第52話 おくじょう

 期末テストの結果も全て返却され、夏休みを目前に控えた昼休みの教室は、いつもよりも騒々しかった。そんな中、わたし一人だけが沈んでいる。


 机の上を力なく見つめていると、友香ちゃんがいつものようにわたしの席を訪ねてくる。


「期末テスト、どうだった?」

「ちょっと、やばかった……」


 言いながらわたしは成績の一覧が載ったプリントを力なく友香ちゃんに差し出す。

 テストは散々だった。赤点こそなかったものの、総じて成績は下がったし、いつもは一番の現代文も、クラスで五番目だった。


「愛にしては珍しい。どうしたの?」

「なんか、調子悪くて……」

友香ちゃんの問いかけに、わたしは言葉を濁す。まさか、れんとずっとキスをしていたからだなんて、言えない。


 れんとの勉強会はテスト期間の間、毎日開催されて、わたしたちはそのたびに、口づけを交わした。キスの感触は脳裏に深く刻み込まれて、勉強をしている時や、挙句の果てにはテストを受けている時にまで、そのことを思いだしたりして、それがこの体たらくの理由だった。


「まあ、たまにはそんな時もあるよ。切り替えていこう。もうすぐ夏休みだし!」

「ありがとう」


 そんな風に、友香ちゃんの慰めに弱弱しく頷いていると、教室のドアが、ガラガラと開いた。


「ほら、いつものお迎えが来たよ」


 友香ちゃんはニコニコ笑って告げる。れんの姿が視界に入るという、ただそれだけで沈んだ心が少し弾んで。わたしはそれに釣られるように、席を立った。


           ◇


「れんはテストどうだった?」

「成績、良くなってた」

「そうなんだ。それはよかった」


 屋上でパンを食べた後の時間。わたしに身体を寄せるれんに尋ねると、意外な答えが返ってきた。


 もちろん、れんの成績が向上したのは喜ばしいことではあるんだけど、自分との要領の差とか痛感して、少しだけ凹む。あと、れんにとってはキスしたこととか、勉強に影響出ないことだったのかなとか考えて、そんなことで少しだけモヤモヤもして。


「お姉ちゃんはテストどうだった?」

「わたしは……ちょっと成績下がってた」

「勉強ちゃんとしてたのに、どうしたの?」


 素朴なれんの問いかけが、耳に痛い。そうして弱った心から、思わず本音が飛び出す。


「れんのことで頭がいっぱいで、勉強に集中できなかったの」


 弱弱しくそんなことを告げる。言葉を発しながら、なんて情けない姉なんだと、自嘲する。


 というか、キスという言葉を改めて言うのが恥ずかしくて、濁したら、却っておかしくなってしまった。まるで、愛の重い彼女みたいな。


 けれど、その重さがなぜかれんには刺さったようで。れんはそっと呟く。


「ごめん。うれしい」


 そう言って、わたしの胸に飛び込んでくる。その大人びた容姿とは裏腹の幼い仕草に、暖かな物が走る。れんの短い髪を撫でる。そうして、れんの身体や体温を受け止めていると、れんがわたしの胸元で、顔を隠すようにして呟く。


「わたしもお姉ちゃんのことばっかり考えてた。キスしたこととか。好きって言ってもらえたこととか」


 冷たい声色から発せられる甘い言葉に、顔が熱くなる。れんの耳も赤くなっていて、そんな些細なことが、嬉しい。


 わたしは、弾む心に本音を乗せるようにして、れんに言葉を投げる。


「けど、れんはわたしと違って、成績上がったんでしょ?」


 からかうような、恨み言のような言葉。


 れんは、わたしの胸元から顔を上げて、わたしをじっと見つめる。その瞳は何度見ても美しくて。その美しさが綻んで、中から可愛らしさが覗くように、れんは言葉を紡いだ。


 まるで、秘密をそっと打ち明けるように。


「だって、お姉ちゃんのことばっかり考えているのは、今に始まった話じゃないから。小さいころからずっと、私はお姉ちゃんのことばかり考えていて、そんな当たり前が、最近はうれしいことで埋め尽くされて。だから部活も勉強も、前よりもっと頑張れるようになった」


 淡々と放たれる言葉は、わたしのさっきの言葉よりも遥かに重くて。それなのに可愛らしくて、わたしは思わずれんの頭を撫でる。れんは恥ずかしくなったのか、ピトっとわたしの胸元に頬を付ける。


 わたしはれんの頭を撫でながら、さっきの言葉を反復する。


 小さなころからずっと。


 その言葉は嬉しくて、甘くて、けれど同時に疑問も沸いてくる。何度も繰り返した疑問が。


 わたしから離れた時も、わたしのことばかりを考えてくれていたのだろうか。もしそうだったのなら、どうしてわたしから離れたんだろうか。


 そんな疑問から生じる苦さを甘さで埋め尽くすように、れんが顔を上げて、わたしの顔を至近距離で見つめる。


「ねえ、お姉ちゃん。キス、しようよ」

 

 そう呟いて、目を瞑る。


「学校だし、流石にまずいって」

「けど、私たち以外、誰もいない」

「そうだけど……」


 以前と同じく二の足を踏むわたしに、れんは目を開けて


「おねがい」


 そう言って、わたしの首に腕を回して、再び目を瞑る。


 ああ、ダメだ。こうなってしまったら最後、わたしがれんを拒めた試しがない。


 そして、今日も。


 わたしは、ぎゅっと目を瞑って、れんに口づけた。


 グラウンドから聞こえる喧騒と、重なった制服の衣擦れの音。れんから微かに漏れる吐息。それらが耳の中で混ざり合って罪悪感と快楽を高めていく。


 唇だけじゃなくて、触れ合う肌や重なる体温まで全てが気持ちよくて、"良い子"なわたしが音を立てて崩れていく。学校で、妹とキスをする、なんて。


 キスは中々終わらず、れんの息が限界になるのを見計らって、唇を離す。


 ゆっくりと目を開けると、すぐに、綺麗なれんの顔で視界が埋め尽くされて。


 しばらく二人で、沈黙の中に揺蕩っていると、惚けたような表情で、れんはぽつりと呟いた。


「うれしい。世界から、認められたみたいで」


 大袈裟だよ、って笑い飛ばすことなんて、できないくらい。れんから放たれた言葉は真実味を湛えていて。


 その言葉の意味を問う前に、予鈴のチャイムが鳴った。

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