもない。だが瞼を閉じて、鼻腔をひくつかせてみれば、どことなく納豆の臭いが残っている――ような気がしないでもない。頑固な、人一倍思い込みの強い兄のことだ。きっと納豆を食べきったところで、自らの身体を蝕む納豆菌を思い浮かべてしまったのだろう。兄の身体が内から納豆菌に浸食されて、やがて跡形もなくなってしまったところまで、私には容易に想像できた。何しろ兄は頑固だから、一度そう思い込んだら必ず実現させてしまうのだ。納豆が味噌と醤油をやっつけるという妄想まで現実化させてしまった兄は、実に兄らしいとしか言いようがない。

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