第60話 愛と恋

 約束も恋も全て、投げ打って、私はお姉ちゃんから距離を取った。


 初めは拒絶するつもりなんてなかった。お姉ちゃんを傷つけないように、ゆっくりと自然に距離を取るつもりだった。そっと、普通の姉妹に戻るように。そうやって普通になればこの熱病のような恋も収まって、ただ以前のような愛しいだけの感情に戻るんじゃないかなんて、淡い期待まで抱いて。


 けれど、ダメだった。少しでもお姉ちゃんの側にいると、くっつきたくなる。甘えたくなる。そして、離れなきゃって思えば思うほど、恋はどんどんと深まっていく。少し、言葉を交わすだけで、視界にお姉ちゃんの姿を収めるだけで、感情が溢れてしまいそうになる。


 そんな自分が、怖くて。並大抵のやり方じゃこの想いを、恋を押し殺すことなんてできそうになくて。


 お姉ちゃんを守らなきゃ。私の恋から、守らなきゃ。


 その一心で、わたしは冷たさを纏った。お姉ちゃんを寄せ付けないように、自らの感情全部を覆い隠した。言葉も交わさないようにした。自らの想いが溢れないように。


 そうして、私は約束も恋もかなぐり捨てて、世界からお姉ちゃんを追い出した。


 お姉ちゃんのいない世界は、真っ暗で、冷たくて、凍えてしまいそうだった。自ら纏った冷たさは心を着実に蝕んだ。悲しそうなお姉ちゃんの顔を見るたび、辛くて死にそうだった。傷つけているのは、私なのに。


 気づけば笑えなくなっていた。言葉も温度を失った。


 それなのに、お姉ちゃんへの想いだけ、一向に止まなくて。熱くて。募っていくばかりで。それに蓋をするため、更に態度や言葉を頑なにして。


 そうして私の世界は凍りついていった。



           ◇



 なんでわたしから離れたの?


 そんなわたしの問いかけを機に、れんの過去がぽつりぽつりと紡がれていく。知らなかった想いが語られていく。


 れんから放たれる言葉の数々が、わたしの胸を強く揺さぶった。


 そして、そんなわたしの胸中とは対照的に、れんは、いつもの淡々とした口調で、無表情で、過去と今とを結ぶように、言葉を続ける。


「だから、わたしはお姉ちゃんから離れたの。わたしの気持ちは普通じゃないから。そんなわたしじゃ、ずっと隣にいてもお姉ちゃんを守れないから。だから、お姉ちゃんを遠ざけた。約束も、恋も全てを投げ出してでも、お姉ちゃんを守りたかった。けれど、ダメだった」


 そこで、れんは口を噤んだ。何かを思い返すように、遠くを見つめて。それから、引っ張り出した思い出に、痛めつけられるように、目を見開いた。その瞳が揺れると同時、言葉が溢れた。


「お姉ちゃんが告白されたって聞いた時、嫌だって思った。私のお姉ちゃんが、誰かのものになるなんて。私以外の人とずっと一緒にいるなんて。そんなの。そんなの……」


 れんの言葉が揺らいでいく。表情が、歪んでいく。


「お姉ちゃんを守るって、そう決心して離れたはずだったのに、お姉ちゃんに近づいてしまうのを、止められなかった。凍ったままの言葉や表情でも、お姉ちゃんに甘えるのを止められなかった。一度、お姉ちゃんに近づいたら、歯止めが利かなくなって、想いがどんどん溢れて。口先で素直じゃない言葉を吐くだけじゃ全然止まらなくて。結局私は、恋も、約束も捨てられなかった。お姉ちゃんが誰かのものになるなんて、そんなの絶対に嫌だった。耐えられなかった。もしそうなったら、死んだ方がマシだと思った。そうして、お姉ちゃんを守らなきゃって決意と、お姉ちゃんを誰にも渡したくないって、そんな想いの板挟みにあっている時。お母さんの言葉に出会ったの。その言葉で、私は決めたの」


 はっきり言われなくても、れんが出会った言葉がなんなのか不思議と分かった。わたしはその言葉を思い返す。


『だからね、愛も、れんも。恋や、幸せになることに、臆病にならないでね。自分が幸せになるために、人生を使ってね』


「お母さんの言葉に触れて、私は決めたの。頑張るって。普通じゃなくてもいい。この恋を抱えたままでも、約束の通りにお姉ちゃんの側にいて、ずっとお姉ちゃんの隣にいて、それで、お姉ちゃんのことを幸せにするって。この恋で、傷つけてしまっても、その分も幸せにしてみせるって。それが、私の幸せだって」

 

 幸せ。そんな言葉とは対照的に、れんは苦しそうで、その表情が、れんがどれだけの葛藤を抱えてきたかを物語っていた。どれだけわたしへの想いで傷ついて、悩んで、それでもそんなすべてを抱えて、わたしに再び近づいてくれたのかが分かった。甘えてくれていたのかが分かった。


 そんなれんが愛しくてたまらなかった。溢れる愛しさが、れんと同じ形になりたいって、叫んでいた。


 わたしは、れんを抱きしめて、告げる。


「れんが言うように家族に恋をするって、普通じゃないのかもしれない。ダメなことなのかもしれない。けれど、もしそうなら。そうだったとしても。わたしはれんと同じ罪を背負いたい。同じ罪を背負って、痛みや苦しみから、れんを守りたい」


 わたしは強く、れんを抱きしめる。私の鼓動と、れんの鼓動が重なる。体温が、一つになっていく。想いも混ざり合って、言葉が溢れ出す。


「ううん。“したい”だけじゃない。わたしも、れんと同じ罪を背負ってる。れんに甘えられるたび、唇を重ねるたび、熱くて、甘くて。それは全部、れんが教えてくれたもので、だから」


 わたしは、抱擁を解いて、れんの顔を見つめる。れんは泣いていた。雪解け水のように綺麗な涙だった。わたしは、それを優しくぬぐってから、れんの小指に、自分の小指を結びつける。


「わたしたち、恋人になろう。恋人になって、あの日、れんがわたしにくれた約束の通りに、ずっと一緒にいて。それでいつか、結婚しよう」


 固く結ばれた小指を伝って、愛と恋が、混ざり合う。

 すれ違っていた想いが重なり、溶け合う。


 れんは大きく目を見開いて、呟く。


「ありがとう」


 それから、氷がゆっくりと解けるように、笑った。

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