第62話 永遠によく似た形

 恋人になってから、れんは前にもまして、家にいる時間のほとんどをわたしの側で過ごしている。身体を寄せてきたり、抱きしめてきたり、膝の上に乗ってきたり。


 そんなスキンシップだけで、心臓がドキドキして、けれど幸せで。しかし、一方で何かが足りないような気がしていた。


 今も、わたしの部屋、ベッドの上で、わたしの太ももに頭を乗せて、れんは寝転がっている。俗にいう膝枕の体勢で、れんの顔が無防備に晒されている。長いまつげ、子猫を思わせる瞳、純白の肌。わたしの視線はれんの美しさをなぞりながら徐々に下っていって、最終的に、れんの薄い唇へと辿りつく。


 そこに吸い込まれて、自然に何が足りないのか気づいた。


「そういえば、最近れんからキスの催促をされてない」


 浮かれ気味の心が災いして、考えたことがそのまま口を突いて出た。れんは、わたしの問いかけに、身体をピクリと硬直させる。


「急になに」

「いや、ごめん。なんかふと思って」


 そう尋ねるれんの声色の冷たさに、わたしはしどろもどろになりながら答える。


 そんなわたしを追い詰めるように、れんは起き上がって、今度はわたしの膝の上にまたがって、正対する。


 顔が、強い。さっきまで、膝枕で甘やかしていたのが嘘のように、れんの大人びた美しさに気圧される。先ほどの問いかけの冷たさも相まって、心臓が委縮したようにキュッとなる。まるで、蛇に睨まれた蛙のようになっているわたしに、れんは先ほどと同じ、冷たい声色で言い放つ。


「だって、恋人同士でするキスなんだって思うと、恥ずかしい」


 声色と、言葉の内容の温度差があまりにも凄くて、一瞬理解が出来なかった。ただ、どうやら、わたしが追い詰められているのではなく、れんが勝手に自爆しただけであることが、なんとなくわかった。

 それから、じわじわと直感に理性が追いついてきて、わたしはまじまじとすぐ目の前のれんの顔を見つめる。


 その洗練された、恐ろしく整った顔で、なんてかわいいことを言うんだろう。


 そんなれんが愛しくて、笑みが堪えきれない。ニマニマしながら、さっきの発言の余韻と目の前のれんの美しさを交互に味わうように、れんの瞳をじっと見つめる。


「かわいい」

「……う、うるさい」


 れんは視線を逸らしながら照れ隠しのようにそう呟いた後、しなだれかかるようにわたしの方に、体重を預けてきた。


 そしてそのまま、あっさりと、ベットに押し倒された。仄かに朱色に染まるれんの頬が、目の前に。れんは、真剣な表情でわたしを見つめる。そんな表情を間近で浮かべられると、れんのカッコよさや綺麗さに脳を焦がされそうになる。


 こんな綺麗な子が、わたしの妹で、恋人なんだ。


 そんな風に考えて顔が熱くなって、今度はわたしの方がれんから顔を逸らす。すると、れんの細くて長い指が、わたしの顎に触れた。


「こっちみて」


 言葉と指に促されるまま、れんを再び見つめる。その美しさに捉えられる。れんは、いつもの平淡な口調で言葉を落とす。


「キス、恥ずかしいから。だから、恥ずかしいの忘れるくらい、いっぱいして」


 そう言って、恥じらいを隠すように、わたしの胸に顔をうずめる。先ほどの王子様のような振る舞いから、一転、急にむき出しの可愛らしさが落ちてくる。


 そんな落差が、愛しくてたまらない。


 わたしは、身体を、横向きにして、ベットの上、再び、れんと向き合う。


「やっぱり、キスはわたしからなんだね」


 からかうように言葉を投げる。


「そういうのいいから、早くして。心臓が爆発しそうだから」


 れんは𠮟責しながら、甘えてくる。わたしはそんなれんの様子にもう一度微笑んで、その実自分の心臓も爆発しそうなことには触れないで、顔を近づけた。


 れんが目を瞑ると同時、わたしも瞑って。弾む心臓の音だけになった意識に、れんの唇が触れた。


 久しぶりのキスは、前にもまして、甘くて。確かに、恋人としてれんとキスをしているんだって、そう考えるだけで頭に電流が走るようだった。


 れんから微かに漏れる甘い吐息や、ぎゅっと握られる手のひら。クーラーの冷気とは対照的なじっとりとした体温。混ざり合っていく鼓動。れんだけで、埋め尽くされていく感覚。


「きもちいい」


 キスとキスの隙間、れんは惚けたような表情で呟く。


「もっと」


 さっきまで、あんなに恥ずかしそうだったのに、とろんとした瞳でわたしを見つめて、首に腕を回して、接近してくる。催促してくる。その癖、やっぱり自分からはできないらしくて、目を瞑って、その美しい顔をわたしのためだけに晒す。まるで、雛のように、わたしの口づけを待っている。


 わたしはまんまと、それに誘われて。好きな人にそうされて、拒む理由も、拒みたくもなくて。


 れんの唇に何度だって吸い込まれる。何度も、二人きりの暗闇が訪れる。


 れんの唇の感触も、荒くて熱い呼吸も、いつまで経っても拙いキスも。全部全部愛しくて。


 これら全部を躊躇しなくてもいいだなんて。これら全部を、躊躇なく愛せるというのが、恋人という関係で、それはなんて幸せで恐ろしいのだろうと、そう思った。


 恋人として交わすキスは永遠によく似た形をしていた。

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