第6話 あまりもの令嬢は婚約者に自信を付けさせたい

 昨夜、無理やり早いうちに就寝してしまった私が目を覚ました時には、まだ室内も窓の外も闇に沈んでいました。

 体を起こして外をぼんやりと眺めているうちに、東の山の端あたりが少し明るみ始めて、朝が来たことを知りました。

 再度ベッドに寝転がることも考えましたが、メイソン殿下の顔がちらついて寝付けそうにありません。

 何を間違えてしまって、あんなお顔をさせてしまったのでしょうか。

 それで何故私は、逃げるように話を打ち切ってしまったのでしょうか。


 ――きっと、来たことが迷惑に、部下の方との不和の原因になってしまうから。


 ……それだけ?


 私は胸にかかる髪を緩く結い、軽く身繕いを済ませると厚い外套を羽織り、革鞄と共に城壁の上へ散歩に行くことにしました。

 まだ薄暗いですが、あちこちにかがり火がたかれ、松明がかかり、見回りや見張りの方たちもランタンを持っているので安心です。


 私もほんのり足元を照らすばかりの灯りを、自身の、携帯用の短い魔法の杖の先に灯して歩きました。

 城壁はあちこち壊れて崩れてはいるものの、歩くのにおおむね支障はありません。落下しないようにきちんと仮の柵が立てられています。殿下の気遣いは完璧なのです。


 人目を避けて歩けば、補修中の円塔と壁の間に、ちょうど死角になりそうな場所を見付けました。いい感じに積み上げてあった石材に腰を下ろします。なかなか滑らかで座り心地の良い石肌です。

 しばらくは使われずにここにあるのでしょう――というのも、昨日バーネットさんから伺ったところによれば、城壁の修理よりも居住性向上を優先することにして、作業従事者となる臨時の人手も何とか雇ったそうです。

 冬のための薪と石炭も着々と貯蓄されていました。


 ただ、余計なお世話かもしれませんが、私が王都に帰ったら現状を報告し、王家の方々に配慮を求めてもいいのかもしれません――まだ婚約者でいられるなら。

 ……婚約者でなくなったら、王都から援助とか、薬を送ったり、できなくなってしまうでしょうか。

 殿下がもし凍死でもしたら……なんて考えてしまいます。

 そう考えると、これを「栄転」なんて言ったどなたかにもふつふつと怒りがわいてきました。


 あんまり考えるとイライラしそうなので、マグカップに白湯を沸かして茶葉を入れ、実家から持って来たジンジャークッキーをぽりぽり齧ります。

 自分の機嫌を取れる手段を複数持っておくものだとは、お師匠様の教えでした。


 人目がないのをいいことに遠慮なくクッキーを齧っていると、角から急に殿下のお姿が現れて、私は慌てて口元を拭いました。

 殿下も目を丸くしています。やはり元々は少し童顔なのでしょうか、飾らない表情は可愛らしく見えました。……というよりもしかして、幼く見えることを気にされていつも目つきを鋭くされているのでしょうか。


「……し、失礼いたしました」

「あ……ああ、気にするな。邪魔したのは私だ」


 殿下は見回りなのでしょうか、軍服の上に外套を羽織っていましたが、立ち止まって見下ろされます。

 ……やっぱりお邪魔でしょうか。これからここで秘密の会議があるとか。

 そう思って腰を浮かせかけますと、やんわりと手で制されました。


「いや、いい。ところで……なぜ昨日は手紙が報告書になったんだ。昨晩部屋を訪ねたが返事もなかった」

「……済みません、昨日は早くに寝てしまって」


 いつでもお茶を飲みに来てください、なんて言っておきながら、起きていれば直接お断りをしなくてはいけなくて。私は無理やり寝てしまったのでした。


「いや、慣れない場所で疲れもするだろう。……座ってもいいか?」

「……はい」


 殿下は側に積み上げて合った別の石材に腰掛けられました。


 相手が王族じゃ断りにくいか、と殿下は聞こえないほど小さく笑い……ましたが、それが自嘲であろうことは解りました。

 それきり黙ってしまわれたので、私は鞄の中からクッキーを取り出します。


「殿下もジンジャークッキーを召しあがりますか? 温まりますよ」

「……では、せっかくだから頂こうか」

「我が家のコック自慢のレシピなんです。子供の頃から好きで」


 緊張しながら見守っていますと、殿下も一口食べられて目を少し見開かれました。

 甘さ控えめ、ショウガがピリリと効いた味。温まるし、風邪に良いのです。


「美味いな、王家うちのとも違う」

「ふふ、でしょう?」


 私は褒められて嬉しく、つい笑ってしまいました。


「何で貴女が自慢げなんだ」

「コックは家族みたいなものですから――侯爵家主催の会食やパーティーも、苦手なのを知ってせめて食事は楽しめるようにと気遣ってくれました。 

 子どもの私にとって、彼らの手にかかれば苦手な野菜が、綺麗で美味しい食事に変わっていくのも魔法のようでした」


 初めて見た魔法は兄か姉の使った光を出す魔法だったと思いますが、同じかそれ以上にすごい魔法に見えたのです。


「可愛いお菓子だけじゃなくて、野菜の切れ端からできる信じられないほど滋味深いスープも。

 だから私の薬師を目指すうえでの原風景、のようなものなんです。あまりものにもあまりものなりの使い道と価値があるのです」

「……」


 あまりもの、という言葉に殿下は視線を膝に落とされてから、私に褐色の目を向けられました。眉間に皺は寄っていません。


「時々邪魔しに行って――おやつも貰いました。毎回甘いものという訳にいきませんから、多分これは両親との相談した上の、愛の塊ですね」


 だからこそ、食べると元気が出るのです。


「そんな大事なものを私なんかにあげて良かったのか」

「お互い様では。……殿下はこの場所がお好きなんでしょう?」

「良く分かったな」

「ここを見付けられたこともですし、この石、不自然なくらい座りやすかったんです」


 殿下は息を呑むと困ったように俯かれました。


「貴女はきっと、私と違って誰にでも優しいのだろうな。

 だから……はっきり言って欲しいのだが、いつも通りの手紙ではなかったのは、あいつが、ヘイデンというのだが――あの男が声を掛けたからだろうか」


 私が一瞬意味が解らず目を瞬くと、殿下はもう一度言い直されました――まるで自分を傷つけるように。


「もう私には興味がなくなったのか、と聞いている」


 私が横に必死に首を振りますと、疑いを含んだ顔をされます。


「……そうなのか?」

「何故です。むしろ私はメイソン殿下にお勧めされたのかと思いました」

「済まない。昨日は……その方が良いと」


 昨日は。

 その言葉に、私はちょっとだけ希望を抱いて聞き直します。


「今日もですか」

「いや……」

「それなら良かったです。……そもそも、私、正直に言いますと、お勧めされてもあのような方は華やかな気後れしてしまって……」


 ああ、でもこれでは殿下が華やかでないので気後れしない、と言っているのと同じで大変失礼に当たります。

 殿下はふうと息を吐いて眉根を寄せられました。


「気にするな、その通りだからな」

「ああいえ、華やかというのは、ああいう言葉遊びもです。

 仕事の方がはっきりしていて気楽です。あれとこれを適当に混ぜておいて、なんてあいまいな指示も出されませんし、薬のレシピも、投薬の相手も処方もはっきりしているので」


 貴女にあげるつもりではなかった、なんて顔をされることがないのですから。

 ……私は昔の、遠い過去をつい思い出してしまいました。

 まだ幼い頃にほのかな憧れを抱いていた方が、私からお姉様に渡してくれと頼もうとしたプレゼント。つい私が貰えるものと勘違いして受け取ってしまったときの、あの何とも言えない気まずさ。

 あれから勘違いしないように心がけてきたのでした。


「……仕事は面白いのか?」


 殿下は少し困った顔をされてから尋ねられました。私のことを聞かれるなど意外でしたが、嬉しくて頷きます。


「はい。作る薬は様々ですが、魔法の適性のない人物でも扱えるものが多いところとか」

「……誰にでも使えることが? いや、利用者がそう思うのは解るが、魔術師がとは少々意外で……大抵は自分の力を誇示するものだが」

「私たち薬師は、勿論、新薬の開発者が自分だったら嬉しいというのはありますよ。

 ですけど、自分がその場にいなくても、誰かが必要な時にその場で役に立ててくれる。誰かを支えることができるのが嬉しいんです。

 まあ、あるのが当たり前になると感謝もされませんけど――ええと、お城の快適性と似てますね。なくなったら初めて存在に気付き、文句を言われるとか」


 そうだな、と殿下はしみじみと呟かれます。城壁から見える景色は側を流れるカーヴ川、のどかな麦や野菜の畑、森が視界の殆どを占めています。

 村はありますが、王都のように煌びやかな店が軒を連ねていたりはしません。

 何より暖かで安全な部屋とふかふかのお布団も。


「……この城はそもそも居住性に欠けるがな。400年前には砦として造られた、あの城の塔ひとつだけだったという」


 殿下の指先が、城を構成する一番大きい円形の場所を指しました。


「かつて魔物の大侵攻に対応する必要性から建て増しされ、今の城と六つの円塔、中庭、外郭ができた。あちこち壊れているが、魔物の対処には十分使えるから放棄されていない。私の見立てでは、補修さえすればあと数百年は保つと思ってる」

「そうなんですか」

「……知っているか、この立派な城壁を造る石にも限りがある。

 城壁に相応しい石材には限りがあり、切り出す手間があり、職人が要り、運ぶ手間もかかる。

 だが切り出した石同士の間を、一つでは取るに足りない小石やモルタルで埋めることで、早く、労力を減らし、少ない予算で皆を守ることができる。貴女の言うあまりものだな」


 殿下の指は、ここから見える城の上から精緻な図面を描くように動きます。まるでお師匠様が使う魔法のように。


「叶うなら浮いた金で上下水道の整備と、伝声管と……あの辺りに土塁も欲しいな。せっかくの小型投石器マンゴネルが生かせない」


 つい指先に見とれていますと、ふいに殿下が私を見て、不思議そうな顔をされます。


「……面白いか?」

「はい。失礼ながら、お師匠様やうちのコックのような……魔法みたいです。ものを創られる方たちの美しい手ですね」

「……そうか」


 殿下は少しだけ、照れたように笑われました。ほんの少しだけ。

 ……良かった、嫌われたりは、していないでしょうか。


「殿下は図面など引かれるのですか?」

「……まあ、色々な。砦とか、家、武器だとか作るし修理もする。

 地図も読むし、土塁も補給線も地図で引いて、手配して、つくる。地味な裏方仕事だが、俺はこの仕事が嫌いじゃない。むしろ好きなくらいだ。……評価はされにくいが」


 話し過ぎたな、と殿下は残りのクッキーを口に入れました。

 今までで一番、素の殿下に近いような気がして、私は残っていたお茶をお勧めしました。


「……口、付けてしまいましたが。宜しければ」

「ああ、済まない。ありがとう」

「……やっぱり手紙もいいですが、直接お伝えした方がニュアンスが伝わるような気がします」

「そうだな。こんなに話すなんて久しぶりだ」


 殿下は笑まれてから、はっとしたように顔を抑えられました。……もったいない。屈託のない笑顔はとても、素敵だったのに。


「そうですか? 殿下でしたら、その、立場以外にだって話を聞きたがる女性など……」

「そんなことはない。仮にも王子だから、今まで婚約者候補として集められた女性たちもいた。今まで何度か、好感を抱きそうになった女性もいた。

 ……しかしそこに兄弟が姿を現すだろう? おかしなことじゃない。挨拶に来る、通りがかる、仕事で、用事で。

 だが皆が皆、彼らに視線を向け気はそぞろになり、人によっては私などいなかったもののように扱われる」

「……それは……分かるような気がします」

「前回もそうだった。お互いに好感を持っているものだと思っていたが、結局は」


 殿下は笑顔を嘘のように消し去ってしまって、遠い目をされます。

 殿下の、好感を持った方とは……どなたなのでしょう。噂でお相手として何人か名前の挙がった方は聞いたことがありますが。

 胸がちくりと痛みました。


「貴女と会った時にもあえて目立たない庭を選んだのに、都合が悪く遅刻してしまって、貴女の相手をしに兄が来た。

 兄は王族として当然のことをしたが――あの時は貴女は私の方を見てくれたが、ただの偶然かもしれないと不安だった」


 そんなことはないと言いたいのですが、強く否定もできません。

 殿下のお兄様に見とれこそしませんでしたが、婚約解消の手紙が来るまで、どうしても結婚したいほどではなかったのですから。


「だが無事に婚約もなされたし、栄転だと言われて不安はあるが発起しようとした。兄弟より優れた部分が欲しかった。そうすれば少しでも自分を見てくれる人がいるのではないかと。

 ……だが結局、人に認められなければ予算はつかない。思ったよりも時間がかかりそうだった」


 やっぱりこの地を勧めた人は意地悪だったんじゃないか、と私は思います。殿下の能力を買ってのこととしても、タイミングが悪いです。私にとっては最悪です。


「王都から離れた北方の地に一人で、ましてや何年先に帰れるか分からないなど……。

 先日話した社交の負担は嘘ではない。だが、私にとっても、でもある。

 婚約を解消すればもうこんな思いをしなくて済む」


 殿下の声はいつしか淡々として、乾いていました。

 それは、つまり、他人と自分に期待をしなくなってしまいかけているのでしょう。

 声を掛けられると思えば人々が素通りしていくことに、隣に声を掛けることに、それだけでなくその間側で微笑んでいることを期待される私のような平凡な傍観者には殿下の痛みが、理解できる気がしました。

 ……でも。


「――でもそれはもしかして、殿下が私と婚約を続けても良いということですよね」


 私が言えば、殿下ははっと顔上げて、呆れたように。


「どうしてそうなる?」

「……殿下は今のままで十分素敵だと思いますし、お話を聞いてますます素敵だなと思いました。私が殿下をお慕いし続けていれば問題ない気がしてきました」

「話を聞いていたのか? 栄転しようとして躓くような、あいつが言ったように貴女を捨てるような、結局自分と仕事のことしか考えてない男だ」

「いいえ。私が殿下をお慕いしていれば問題ありません。手紙の量、明日から倍に増やして殿下の素敵なところを褒めまくりますね。

 ――そろそろ戻りますね。お話を聞かせてくださってありがとうございました」


 私は立ち上がって殿下に礼をします――すると、殿下の目が大きく見開かれました。

 どう考えても私に対するものではなく、私の背後を見るような……。


「……あれ?」


 私と殿下の頭上に、足元に、突然影が覆い被さったような気がして……。


「伏せろ!」


 殿下の声で私は首を伸ばし、見上げ。

 そこに大きな鷲の翼と上半身を持つ獅子の魔獣グリフォンがいるのを見つけてしまいました。

 ただその嘴は赤く燃え盛っていて、くちばしが開いて……。


 そして私は咄嗟に、殿下に飛びついたのでした。

 若いときは突っ走ることも大事だとお師匠様に激励されて来ましたが、これは暴走だとしても「いい暴走」です、たぶん。

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