第4話 あまりもの令嬢は(体温が)冷たい婚約者を温めたい

 蓋を開けたティーポット。意識を集中させた指先から蛇口のような水の流れを注ぎ入れ、今度は熱を発生させてじわじわと温めれば、こぽこぽと泡の立つ音が聞こえてきます。

 次いで炎を暖炉の薪に灯すと、暖かな光が広がりました。


「見事だな。火を出さずに温められるのか」

「ありがとうございます」


 もしお世辞でもメイソン殿下に褒められれば、自然と私の口角は上がってしまいます。

 そして殿下の目に感心したような色があった気がして、調子に乗ってしまいます。


「私の魔力は少ないので、従軍する魔術師のような魔法は使えません。ですが何かできることはないかと魔法学院に学び、お師匠様に様々な応用と魔法薬の作り方を教えていただきました」


 魔力は、魔法を扱う力の最大量――肉体で言えば体力のようなもの。

 人それぞれ得意なことに差があるように、魔力も魔法への適性も個人差が大きいものです。素質を実際に魔法・魔術という形で使えるよう、心得と共に指導するのが魔法学院の役目です。

 私が珍しく親にねだったのがこちらへの通学でした。

 結果的に仕事に繋がり、貴重な学友を得られ、自活力が付いたので本当に良い選択だったと思います。


「普通の薬の調合には勿論、魔法薬の作成にも一時的な使用が殆どなので、魔力量はたいして必要ないんです。

 魔力が少ないからというのもありますが、コントロールには自信があるんですよ」


 私は湯気の立つティーカップを、ソファに座る殿下の前、古いローテーブルに置きました。


「……美味いな」


 少し目を丸くして。殿下が口を付けられてから出た言葉に、私はもっと嬉しくなりました。

 私もお茶に口を付けます。……ちゃんと美味しくいれられていました。


「カモミールをブレンドした紅茶です。王宮のお庭で殿下とお茶を頂いたとき、とても綺麗に咲いていたのを思い出しまして」

「華やかな場所は苦手なんだ。……今考えるとあんな隅の庭などでは失礼だったか」

「いえ、あの場所がお好きなのかなと。……皆が誉めそやす華やかな薔薇園よりも、落ち着きます」

「気を遣わなくていい」


 眉を寄せられてしまいました。

 心からの、本心なのですが。

 ……そう言いたいのですが、どこか拒絶するような空気をまとっていらっしゃいます。


「……私が仕事で君を待たせてしまったとき、兄がその間、話し相手を買って出てくれたのだが……君は楽しそうに笑っていただろう。

 私はやはり女性をもてなすのが苦手だ」

「そんなこともあったかもしれません……いえ、事実としては覚えているのですが」


 笑っていたかは定かではないのですが、王族の方にそれを言うのもと口ごもってしまいました。

 というのも、華やかな方々には気後れをしてしまって、いつも自分が変な顔になってはいないか、不自然な行動になっていないかばかり気になってしまうからです。


「……冗談がお上手なお兄様がいらっしゃるのですね」

「私が15人の中で飛び抜けて下手なだけだ。冗談も、女性どころか人への接し方も。王太子に騎士団長、司教に、新たな術式を編み出した魔術師――監督生の弟たち」


 私は静かに頷きますが、殿下の淡々と語る声の中に苦みを感じ取っていました。

 それはきっと、私が兄弟に感じているものと、同じものです。


「私は今では栄転とは名ばかり、現地の兵をまとめられず雑用ばかりしている」

「そんなことを言ったら、私だって侯爵家は長兄が結婚し継いでいますし、もう一人の兄は家を出て、姉も妹も、名家に嫁いでいます。小姑がいつまでも居座ってお義姉様に申し訳ないです」

「それで早く家を出たいのか?」


 探るような目に凍り付く思いです。

 私は口下手なのです……これでは殿下を利用して結婚して家を出たいから、ここまで来たと言ったようなものでした。

 私はそこまで不敬でも自信家でも利己的でもないつもりです。

 たしなみも忘れ、勢い良く首を横に振りました。


「いいえ、全く! この縁談がまとまらなくても――結婚せずとも生きていけるように仕事で居場所を作りました。腰掛けなんて揶揄もされたことがありますが、お師匠様もずっと独身で研究一筋ですから、それでいいと思いまして」

「君ならいくらでも相手がいるだろう」

「まさか。侯爵家だからといって相手がすぐに見つかるわけでは……パーティーでも逃げていましたし」


 侯爵家出身ではありますが、目立たない私はそうとは思われないことも多く――思われても何かと面倒な噂話に挙げられるのは嫌で、隅っこに逃げていました。

 同じような隅っこ仲間の方たちと、恋愛や駆け引きとは無関係な、のどかな交流をするくらいでした。


「私などに声を掛ける方なんていらっしゃいませんよ」

「数年前だったか、王家主催のパーティーで絡まれていたのを見かけたことがあるが。場に相応しくないと私が声を掛ける前に、兄がごく自然に割って引き離した。

 そして、でも、君は……」

「な、何かしでかしたでしょうか」


 残念ながら、ろくなことをしていない自信ならあるのです。

 ですが殿下は眉間の皺を緩められますとなぜか戸惑われた表情で、


「兄に礼を言うと、私にも、助けてくれようとしたことに礼を言ってくれた。大抵の女性は兄に夢中になって私など目に入らないから、意外に思った」


 ……そんなこともあったかもしれません。王族の方々を前に恐縮して俯いていた記憶しかないのですが。

 しかし、殿下が庇ってくださったなんて、忘れていたのが申し訳なくもったいないです。

 今の私がその場にいたら、式典用の軍服で着飾られた殿下の凛々しいお姿を、じっくり観察できたでしょうに。


「それは私も同じです。男女関係なく、兄に取り次いでくれとか……男性に呼び出されたと思ったら手紙を姉妹に渡してくれ、などとよく頼まれました」


 正直なところ、当初は殿下とのお見合いも乗り気ではありませんでした。

 今まで何度か見合いめいたお茶会をしたことはありますが、両親と姉妹の美貌を期待した方々は、大抵は残念な顔をされます。

 気の利いた会話などもできませんから……盛り上がるどころか低空飛行しかしない燕のごとき経験をするたびに、結果はする前から分かっているのだと思っていましたから。

 今回も、経緯は違えど似たようなことになっていますし。


 紅茶に浮かぶ自分の顔は、殿下の前なのに浮きません。

 私が俯いていると、何故か殿下は焦ったように早口になりました。


「だからその……それが印象に残っていた。結婚願望などあまりなかったが、貴女なら一度会ってみてもいいと思っていたのは本当だ」

「そんな。私のような地味な女に失望されたのではと……」


 だって、婚約までに会話が盛り上がった覚えがないどころか、会話自体殆どした覚えがないのです。


「地味ではないだろう」


 え、と思って顔を上げれば、殿下が淡々と続けられます。


「あの時の男の目には君に対する欲があった。

 ……その、貴女のような人は……話下手で済まないが……控えめというのではないだろうか。地味というが黒髪は艶やかだし、……瞳も名のようなアイリスの花の色をしていて似合っていると思う」

「……え」


 私は思わぬ言葉に、今度こそ間抜けな声を出してしまいました。褒められたのになんという失態。

 というか、殿下、台詞が長いし、多分そんな意図はないのだと重々承知の上ですが、甘いです。


「……不意打ちです」

「そうか、素直な感想だが。……ああ、普段、私の感想など誰も気にしないからつい馬鹿正直に言ってしまう」


 殿下、それは追い打ちというものです。

 私は動揺のあまり、震える手でティーカップをソーサーに置きました。


「いえ……社交辞令でなくて、嫌われていないようで嬉しいです」


 そう言えば、社交辞令は苦手だ、と呟いた殿下の目が少しだけすがめられた気がしました。


「そ、そろそろお時間でしょうから、今日のお手紙をお持ちしますね」


 私は立つと、机の上に置いておいた封筒と、簡単に縫ったティーコジーを重ねて机の上に置きました。

 頭頂部に輪が付いた平べったい帽子のようなキルティングは、ティーポットの上から被せて保温するためのもの。寒いだろうからと布をいくらか持参したのが幸いでした。


「手紙と、ありあわせで作りましたがティーコジーです。遅くまでお仕事に集中されていると、お茶が必要でしょうから」

「……ああ……その……貰ってもいいのか?」


 戸惑われている殿下ですが、勿論というふうに私は頷きます。


「初めての贈り物がこんなもので申し訳ありません。王都に帰るのはまだ先ですが、そうなればもう少し殿下に相応しいものを」

「まだここにいるつもりなのか?」

「はい。薬の在庫も確認しましたが、皆さんの症状に合わせて幾つか作り置きをしたいです。

 それから、そう。殿下のメモを今日隣で拝見していましたが、団員の方たちの名前、病状、薬の使用方法や使用量など分かりやすくまとめられていて――ついつい私たち薬師は文書だけで残しますが、私、感動しました」

「感動……?」


 首を傾げられる殿下に、私はこくこくと頷きます。


「はい、人体図も描かれていてとても分かりやすかったのです。一目で分かるってすごいことです。本当に殿下の仰った通り、私がいなくてもメモがあれば大丈夫そうです。

 それにお城の修繕の知識はないですけど、薬品倉庫がとても整理されていました。リストや配置も考えられていて王都の倉庫より使いやすいくらいでした」


 私はぶしつけにならない程度に微笑みます。殿下のお顔はつい見とれてしまいそうなのですが、仕事の話を交えていると頭がすっきりしてくる気がしました。


 それですっきりした分、覚悟が決まりました。

 多分これが私にとって最初で最後の恋で、我儘です。

 殿下は多分ご自覚がないだけで、地味な部署にいるだけで大変有能な方なのです。私のことも含めて、周囲を良く観察されている。

 そういうことに、婚約解消を言い出されるまで気付かなかった私にはもったいないくらい。


「殿下に足りないのは自信だけな気がします。ですので私は有給が残っているだけお手伝いしますし、毎日良いところをお手紙に書いてお渡ししますね。それで、たまにはお茶を飲みに、温まりに来てください。……お仕事中、指先、冷えてましたから」

「っ……」


 何故か顔を赤らめる殿下ですが、しかめっ面より幼い感じがしまして可愛らしいと思います。

 ただ、王子のイメージとしてはそうはいかないのでしょう。難儀ですね。




 私は、残念王子なんて揶揄されている方に――そうとは全く思えないのですが――もし婚約を解消されたら、もう嫁ぎ先はないでしょう。

 それでも私がここでできることをして、殿下が解消を望まれるのなら、それはそれで仕方がないことなのです。その後はここでの経験を持って、お師匠様の世話をしながら薬を作って過ごすのも、それはそれでいいのかもしれません。


 でも、きっとこの方には他にも良さを理解してくれる、素敵な女性が見つかるはず。次のお見合いまでに自信を付けていただければと思います。

 だから受け取ってくださる関係のうちは、殿下にお手紙を書き続けたいと思うのです。

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