第55話 くっつく

 ご飯を食べて、お風呂に入って、自分の部屋に戻って。当たり前のように、目の前にれんがいる。


 れんは溶けるように、わたしの身体に密着している。薄々と気づいていたけれど、最近のれんは、小さなころと同じかそれ以上にスキンシップが過剰だ。一緒にいる時はいつもどこかしらがれんに触れている。


 小さなころは、そんな無邪気なじゃれ合いが、かわいらしかった。けれど、今はかわいいだけじゃなくて。綺麗だったり、滑らかな肌の艶やかさだったり、普段は大人びているれんがわたしに甘えているという、そのギャップだったり。学校で、部活で、あんなに洗練された魅力を振りまいているれんの、こんな一面を知っているのはわたしだけという事実だったり。


 いつの間にかれんと触れ合った時に生じる感情には、何層にもまたがる奥行と深みが生まれていて。しかも、そんな肌と肌のふれあいの延長線、唇を重ねた感触まで、もう知ってしまっているわけで。


 勝手に熱くなっていく頭を冷やすように、れんに言葉を投げかける。


「れんって、友達に対してもこんな感じなの?」


「こんな感じって?」


 れんは尋ねながら、“こんな感じ”を体現するように、わたしの背中に手を回して、正対するようにわたしの身体の上にまたがる。ベッドの上、ホールドされるように密着が更に強くなる。


 半袖に短パンの部屋着から触れる手足の感触はサラサラとしていて涼し気で。それなのに触れたところから熱を生じるようで。頭を冷やすどころか、身体まで、熱くなっていく。エアコンの冷気の心地よさまでそんな事実を突きつけてきて。わたしは平静を保ちながら会話を続ける。


「その……友達に対しても、こんな風にくっついたりするのかなって」


 わたしの問いにれんは、いつもの無表情で、わたしをじっと見つめて。


「するよって言ったら、いや?」


 そんな風に尋ねてくる。至近距離で。自らの美しさを惜しげもなく、わたしの前に晒して。


 この美しさや、心地いい肌の感触をわたし以外の、例えば部活の人や、島本さんも知っているとしたら、それは。すごく。


「いやだ」


 無意識で言葉が口をついて出る。言ってしまってから、後悔して。慌てて取り繕うとする。

 しかし次の言葉を口に出す前、即座にれんに抱きしめられる。


「うれしい」


 耳元で、れんが呟く。恥ずかしいやら、そんな事実に喜ぶれんが可愛らしいやらで、顔が熱くなる。


「安心して。お姉ちゃん以外にはくっついたりしない。人とベタベタするの、苦手だし」


 れんはそう言いながら、更に強くわたしを抱きしめる。わたしの首筋に顔をうずめて、それはもう全力でベタベタしてくる。自らの発言に物凄い勢いで矛盾を生じさせる。


 わたしは先ほど、弱音を吐いてしまったことを誤魔化すように、その矛盾を突く。


「苦手なら。じゃあ、なんでわたしには、こんな感じでくっつくの?」


 尋ねると、れんは少しだけ、目を見開いた。まるで、新たな事実を突きつけられたように。


「なんでって。別に。なんでもないけど……ていうか、くっついてないし」


 いつもの平淡な口調でそう言いながら、自分の顔を隠すようにわたしの胸元に顔を押し付ける。れんから放たれる言葉の一つ一つや一挙手一投足で矛盾がどんどん広がっていく。


「それは無理があるような。さっき『お姉ちゃん以外にはくっついたりしない』って言ってたし。ねえ、なんでれんはわたしとはこんな感じでくっついてくれるの?」


 わたしは笑みを口の中に含みながら、耳元で囁く。れんはわたしの言葉に身体を少し震わせる。


 もうさっきまでのわたしの醜態はどこかに消え去っていて、ただれんの可愛らしさだけが、場を包んでいる。そのことにこっそり胸を撫でおろす。


 れんの前だと、わたしは少し計算高くなってしまう。良い子でいなきゃいけないのに、ついついれんに意地悪をしてしまう。控えなきゃって思うけれど、わたしの言葉や行動で、れんが赤くなると、頭が痺れるようになって、そんな甘い電流に抗うことができない。


 そんなわたしの中の回路をなぞるように、れんは言葉を並べる。


「だって、お姉ちゃんとくっつくと、きもちいいから」


 顔をわたしの身体に押し付けて、くぐもってもなお、その声は綺麗で。


 先ほどの言葉と、れんの真っ赤な耳朶が視界の中で混ざって、バチッと火花が弾ける。さっき危惧したよりも、もっと、悪い子になってしまいそうな。そんな感覚が全身を走る。


 その感覚の正体にたどり着く前、れんは顔を上げて、わたしを見つめる。


「お姉ちゃんは、わたしとくっつくの、好きじゃない?」


 いつもと変わらない平坦な声。この声でこんな風に尋ねられるたび、いつだって、愛しさが溢れる。わたしは、ぎゅっと、れんを抱きしめて告げる。


「わたしも、れんとくっつくの好きだよ。れんが小さかった頃を思い出して、懐かしいし」


 わたしは、れんの不安を柔らかく包むように答える。しかし、れんは少しだけ不満げに、呟く。


「懐かしい、だけ?」


 そう言って、目を瞑る。思い出の中には無い行為を、わたしたちの間で新たに生じたものを突き付けるように。


「れん……?」

「さっき、おあずけされたから……して?」


 その言葉に吸い込まれるように、唇と唇がくっついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る