第63話 束縛

 夏休みの朝は大抵、れんが先に起きて、わたしは寝ぼけながら、部活に向かうれんを見送ることになる。


 ぎゅっとれんに抱きしめられたり、されるがままになって、やがてれんは名残惜しそうに身体を離し部活へと向かうのがいつもの流れで。


 しかし、今日は少し様子が違った。


 まずは、わたしが朝の早い時間に起きた。なぜなら、友香ちゃんに昨日、久しぶりに遊ぼうと誘われたから。ちょうど、それぞれ追いかけている作家さんの新刊が発売されるということもあり、今日は二人で本屋さんへと行く予定だ。


 そして、もう一つ、違うことといえば、れんが未だに起きていないこと。いや厳密には起きてはいるんだけど。


 目を覚ました時には、ぎゅっと抱き枕のように抱きしめられていて


「おはよう。お姉ちゃん」


 そんな挨拶が飛んできた。わたしは、ぼやけた意識のままで尋ねる。


「おはよう。この時間まで、ベッドにいるの、珍しいね」


「今日は部活オフだから。だから、一日中一緒にいられる」


 そんな言葉と共にぎゅっと抱擁が強くなる。朝のれんの体温はふわふわと暖かくて、ずっと引っ付いていたくなる。夏なのに、そんな暖かさが心地よくて、いつにもましてベッドから出たくなくなる。


 けれど、今日は、ベッドから出ないといけない理由のある日で、その理由をれんに告げるのは偲びなくて。それでも、意を決して、わたしは口を開いた。


「ごめん。今日、友香ちゃんと本屋さんに行く約束をしてて。もうちょっとで、おうち出ないといけなくて。折角れんがオフの日なのに、ごめんね。晩ご飯の準備もあるし、お昼過ぎには帰ってくるから」


 わたしの言葉に、れんの身体がピクリと震えた。抱きしめられていて、その顔は見えない。というか、抱擁がさらに強くなる。まるで、不満を表すように。そして、そんな行動に追随するように言葉が出てきた。


「やだ。いやだ。いっしょにいたい。今日は一日いっしょにいれると思ったのに」


 そんな風にいつもの平淡な口調で、冷たい声色で駄々をこねる。


「ごめんね」


 わたしは、抱擁の隙間から、れんの頭を撫でる。れんは、大人しくそれを受け入れる。


「やだ……いやだ。はなれたくない」


 わたしが友香ちゃんと遊びに行くという事実は中々受け入れられないみたいだけど。


 わたしはあやすようにれんの頭を撫で続けた。すると、れんの泣き言がゆっくりと萎むように、か細くなっていって、やがて消えた。


 それから、しばらくして、抱擁が解けた。目の前には、いつもの恐ろしく整った、さっきまで駄々をこねていたとは到底思えないれんの顔があった。

 れんはキリっと真剣な表情でわたしを見つめて、告げた。


「わかった。けど、うわきしたらダメだからね」

「それは、もちろん。……ちなみに、どこからが浮気?」

「……頭撫でられるとかダメ。ハグとか手を繋ぐとかも、もってのほか。触ってもだめだし、触られてもだめ。本当はお出かけもダメにしたいけど。高槻せんぱいは良い人だし、お友達とのお出かけまでダメっていうのは、さすがに、“そくばく”しすぎだと思うし。お姉ちゃんに重いって思われたくないし。だから、それは良くて。けど……」


 れんは、息継ぎをする様に言葉を切ってから、意を決したように力強く告げる。わたしの手をぎゅっと握って。


「お姉ちゃんは、わたしのお姉ちゃんだから。わたしの恋人だから」


 必死な顔でそう凄むれんが、愛しくて、わたしはもう一度、その短い髪を撫でた。


 結局、れんにお出かけの準備を見守られながら。もとい、引っつかれながら支度を整え、わたしは家を出た。れんに選んでもらった、青色のシャツにジーンズといった格好で。髪はれんとお揃いで買った黒色のシュシュで束ねてポニーテールにした。


「スカートとかワンピースだとかわいすぎて心配。けど、どんな服でも結局かわいいくて、ほんとに、外に出したくない……」


 服を選んでもらっている時、れんはそんなことを真顔で呟くものだから、顔から火が出そうだった。今も、思い返すだけで顔が熱くなって、夏の暑さも相まって、汗が額から流れ落ちる。


「かわいすぎなくて、けど似合うやつ……」


 そんな呪文の末に選ばれたのが今の服だけど、個人的には、シンプルでかつ涼し気な色合いで統一された今の格好はかなり気に入っている。シュシュで結わえた髪も、良いアクセントになっているし。


 シュシュを使ったヘアアレンジも、れんから提案された。


「おそろいのものを着けてくれていると、安心するから」


 そう呟くれんの意地らしさに、胸がキュッとなって、実際にシュシュで髪を束ねたら

「……かわいすぎて心配だけど、うれしい」

 そんなれんの言葉にわたしの心も満たされた。


 そんな風に内心で、れんとのあれこれを思い返しているうち、待ち合わせ場所である、ショッピングモ―ルにたどり着いた。わたしは自動ドアを抜けてエントランスに入る。


 クーラーの冷気と共に、柱の横で佇む友香ちゃんの姿が視界に飛び込んできた。

 わたしは慌てて駆け寄る。


「おまたせ。ごめんね、遅くなって」

「ううん。むしろ時間ぴったりだし。私が早く来ただけだから。ていうか、愛が髪上げてるの珍しいね。めっちゃかわいい」

「ありがと。友香ちゃんの格好も似合ってる」

 

 友香ちゃんは白シャツに黒スキニーといったシンプルな格好で、けれど、スタイルの良さや大人びた雰囲気にマッチしていて、よく似合っていた。


「ありがとう。じゃあ行こっか」


 そう言いながら、友香ちゃんは歩き出す。わたしはその後を追いかける。


「それにしても、愛と会うのも随分と久しぶりな感じがする。元気にしてた?」

「してたよ。友香ちゃんは?」

「それはもうおかげさまで充実したBLライフを送っていますとも。愛は? 夏休み何してるの?」


 そんな問いかけで、言葉に詰まった。まさか、れんと引っ付いたり、キスをしたりしているだなんて言えない。それだけじゃなくて、れんと恋人になっただなんて、そんなこと口が裂けても言えない。


「まあ、課題とかかな……」


 そんな風に誤魔化すと、それを罰するようにスマホの通知音が鳴った。それも二回、三回と繰り返して。


 わたしは慌ててカバンからスマホを取り出し、マナーモードにしてから、表示された通知を確認する。


「お姉ちゃん」

「うわきしたら」

「だめだからね」


 そんなメッセージが画面を埋めていた。わたしは、いつもの無表情でそんな風に告げる、れんを想像して少しだけにやけてしまった。


 そんなわたしに対して、友香ちゃんが何の気なしに尋ねる。


「誰から?」

「あ、えっと。公式ラインからだった」

「そっか」


 わたしはなぜか、再び誤魔化してしまって、何かを隠すようにスマホをカバンに戻した。そして、そんなわたしに、助け船を出すように、本屋さんにたどり着いた。わたしたちは何もなかったかのように本屋に足を踏み入れた。


 まずは、文庫コーナーで、わたしの目当ての小説を確保する。ついでに、棚を一通り回って、好きな本があれば友香ちゃんに紹介したりして。


 そんな、わたしのターンが終わると今度は友香ちゃんのターン。漫画コーナーの奥にある、BLの棚へと向かう。初めは、独特の空気に面食らったりもしたけど、友香ちゃんといるうちに、すっかり慣れてしまった。今では、友香ちゃんのお気に入りの作家さんの作品が分かるくらいになっていた。そして、目の前の棚には、総持先生の新刊が置かれていた。


 しかし、友香ちゃんは、何やら複雑そうな表情で、しばし棚の前で静止していた。


「総持先生の新刊、買わないの?」


 わたしは思わず尋ねる。


「買うよ、買う」


 友香ちゃんはそう言って、慌てたように、平積みにされた大判の小説を手に取った。


 そんな一幕もありながら、互いにレジを済ませ、本屋さんを後にした。


「ついでだし、どっか寄る?」


 友香ちゃんの問いかけに、頷きかけて、わたしはふとスマホの画面を見た。


 そこには、れんのアイコンと共に、


 15件の通知があります


 の文字が躍っていた。


「お姉ちゃん」

「寂しい」

「早く帰ってきてよ」


 そんなメッセージがトークルームには表示されていて。

その重さを、嬉しいと思うわたしがいた。


 わたしはそっと、髪を束ねる黒色のシュシュを撫でた。

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