第5話 あまりもの令嬢には自信がない

到着後翌日~の手紙:


『今日も手紙を受け取ってくださりありがとうございました。

 王都から持参した茶葉の中で、お好きそうなものを選んでみました。私は南方の高山のものが好きですが、殿下はいかがでしょうか』

 

『食堂天井の修理が終わりまして、皆さんほっとされていることと思います。殿下を仕事が丁寧だと褒めていらっしゃるのを耳にしました。

 川から物資が運ばれているのを見ましたが、今後補修が進むのでしょうか』


『殿下が作業している横顔は大変精悍でいらして、』

『殿下が素敵でした』『殿下は』『殿下に』……。




 何日かここで過ごして分かったことは、とにかく予算が足りていないということでした。

 それは殿下が優秀な方だとしても如何ともしがたいでしょう。


 第三騎士団の方々は、交代人員がいないとかで度重なる帰還延期に疲労の色が濃いようです。

 更に、今までここをまとめていた隊長は殿下が来たことで、副隊長と呼ばれてしまったことも、大きな不和の原因のようです。今まで通り――つまり殿下の意向と指揮などなかったように――魔物の襲撃に対応しています。殿下が受けるのはしばしば事後報告だけなのです。


 殿下の部下の方――騎士団の後方支援部隊の方々は、上意下達ができていない、士気が低いと前者を非難はしますが前線に出て自ら戦うことは任務ではないため、以前からいらしている方から見れば、汚れ仕事を押し付けているようにも、雑用係にも見えるでしょう。


 つまるところ、毎日殿下は苦心して、城壁やあちこちの修理の算段を付けて進めようとしていましたが、後者の人数だけでは捗らず、指示に従うべき前者は殿下の命令は聞き流すという状況のようでした。

 追加の人手を雇えればいいのですが、予算の多くは石材の購入に割り振られていたようです。不足すれば、いつの間にか殿下の仕事に雑用まで含まれていて、それで先日食堂で見たようなお姿だったわけです。




 私は手紙で、遠目に見る殿下や城の様子を見てここが良かったとか、進捗を毎日褒め続けていましたが、お役に立っているかは正直分かりません。


 殿下が部下の要望を叶え、不満を取り除けば慰撫になるのでしょうが、それぞれ全く課題も要望も別なので、優先順位を付ければ結局非難を受けるのは殿下ということになります。中間管理職の痛いところです。

 それも予算が少ないため遅々として進まず、責任を背負い込んだ殿下のケアをしてくださるのは実質バーネットさんお一人のようです。


 私はそんな中、少しでも役に立てばと不足分の薬を作り続けていました。


「お話は変わりますが、ご希望でお持ちした傷薬の軟膏が既に少し固くなり始めていました。おそらく厳冬期には凍ったり変質しますので、保管方法に工夫が必要になるかと思います」


 バーネットさんは時折顔を出してくださいますので、その際、殿下へ伝言してもらいたく仕事の報告をします。

 

「解熱剤、咳止め、去痰剤、頭痛薬、傷薬に火傷用の湿布に、消毒薬……保湿剤、色々。可能な限り魔力で日持ちさせておきますね」


 この中で早速幾つかは役に立っていました。

 魔物によって怪我をした方、あかぎれなどで手から血が滲んで作業を止めていた方々が、水仕事や修繕の仕事に取り掛かることができましたし、風邪の方の調子も上向きました。

 おかげで、殿下自ら雨漏りバケツや雑巾を持って歩いたりすることはなくなりました。


「帰るまでに一冬分作れるよう、頑張ります」

「ありがとうございます……っ」


 ぶるりとバーネットさんが身を震わせたのは、少々薬臭い部屋を換気しようと開けた窓から、秋風が吹き込んだからです。

 今年の冬は例年より寒くなりそうだ、と出立前に同僚が言っていたことを思い出します。


 薬作りは、薬草や石や、人にはあまり見せたくないような材料を、焼いたり煮たり、混ぜたりすり潰したり、工程は料理に似ています。

 指先に魔力を込めればぼんやりした光が雫を垂らすように落ちて行きました。

 出来上がった丸薬や粉薬などにはラベルを付けて、リストを作っていきます。


液体の魔法薬ポーションはあまり量が作れないのですが、病後の方にも飲みやすく見た目も綺麗なので人気があります。お師匠様秘伝のラズベリーチョコレート味もできますよ。こういう状況ですと甘いものが手に入りにくいので」


 お師匠様は時々それを食事代わりにしていたのですが、騎士団の方は流石にそんなことをなさらないと思います。

 バーネットさんにはメイソン殿下は何味がお好きですかと伺おうかと思ったのですが、突如やってきた婚約者が贔屓しては皆さんに悪印象だろうと、思いとどまりました。


「……そろそろ昼食の時間ですね。お持ちします」

「いえ、今日はその後、食堂で健康相談がありますので。そのほか、まだ使っていない薬のご説明をします」


 今日のお昼は何だったでしょうか。殿下が配慮して私の分も一食余計に作ってくださるようにお願いしてくださいましたので、助かっています。

 余ってなければキッチンをお借りして、切れ端か何かを適当に放り込んでスープにするから良いのですが。


 私がバーネットさんと部屋を出て鍵をかけてしまうと、彼は食堂にご一緒してくれました。

 彼は普段私に対しては常に微笑を浮かべていて、あまり表情を動かさないのですが、何となく異物同士という安心感があります。


 食堂で当番の方から食事を受け取り、隅で暖かいシチューを頂いていると、遠方から「あまりもの令嬢」という言葉が聞こえてきました。

 その呼び名を他人の口から聞くのは久々で、どきりとしてしまいます。

 何せ殿下と婚約前からのあれこれで、そんなことを言いそうな人がいる夜会はご無沙汰だったからです。

 困惑を浮かべているバーネットさんに微笑を浮かべて、耳をそばだてていると、姉妹で一番地味だとか、殿下に釣り合いが取れているとかいないとか、殿下にはもったいないとか勝手なことを話ししているようでした。

 ――確かに、殿下を慕う方から見ればあまりものなどと結婚して欲しくないに違いありません。


「噂話など気にしないことですよ」


 すっと私のシチューに影が被さったと思って見上げれば、他の方たちより線の細い印象を受ける黄土色の隊服、後方支援部隊の方がいらっしゃいました。

 金髪碧眼、華やかで涼やかな目鼻立ちはここより王都が似合っているように思います――要するに、相手に非はないのですが、気後れします。


「殿下があなたを放ってたらかしにしているから、いけない。お相手しましょう」

「私が殿下の代りにお相手をしております」


 バーネットさんが口を挟みますが、残念ながら無視されてしまいました。


「こちらにはずっと?」

「休みを取って……ひと月ほどでしょうか。それまでに薬を作り終えて冬に備えられればいいのですが」

「ひと月もここにいては寒いでしょう。宜しければ温めて差し上げましょうか」


 相手は笑顔です。嫌になるほど笑顔です。

 ――困りました。

 正直に言えば、不快な気持ちが胸にもやもやと溜まっていきます。

 この人がそうと決まった訳ではないのですが、断れば揶揄されることが容易に想像できるからです。といって受けては、軽率な女として私も殿下も貶められ、自意識過剰と言われるのです。

 夜会なら、こういうどちらを選んでも損だという選択肢からは逃げるに限ります。


 ……ですが、今ここで退いては殿下にご迷惑が掛かります。

 バーネットさんが無言で私と彼の間に入ろうとしましたが、私は立ち上がって、受けて立つことにしました。


「殿下に十分ご配慮いただきましたから、ご心配なく。もし眠れないようでしたら、睡眠薬をお渡ししますが?」


 にこりと微笑みながら、内心で次の一撃をどういなそうかとびくびくしながら考えていると、腕まくりを直しながらメイソン殿下がいらっしゃいました。ラフなシャツとズボンからして、どこかで大掛かりな作業をされていたのでしょう。

 華やかな方と服装だけではどちらが上官か分かりませんが、実務を担当するというのも人の上に立つために必要な資質で、経験だと思います。あと、腕の筋が色っぽいです。


「――お前、私の婚約者に何か用でも?」


 殿下がぎろりと擬音がしそうな視線で部下の方を見据えました。


「いやですね隊長。婚約は解消されるおつもりなのでしょう。ミス・オースティンにも次の、いえ将来の選択が複数あるのは望ましいのでは?」

「……それは」

「王族に婚約を解消されたご令嬢へ向けられる、世間の冷たい視線をご存知ないんですか?」


 殿下はすぐに渋面になられてから、私にもちらりと視線を向けました。


「……アイリス嬢も……軽率だ、油断するな」

「申し訳ありません」

「……殿下、彼女を責めるのはお門違いでしょう。婚約破棄されるのであれば名前を呼ばれるのは少々馴れ馴れし過ぎるのではないでしょうか。束縛の必要もないでしょう」


 彼の華やかな笑顔の裏に喰えないものを感じて、私は胸がざわつきます。

 お互い大声ではありませんが、王都から来た上司部下のぶつかり合いに、ちょっと人目を惹いていますし……。


 と、そんな時ちょうど良く昼食の終わりを報せる時の鐘が鳴りましたので、私はこれ幸いと声を上げました。


「――時間ですね。二人ともお仕事にお戻りください」


 正解だったようです。

 ではまた、と微笑んで恭しく私に頭を下げて去る彼を見送ると、何故か殿下はため息をついてから、私に胸板が触れそうなほど近づいて見下ろされました。

 普段から鋭い目つきがいっそう鋭くなった気がして、私は目を逸らして視線を殿下の胸辺りに落としました。


「あいつも貴族の出だ。貴女を迎えるのに……」

「そうですね。あまりものですので、王家にはふさわしくありません。我が侯爵家ではどなたでも歓迎でしょう」


 私はなるべく冷静にお返事したつもりでした。

 事実、そうなのです。両親も流石に後妻とか、相性の悪い方に無理に嫁がせたりはしないでしょうが。


「あまりものなど……そんな意味じゃない」


 戸惑われる小さな声に、私は努めて明るい声を出します。困らせるつもりは毛頭ないのですから。


「ありあわせで色々作るのは慣れていますから。食事も、薬も。普段捨てられてしまうものを十分に利用することは、消して悪いものではありません。

 ……私も仕事がありますので、失礼いたします」


 私は一歩、二歩と退き、軽い礼を取るとそれから殿下に背を向けて離れ、すぐに持参した薬品鞄を開きました。

 殿下からの視線をひしひしと感じますが、暫くしてお仕事に戻られます。

 その代わりバーネットさんが同席してくださいましたが。


 今日も、軽い怪我や病気で悩まれている方の相談に乗ります。悩みを掬い上げて対処する方法と薬を置いておけば、殿下や皆さんに、こんなあまりものの婚約者でも役に立つと思っていただけ……るの、でしょう……か。


 私は自信がなくなってきましたが、軽い相談業務と自室で今日の分の薬作りを終えると、殿下へのお手紙はいつも通り書くことにしました。

 私がどんな人間であれ、殿下の今日のお姿を思い出せば褒めるところはいくらでも思い付きました。

 割って入ってくださったこと、近くに寄ったのもおそらく他の方に会話が聞かれないよう気遣ってくださったのでしょう。


 ――ですがそれは、私が招いたトラブルなのですよね。

 結局今日の私は、仕事の報告書のような文章を書いて、バーネットさんにお渡ししただけになってしまいました。

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