第50話 せんぱい

 屋上に照り付ける日差しは以前と比べて、強く、夏の気配が色濃く漂うようになった。そんな中、わたしたちは、日差しを避けるように入り口近くの日陰へと腰掛けた。それぞれ携えてきた、パンの入ったビニール袋が床に置かれて、カサリと音を立てる。教室から、繋がれた手はそのままで、解かれる気配は一向になかった。


「ご飯、食べる?」

 わたしは、前をぼんやりと見据える、れんの横顔に尋ねる。


「うん」


 れんは頷く。頷いたのに、わたしの手をぎゅっと握る。


「あの、れん。これじゃ食べ辛いと思うんだけど……」

「けど、離れたくない」


 そう言って、れんはこちらをじっと見つめる。氷の彫像のように、静かで綺麗な顔。真っ白な肌。それが昨日は真っ赤に染まって、表情も蕩けていて、そんな記憶との対比に脳が焼き切れそうになる。何よりも、妹の顔を見てそんなことを考えるなんて、そんなの、姉として許されない。


 わたしはピンク色の脳内から逃れるように告げる。


「じゃあ、また前みたいに、食べさせてあげるから」

「……わかった」


 れんは渋々といった感じで、手を解く。自分から促したくせに、滑らかな肌の感触や、体温が離れることを名残惜しく思う。このままだと、れんから一時も離れられなくなりそうだ。


 そんな妄想を必死に振り払って、れんからパンの入ったビニール袋を預かる。中には、メロンパンとイチゴミルクが入っていた。


「れんは本当に甘党だねぇ」

「うん。甘いの、好き」


 以前と違って、れんは素直に頷く。そんなやり取りを交わしてから、昨日のれんの言葉がフラッシュバックする。

 

 ほんとだ、甘い。


 思い出して、確かに甘かったキスの感触とかも同時によぎって顔が熱くなる。心なしか、れんもわたしの唇を見ている気がする。

 わたしは慌てて、メロンパンの包装を破って、れんにそれを差し出す。


 れんはそれをパクリと頬張る。砂糖が唇に付着して、テラテラと光っていた。


「美味しい?」

「うん」


 れんがもぐもぐと咀嚼するのを確認しながら、わたしも自分の買ってきたクリームパンを取り出し、包装を破って、口に入れる。

 舌に触れるクリームの甘さを味わいながら、無意識に、自分も今日は甘いパンを買っていたことに気づく。そのことが無性に恥ずかしかった。


 

 昼食は、以前と同じように比較的スムーズに終わった。わたしたちは、持て余した時間を、ただ二人で寄り添って、過ごしていた。身体と身体が、微かに触れ合う距離。重なるスカート。この距離感が心地良いような、もっと縮めたくなるような。


「飲ませて」


 れんが、紙パックのイチゴミルクを見つめながら、呟く。わたしは、言われるがまま、ストローを挿してれんの口元へと差し出す。れんは、それをチュウチュウと吸う。無意識で、またその唇を凝視してしまって、そんな時に、れんと視線が合う。


「ありがと」


 れんはストローから唇を離す。それから、こちらに身体を寄せて、ささやくように、告げる。


「屋上、誰もいないね」

「え」

「誰にも、見られないね」


 れんはいつもの平淡な声でそう言って、じっとわたしを見つめる。


 れんが何を求めているのかは、大体察しがついた。それに一瞬、吸い込まれそうになって、そのすんでのところで、理性が必死に訴える。さすがに学校はまずいって。というか、妹にキスをすること自体普通じゃないって、そんな当たり前に気づいて。


 何よりも、このままだとそんな状態から抜け出せなくなりそうで、それが怖かった。


 わたしは、この状況を回避するために必死で、頭の中を掻きまわして、先ほど、友香ちゃんと交わした会話を思い出す。


「もうすぐ、期末テストだね……!」

「……うん」

「れんは勉強大丈夫そう?」


 わたしの問いかけに、れんは小さな声で呟く。

「いじわる……」


 表明された不満には聞こえないふりをして、佇んでいると、れんは何かを思いついたように、目を見開いた。

 それから、持ち前の無表情で、小首を傾げる。


「大丈夫じゃないから。勉強、教えて?」


 突然、現れた提案にわたしが戸惑っていると。


「お願い……愛せんぱい」


 いつもの、冷たい口調で、凪いだような声で、れんはそんな風に冗談めかす。身体をこちらに寄せて、スタイルの良さとは裏腹に子猫のような素振りで。

 それに何よりも、れんの口から放たれた先輩という言葉の響きには、お姉ちゃんという言葉とはまた別に、心を揺さぶるものがあって、要するに、破壊力が凄かった。


「わかった。いいよ。それにしても、なんで先輩?」


「前に呼んでほしいって言ってたから。もう、呼ばないけど」

「なんでよー」


 不満を表明しながらも、思わず、笑みがこぼれる。以前のささやかな会話を覚えていてそれをお願いのために使ってくる。そんな健気さが可愛くて仕方がなくて、わたしは思わずれんの頭を撫でる。


 れんは目を瞑りながら、小さな声で呟く。


「じゃあ、今日の夜、お姉ちゃんの部屋で勉強会だから」


 その言葉に、心臓が、勉強会という言葉とは不相応に高鳴った。

 鼓動が、夏服の水色とは正反対の色に染まった。

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