第3話 あまりもの令嬢は婚約者を休ませたい
この城が側を流れる川の名を取ってカーヴ城として造られたのは、400年ほど前のことだといいます。
中央部分の城はこぢんまりとしていますが、特徴的なのは城を囲む一際高く立派な城壁です。壁には張り出したかたちで円塔が6つ作られており、いかなる遠方からの、どの角度からの攻撃にも先手を取れるようになってい――ました。
ました、というのは、長い年月のうちに必要な補修がされなかったからです。円塔は一部使用不能、城壁のみならず城の外壁のあちこちも崩れてしまって、ところどころ雨漏りをし、隙間風が吹いています。
数年前からは、ここに駐留してきた騎士団の方々からも耐えられないと苦情が多く上がっていたそうです。
そんな風なので、私に殿下が用意してくださった部屋は、貴重なまともな部屋――殿下のお部屋
ここは隙間風も入りませんし暖かいですよ、と綺麗に掃除してくださった殿下の部下の方に言われれば、城での生活の大変さが窺い知れました。
その後バーネットさんに一通り城内を案内していただいた後には、本当に頂いた部屋のありがたさを実感します。
殿下が私を怒られたのも、やはり心配されてのことだったのでしょう。ポジティブ過ぎかもしれませんが。
私は薬品の調合を自室の片隅で行うこととし、他にも自分のことは自分で何とかすることにしました。
侯爵家では大部分が使用人任せでしたが、魔法学院で薬学専攻を担当されていた先生――私にとっての薬学と魔法のお師匠様は、研究に集中している時には寝食を忘れた末に倒れてしまうような人でしたから、私含め弟子は皆、卒業までに一通りの家事と看護は出来るようになっていました。
ところで、皆さんが使う薬を保管するため、倉庫を掃除していた時のことです。
「隊長、例の書類はどこですか」「隊長、靴下が不足しています」「隊長、ちょっとこっち抑えててください」「たいちょー、エールお代わり」
「……あああ、うるさい! 順に言え!」
聞き慣れない殿下の叫びに食堂を覗いてみると、雨漏りバケツを避けながら動き回っているメイソン殿下の姿が見えました。
あっちからもこっちからも頼られる殿下は、矢継ぎ早に指示を出したり回答したり。私が無駄のない動きに惚れ惚れしていますと、ふと入口の方を見られて、私と目が合い――憮然とした表情でぴたりと止まりました。
「あれ隊長、この方が噂の婚約者ですか?」
「――アイリス嬢、もう昼ですが、まだお帰りになっていないのですか」
次々に集まってきます隊服や鎧下の姿の部下の方々を背負って、殿下は言い放ちます。
殿下の背後から注がれる好奇心に満ちた目に、私は居心地悪く身じろぎしそうになりましたが、失礼にならないよう礼をします。
以前夜会で見知らぬ男性に手を引かれた際、無作法にもグラスの中身をぶちまけ衆目に晒された経験が生きたようです。
「しばらくお世話になります、殿下。
薬を作る必要もありますし、バーネットさん経由でお伝えした通り、薬品の保管と扱いについてもお話ししなくてはなりませんし。……今、お話しできますか?」
「見ての通り私は……忙しい。文書で渡してくれ」
気まずそうに顔を逸らされたのはやはり、仮にも王子がこんな雑よ――いえ、紛うことなき雑用ですね――を部下に頼まれているからでしょうか。
バーネットさんは殿下の従者ではありますが軍属ではなく仕事には不干渉のようですから、お一人でされなくてはならないのでしょう。
今日拝見した限り、本来ならこの城の全員で、訓練の他にも食事や洗濯などの日常の用事の他、殿下の指示に従って城の改修・補修を行う……はずなのですが、正直、殿下の指示は軽視されているようです。
「殿下に何でもかんでも頼むからだ」
「何だよ突然やってきて、女と遊んでる暇があったらとっとと王都から物資と人手を引っ張ってくればいいのによ。この前だって魔物の襲撃で怪我人が出てんだぞ」
後方支援部隊らしき、黄土色っぽい制服の方が言えば、反論の声が上がります。
おそらく何日も入浴していないであろう臭いをさせた男性が、私の全身を値踏みするように見ましたので、少々背筋に寒いものが走りました。
が、殿下が彼に振り返ったはずみで視界が遮られました。そのおかげで、私はさりげなく一歩下がることができました。
王都からいらした殿下直属の方々は、既に殿下とお知り合いで支援部隊出身のためか、真面目に修理などに勤めていらっしゃいますが、現地で戦闘中心に頑張っていらした方々とは溝があるようでした。
そして私は異物である殿下より、もっと異物、異質なものなのでしょう。私は殿下にとって、女とか、遊ぶ、とかいう定義には当てはまらない気がするのですがそこは置いておいて。
「……その補給品を彼女が持参してくれた。これで怪我人の手当てもできる」
「はい。私は王都の魔術師団所属の薬師ですので」
殿下の言葉に頷けば、殿下ははっとしたようにこちらを向きました。
先程の男性が声を上げられます。
「じゃあとっとと渡してくださいよ。何だったらここで塗ってもらいましょうか」
「分かりました、でもその前に必要な方はご入浴を。清潔でなければ治るものも治りませんから。……こちらに医師や薬師の方は?」
「アイリス嬢、ここには軍医がいるし応急手当なども各自慣れたものだ。貴女がする必要はない」
メイソン殿下は険しい顔になりますが、心配からわざと作っておられるようであまり怖くはありません。
「少し見て回りましたが、おそらく間に合っていないように思います。……小さな怪我からでも感染症にかかる恐れはありますから、私が皆さんの手当てをします」
「アイリス嬢――」
「文書だけよりも、その場で使用方法もお伝えした方が効率的だと思います」
お師匠様は自分が怪我や病気にかかるたびに弟子たちに見せたがっていたことを思い出します。
眉を寄せた殿下は、少し考えてから、
「……解った、どうしてもというなら同席する」
「お忙しいのでは……?」
「同席する。仮にも婚約者の女性をこいつらの中に放り込んでおけない」
何気ない一言だったのでしょうが、そんな風に言っていただけて嬉しくなります。まだ、婚約者と認めていただけるのだと。
「仮だと言った。仮だ。まだ書類上は婚約者だからな」
「承知しています」
殿下は私の顔を見て気まずそうに釘を刺されますが、釘を刺さなくても良く分かっています。撤回していただくためにここまで来たのですから。
まあ……私のことはともかく。
ここでの生活を少し見ただけでも、あらゆる環境の改善が急務なように思えましたので、これも好機と手当をしながら城内について知ることにしました。
殿下に手伝っていただき、怪我病気その他不調を拝見します、と皆さんにお伝えしていただいたところ、食堂には十数人の方々が集まりました。
殿下は何故か私の隣に座って、どうやら手当方法を見学しつつ今後は自分でもされるつもりのようです。団員の方の様子から私の服薬指導などまで大変細かくメモを取っています。速筆ですが読みやすく几帳面な文字でした。
また直属の部下の方はともかく、元々駐留していらした方たちに鋭い目を向けていたのが大変印象的――印象が悪い、のではないでしょうか。
「軽い風邪の方が多いので、喘息ならないよう早めに休息と薬を差し上げてください。
それにひび、あかぎれからも雑菌が入り込みますので、保湿の塗り薬を作りますね。仕事の効率にも影響が出ているようですから」
一通りの診察が終わるころには、厨房から夕食の匂いがたち込めてきました。流石にそろそろ邪魔になってしまうので、私は自室へ一度戻ることにします。
ですが、その後を何故かメイソン殿下が着いて来られます。
「……殿下? 何故付いて来られるのですか?」
「気付いてないのか。久しぶりの若い女性に触られ……接触した男たちが、貴女にどんな目を向けていたのか。部屋まで送ろう」
「どんな、って……。美形で有名な姉妹ならともかく、私ですよ。お忙しいでしょう。これ以上お手を煩わせるわけにもいきません。一人で帰れます」
「少なくとも、貴女が若い女性だからと、大したことのない症状でも見せに来たと思しき者たちがいた」
殿下は私に何かないように気を配ってくださっているのかもしれませんが、いらした方々の理由はそれだけではないような気がします。
「皆さん小さな怪我には慣れてしまっているでしょうが、大怪我をした同僚がいるのだから医師の診察を受けるまでもないと、遠慮されている方もいました。
病を招く不衛生や寒さに対する、小さな我慢を話してくださいましたが、こういったことは医師には話しにくいでしょう」
「……そうか、気付かないとは上官として失格だな。前隊長からも魔物と戦うのが任務だという声が大きく、部屋より城壁の修理を優先していた。多少の寒さは耐えられるものかと」
「いえ、殿下がいらっしゃる前のルーチンで慣れているのか、単に自室の修理を自分ごとと捉えていないようです」
殿下はまだ仕事に戻られない様子ですが、まさか魔法で吹き飛ばすわけにもいきませんからそのままエスコート? していただくことにします。
「それに……僭越ながら、殿下もご自身が頑張りすぎて小さな不満を飲み込まれているから、住環境などを他人にも耐えられると思われてしまうのでは?」
「そうか。そう見えるか。……確かにな。物資も人手も理想に遠く及ばないせいもあり、そう思いかけていた」
殿下は私の差し出がましい発言にも頷かれます。部下の方々への物言いは少々横柄なところがありますが、見ていれば割合面倒見の良い方だと思います。ただ診察の件と同じく何でも自分で抱えてしまうから追いついていないのでしょう。
「寝不足は、思索と健康に悪影響ですよ。昨日も遅くまでお仕事をされていたのではないですか?」
「……見ていたのか」
「慣れない場所で寝付きにくくて、廊下へ少し。……扉から遅くまで明かりが漏れていましたから」
それに実は診察中に近くで見て気付いたのですが、殿下の目の下には薄っすら隈ができているのです。
「私のお師匠様はよく倒れてましたが、そのたびに余計に看病の手間がかかりました。部下の方を思うなら休まれてください」
「貴女は王立の魔法学院で学んでいたんだったな」
「はい」
少し会話を交わしていれば、すぐに部屋の前に着いてしまいました。殿下のお顔は、食堂にいた時のお仕事モードからは少し緩まれているようです。
もしや、これは休んでいただくチャンスなのでは。
私は扉の前でありがとうございました、と頭を下げ――緊張で鼓動が早くなったような気がしますが、何とか無害そうな微笑を浮かべました。
「お忙しいと、思いますが……あ、あの……今日はお付き合いいただいたお礼に、お茶でも……いかがですか?」
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