第2話 あまりもの令嬢は、婚約者の視界に入りたい

 メイソン殿下は、王国軍第三騎士団――盾の印から灰鷹騎士団と呼ばれる、王国中の魔物討伐を主として担当する騎士団に所属されています。

 殿下はその中でも先頭を切って戦うのではなく、後方支援を担当する部署におられます。


 といっても、この場合の“後方”は文字通り戦場における騎士の背後で働くということではなく、工兵――築城や橋の建設及び破壊、一部兵器の運用・保守などを行う技術職として前線に出たり、兵站――補給線や物資の確保・手配などの作業をされるそうですので、戦場に決して出ないという意味ではありません。

 顔合わせの時、黙っている殿下に代わって、そちらのバーネットさんから伺いました。


 確かに目立つ部署ではなく正直地味なお仕事です。地味と聞きますと、私などはここにいていいのだと、何だか心がほんわりしますが、あまり出世には結びつかない部署のようです。やっぱり出世させたいと人に思わせるような、印象が大事なのでしょう。

 ……それが、王子という身分に対してどうかという話があったのでしょうか。


 ここ北の地では冬に特に魔物の出現が増えるのですが、対策として建てられていたこの城の老朽化が著しく、駐留するのに厳しくなっていたそうです。

 そこで改修工事の指揮を執るために半年前、城の主として「栄転」するため、殿下が少数の部下と共に配属されたそうで――あ。これも今、バーネットさんから伺いました。 


 殿下はこの間、ずっとティーカップに視線を注いで黙っておられます。


「……もしかして、殿下はお優しいから黙っていらしただけで、私に対する不快感を我慢していらっしゃったのではないですか? 結婚願望もあまりないと伺っていました」


 顔を上げられた殿下は厳しいお顔をされていますが――いえ。瞳の奥に不安げな色が見えるような気がしました。


「……そうだ。……いや、そうだというのは、結婚願望のことで、貴女に不快感を抱いたことはない。

 本当に、ここが想定よりも厄介な場所で、王都に帰還できるまで何年かかるか分からず、このような状況では貴女を放置することしかできないからだ。

 ……話の途中だが」


 殿下は時計を見上げられると、立ち上がられます。


「申し訳ないが、そろそろ仕事に戻らなければならない」


 突然の面会は、やはり突然に終わりました。

 何しろメイソン殿下はこの城の責任者なのですから、そうそう時間が取れるはずがないのです。


「バーネット、悪いが薬箱を……薬の種類と数を確認しておいてくれるか」

「補給品の管理でしたら従者の仕事の範囲外です。婚約者様をおもてなしせよ、ということでしたらお受けしますが」


 バーネットさんがしれっと言ったので、メイソン殿下は舌打ちでもしそうな顔をされて、それでいいと仰られました。


「アイリス嬢には部屋を用意するので、用意ができるまでここで待っていてくれ」

「かしこまりました」

「明日には王都へ出立するように。――失礼する」


 殿下は颯爽と部屋を出て行ってしまい、私はバーネットさんと二人きりで残されてしまいます。


「念のため伺いますが、薬の方は」

「殿下がご入用とのことで、魔術師団から100箱。追加分としては、薬の材料を融通してもらい……たまっていた有給休暇を使いまして、こちらに私が」

「そうでしたか。オースティン様は魔術師団の製薬の部署におられましたね」

「そうなんです。材料はホールに置かせていただいている青い鞄がそれです。この鞄には私物と、高価な薬が入っていまして」

「……申し訳ありません。殿下は悪い方ではなく、気遣っておられるだけなのですが」


 バーネットさんは黒い眉を下げられて、気の毒なものを見るような顔をされます。

 貴族社会では主人がお喋りな場合、沈黙を守られる使用人が多いのですが――彼は殿下の従者だけあって、確か伯爵家のご出身だとか――この方は主人が寡黙なためなのか、話していただけるので、私としてはとても助かります。


「ええ、存じてます。……ですので、これらが必要でしたら殿下は私を置いておく必要がありますね」

「……」


 バーネットさんの表情が、少しぎこちなくなりました。脅しとでも思われてしまったでしょうか。


「私、侯爵令嬢とかいう肩書きのせいで仕事は腰掛けのように思われがちですが、真面目に勤めてきたつもりです。

 お持ちした薬にも少々扱い方にコツのあるものがありますので、お渡しして終わりとはいきません。こちらの気候ですとなおさら。

 それに、必要なものが申請されていた薬だけでないだろうとも聞いています」

「確かにそうですが」

「殿下のお役に立てば、その間はこの城にいられると思うんです。

 そうすれば婚約解消までに……お互いを理解し合う時間を、今更ですが作れるのではないかと思いまして」

「しかし、城の兵たちは少々荒っぽく、殿下も仕事場に近づけさせないかと……」


 それは困ります。

 薬の制作には調合用の部屋を頂ければ問題ありませんが、実際に使われるところを指導する必要もありますし……。


「では、お手紙を書きますね。手紙を書けば伝言できますし、少しでも殿下の視界に入っていられると思うのです」


 物好きな、とバーネットさんの口が小さく動いたのを私は見逃しませんでした。

 長年壁の花をやっていると少々の読唇術はできるものらしいのです。でもこれは実家の侍女のミアと私だけの秘密です。


 ……確かに、物好きではあるかもしれません。

 でも、殿下が下さった最後のお手紙は王家専用の封筒の中に普段のものよりもずっと上質な便せんで、とても丁寧に綴ってくださったことが解るものでした。

 残念王子などと誰が呼んだのか分かりませんが、私では――美貌も取柄もない、結婚相手など見つかりそうもない私には、もったいないような、お相手でした。


 そもそも男性からお手紙を頂くことなど殆どない私が、今まで頂いた定型文に、ただの政略結婚と割り切ろうとしていた私が。

 どれだけ婚約破棄の手紙を喜んで、燃やして受け取ってないことにしようなんて証拠隠滅もせず、鍵のかかる机にしまい込んだか、殿下はご存知ではないでしょう。


 私自身への不快感などが理由であれば諦めるしかありませんが、そうでなければもう少し機会が欲しかったのです。

 世事に長けたミアは、これはワンチャンありますよ、と言ってました。


「それで宜しければ」

「ご迷惑をお掛けしないように頑張ります。宜しくお願いいたしますね」


 私は紅茶を飲み干して、お茶請けを頂いてから、とりあえず殿下が暖かいお茶を飲めるように、ティーコジーを作って手紙に同封しようと思いました。

 ……手紙に贈り物を付けるのは、ご令息がたの常套手段ですよね?




到着当日に書いた手紙:

『拝啓


 紅葉も見ごろを過ぎ寒さが身に沁みはじめましたこの頃、メイソン・ウィンズベリー様におかれましては、お変わりなくお過ごしでしたでしょうか。


 本日は急な訪問を快く受け入れてくださりありがとうございました。

 殿下を最後に拝見した婚約式より半年余り、心穏やかに過ごしておりましたが、頂いた手紙のことを想えば胸が高鳴ります。

 今後の婚約については殿下のお考えもおありでしょうが、ただ今はなによりこの城で殿下のお姿を拝見できたことを幸いに思っております――』

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