第59話 この恋を。
約束を交わした日から、私は前にも増して、お姉ちゃんの側にいるようになった。登下校はもちろん、休み時間も、お昼休みもお姉ちゃんの元を訪れた。だって、私がいなかったら、またお姉ちゃんは寂しくて泣いてしまうかもしれない。それに、側にいないと、お姉ちゃんを守れない。守られてばかりじゃない。今度は私がお姉ちゃんを守るんだ。
そんな決意と、お姉ちゃんと一緒にいたいという幼いころから変わらない欲求が結びついて、私のお姉ちゃんへの想いは高まり続けて、留まることを知らなかった。
年を重ねるにつれて、周囲はクラスの誰々がかっこいいとかそういう話で盛り上がるようになったけれど、私は微塵も興味が湧かなかった。だって、クラスのどんな男子よりもお姉ちゃんの方が、カッコよくて可愛くて、一緒にいるだけで、ドキドキする。
そう、周囲が異性を意識し始めた頃、私にも変化が生じ始めていた。お姉ちゃんのことが大好きで、ずっと一緒にいたい。それは変わらない。けれど、その純粋な好意に時折ノイズが走るように、お姉ちゃんと一緒にいると鼓動が早くなったり、顔が熱くなったり、息が苦しくなったりした。
お姉ちゃんの膝の間に収まってテレビを観たり、頭を撫でられたり、ハグをしたり。そんな日常的なスキンシップにまでその感覚は浸食してきた。
そんな感覚は苦くて、けれど甘くて。しんどいのにお姉ちゃんから、離れたいとかは少しも思わなかった。ずっと一緒にいたいという願いも、お姉ちゃんを守るという決意も変わらなかった。
だから、一つの年の差を恨んだ。お姉ちゃんの小学校の卒業式、私は人目も憚らず泣いてしまった。我慢したけれど、ダメだった。
「お姉ちゃん、卒業しちゃ、やだ」
「ごめんね」
式が終わって、人で溢れたグラウンド。
お姉ちゃんはそう言って、微笑みながら卒業証書の入った筒を持った手とは逆の手で、泣きつく私を撫でてくれた。
背丈は随分と近づいて、それなのに、お姉ちゃんは私から離れていってしまう。その事実が悲しくて仕方がなかった。
そこからの一年はモノクロだった。お姉ちゃんがいない毎日は彩りに欠けていて、ただ耐えるように日々を過ごしていた。家で会えるだけじゃ、満たされない。足りない。お姉ちゃんと会えない全ての時間は寂しさと共にあった。
そして、そんな寂しさが募るにつれて、徐々に私に異変が生じ始めた。
ノイズがどんどんと酷くなっていく。
例えば、頭を撫でられている時、抱きしめられている時、同じ布団で一緒に寝ている時。息が苦しくて堪らなくなった。お姉ちゃんが近くにいると嬉しいはずなのに、鼓動が早くて、早くなりすぎて、苦しさが募っていく。
なんで、大好きなはずなのに苦しいのか。なんで、無意識にお姉ちゃんの唇に視線が吸い込まれているのか。
離れてる時は寂しくて、一緒にいる時は苦しい。そんな慢性的な袋小路に嵌っていた。それは、月日を重ねるにつれてマシになるどころか徐々にひどくなっていくようで。
私は見ないふりをすることでやり過ごした。念願のお姉ちゃんと同じ中学校に入学しても、お姉ちゃんのいる文芸部ではなくバスケ部を選んだりした。いつのまにかお姉ちゃんを追い抜いた身長をバスケなら活かせるかなとか、体力を付ければ、よりお姉ちゃんを守れるようになるかなとか、そんな理屈を自分に言い聞かせて。そんな言い訳で、自分を守って。
その癖、お姉ちゃんと一緒じゃないとやっぱり寂しくて、時折休み時間に遊びに行ったりした。お姉ちゃんはいつだって、唐突に訪れてくる私を笑顔で迎えてくれた。その微笑みだけで、満たされた気分になった。それと同時に、お姉ちゃんの隣に友達がいるだけで心が軋んだりして、自分のおかしさを突きつけられたりした。
そして、見ないふりに限界が訪れた。自分の気持ちが、完全に浮き彫りにされた。
それは道徳の授業でのこと。若い女性教師が仰々しい口調で語りかける。
「今は多様性の社会です。異性を好きになる人、同性を好きになる人、誰も好きにならない人、様々な個性があることを知って、尊重しなければいけません」
そう言って、先生が指し示す教科書のページには、"多様"な人の説明が英語と共に羅列されていた。
尊重されるべき多様性。愛の形。生き方。
しかしそこに、家族に恋する生き方は書かれていなかった。例えば、お姉ちゃんに恋をする妹は、教科書のどこを探しても見つからなかった。
そのことが、悲しくて、悲しさが想いに名前を定めた。
私のお姉ちゃんに対しての想いは、恋なんだって。
そして、そんな私の恋は教科書には載っていない、普通じゃないもので、"多様性の社会"からさえも爪弾きにされてしまうもので。
こんな想いを抱いた私じゃお姉ちゃんを守れない。約束通り、ずっと一緒にいたら、お姉ちゃんまで傷つけてしまう。
お姉ちゃんから離れないと。だって、私はあの日、決めたんだから。守られてばっかりじゃない。お姉ちゃんのことを守るんだって。
たとえ、この恋を殺すことになっても。
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