第49話 つながる

 朝、目が覚めると、れんの顔が目の前にあった。れんは、寝起きのわたしにささやく。


「お姉ちゃん、好きだよ」


 いつもの無表情。冷たい声色。そこから放たれる、愛の言葉。一瞬で、昨日の光景が蘇る。


 そうだ。わたしはれんと、キスをしたんだ。


 顔に熱が集まった。


            ◇


 学校に来ても、火照りが取れない。実際に、顔が赤いかはわからないけど、心がふわふわと浮ついている。衣替えで解禁されたばかりの夏服を着て、格好は随分と涼しくなったけれど、身体を滞留する熱を冷ますには不十分だった。


 昨日わたしは、れんとキスをした。


 そう考えるだけで、心がぐちゃぐちゃになる。守るべき妹の唇を奪うなんて許されることじゃない。とんでもないことをしてしまったって、不安になる。


 けれど、そんな感情が、キスの記憶によって塗りつぶされていく。れんとのキスは甘くて、心地よくて、気づけば、指で自分の唇をなぞったりしている。


 それに、キスだけじゃなくて、れんの真っ赤な頬や蕩けた瞳や好きの言葉を思い出すだけで、鼓動が早くなって、脳が甘く痺れる。


 今日の間中、そうやって、罪悪感と記憶を反芻していた。


 そうしているうちに、訪れた、昼休み。わたしが席に座って佇んでいると、友香ちゃんが尋ねてくる。


「今日の愛、なんかやけにぼーっとしているけど、大丈夫? 顔もちょっと赤いし」

「だ、大丈夫だよ」

「それなら、いいけど。なんかあったら言いなよ。いつでも相談乗るから」


 相談。友香ちゃんの言葉を頭の中で繰り返す。

 気づけば、友香ちゃんに、れんとのことを相談しなくなっていた。れんとの距離が近くなるにつれて、相談できないことが増えていった。

 一緒に寝ていることだったり、れんにドキドキすることが増えたことだったり。


 キスをしたことだったり。


 とてもじゃないけど、友香ちゃんには話せない。


 そんなことを考えて、人に話せないようなことをしてるんだって、自覚して、また顔が熱くなる。


「あ、また赤くなった。本当に大丈夫?」

「だ、大丈夫。心配してくれて、ありがとう」


 必死でいつも通りの笑顔を浮かべて、感謝を告げる。友香ちゃんは呆れたように笑う。


「ならいいけど。ぼちぼち期末テストも始まるし、体調には気をつけなよ」

「そうだね。友香ちゃんは頭が良いから余裕だろうけど、わたしはちょっとやばいかも……」

「全然余裕じゃないって。いつも一夜漬けでなんとかしてるだけ。それに愛だって、やばいやばいって言いながら現代文はいつもトップじゃん」

「現代文以外がやばいんだよー」


 そんな風にとりとめもない会話を交わしていると、教室のドアが開かれる。そして、開かれたドアから、れんが顔を出す。


 教室がいつも通りざわめく。それはひとえに、れんの整った容姿がゆえだった。背がすらっと高くて、物憂げな雰囲気を放つ大人びたれんの姿は、頻繁にわたしの元へと訪ねてくるようになってもなお、全く飽きられることなく、教室中の視線を集めた。


 しかも、今日から衣替えで、れんも夏服を着ている。水色の涼し気なシャツは、大人びたれんに年相応の爽やかな印象を与えていて、その新鮮な魅力が更に注目を集める要因となっていた。


 そんな風に注目を集めているれんと、昨日キスをしたんだ。なんて考えて、また頭がふわふわとしだす。わたしはそんな感覚を振り払うように、慌てて席を立つ。


「ごめん。れんが来たから、迎え行ってくるね」

「もうすっかり仲良し姉妹だねぇ。行ってらっしゃい」


 友香ちゃんはにっこりと微笑んで、手をひらひらと振る。仲良し姉妹って言葉に、また密かに罪悪感を覚えながら、逃げるように席を立って、れんの元へと向かう。


「今日も屋上行く?」

「うん」


 わたしの問いかけに、れんはいつもと同じ調子で冷静に頷く。とても、昨日頬を赤らめて、キスを懇願してきていたとは思えない、クールな姿。


 昨日のこと、こんなに気にしているの、もしかしてわたしだけなのかな、なんて考えて少し寂しい気分になっていると


「いこ」


 短く告げて、れんがわたしの手を取る。そのままぎゅっと、わたしの手を握る。細くて長い指をわたしの指に絡める。まるで、デートの時みたいに。


 教室の喧騒が一際大きくなるのが聞こえた。

 それらを置き去りにする様に、れんに手を引かれて、教室を後にした。


 廊下でも、手は繋がれたままで、すれ違う人たちがみな一様に、こちらを見た。れんの美しさと、そんなれんが手を繋いで歩いているという事実に。


 わたしの手を引いて前を歩く自分よりも大きな背中に、今更のように、どちらが姉で、どちらが妹かわからないなと思った。そのことに、姉として忸怩たる思いはあったけれども、れんの手は燃えるように熱くて、わたしの手を求めてくれたことも含めて、なんだか気持ちが繋がっていくようで。


 いつのまにか、先ほどまで抱いていたような、寂しさは消え去っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る