第51話 おしえて
勉強会ってこんなに密着するものだっけ?
疑問符が、頭を埋め尽くす。
小さなころから使っている折り畳み式のテーブルの上、教科書や参考書を広げて、隣同士で、勉強を進める。はずだった。
「お姉ちゃん、わからない」
数学に取り組むれんは頻繁にそう言って、わたしに身体を預ける。半分、抱き着くような姿勢で。そのたびに、心臓が高鳴って、急に接近する体温とか、匂いとかに気を取られて、頭が回らなくなる。数字の羅列が吹き飛んでいく。
それでもなんとか、解答も参考にしながら、れんに解説をして、程なくしてまた、
「わからない」
という言葉と共に身体が寄せられて。勉強している時間よりも、身体が密着している時間の方が長く感じる。
「れんってもしかして、数学苦手……?」
わたしは、わたしの身体にしなだれかかっているれんに尋ねる。
「……うん。だから、お姉ちゃんに教えてもらわないと、勉強できそうにない」
そう言って、腕を回してわたしに抱き着いてくる。れんが、ここまで露骨に苦手な教科があるのは意外だった。昔は、満点のテストをよく、わたしやお母さんに自慢していたし、中学校以降もなんでもそつなくこなすイメージだったから。
しかし、それはそれとして困った。さっきから、全然自分の勉強が進まない。れんが近すぎて、ドキドキして、数字が頭からこぼれ落ちていく。
わたしは、沸騰したように熱い頭で必死に考えて、使い古された策を、思い出す。
「じゃあ、れん。今やってる参考書の、テスト範囲の問題が全部解けたら、ごほうびあげるよ。れんのいうことなんでも聞いてあげる」
「なんでも……?」
「うん」
「わかった」
瞬間、わたしに身体を寄せ、液状化していたれんが、ピンと背筋を伸ばして姿勢を正した。クールで大人びた、容姿通りの佇まい。そのまま、ものすごい勢いで、問題を解き始める。
わたしは呆気に取られてその様子を見つめたあと、負けじと自らの勉強に意識を移した。しかし、その集中も長くは続かなかった。
れんにご褒美の提案をしてから、一時間も経たない頃。
「終わった」
れんはそう言って、わたしに、数式と赤い丸で埋まったノートを見せる。
「数学苦手なんじゃ……」
「急に、できるようになった」
「それはよかった……」
「じゃあ、ごほうび」
「う……」
まさかこんなに早く、れんが解き終わると思っていなくて、自分の浅はかな発言を後悔する。そんな後悔と共に、何かへの期待も、少しだけあって、そんな期待をなぞるように、れんは呟く。
「キスして」
「え?」
「キス、してよ」
そう言って、れんは目を瞑る。まるで、唇を重ねるのが当然のように。頭を撫でたり、一緒に寝たりするのと同じ日常的な営みかのように。
キスが当たり前になったら、流石にまずいと思う。だって、わたしは姉で、れんはわたしが守るべき妹で、むやみやたらに唇を重ねるのは正しくないと思う。お母さんや友香ちゃんが言うような、"良い子"のする行いではないと思う。
けれど、今回はあくまでも、なんでも言うことを聞くという約束を果たすためで。約束は守らないといけないから。
そんな風に内心で言い訳をして、わたしはれんの頬に手を添える。れんの艶やかな肌の感触が手のひらに触れる。れんはピクリと、身体をこわばらせる。その反応に、れんにとってもキスは特別なことなんだってわかって、それを嬉しく思ってしまう。
わたしは、弾む鼓動に突き動かされるように、首を伸ばして、唇を重ねた。
重ねると、すぐに冷ややかな体温が触れる。その冷たさが心地よくて、冷たいのに、そこから生じる快楽は熱くて、そのギャップに引き込まれていく。
れんの口から漏れる吐息や混ざり合っていく体温に、頭がグワンと揺れる。
そして、唇が離れる瞬間はいつだって、名残惜しくて。
そんな感情まで、一つになっていくようで。
「もっと、おしえて」
そんなれんの言葉で、簡単に、繰り返されてしまう。キスをする前、必死に反芻した言い訳や自制は、見る影もなくて。
頭に入れた、数式は快楽によって塗りつぶされて、わたしたちは、互いの唇の感触だけを、いつまでも学び続けた。
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