第47話 甘い
「キスして」
「……え?」
「って言ったら、お姉ちゃんはしてくれる?」
れんは何でもないような調子で尋ねる。だから、いつもの甘えと同じように反射で頷いてしまいそうになる。
妹の頼みを断れない姉としての本能が働く直前、理性がなんとか追いついた。わたしは、動揺を隠すように尋ねる。
「キスって、ほっぺたに、とかそういう話……?」
「ほっぺは、この前してもらった」
そう言って、れんは部屋着のポケットからスマホを取り出し、画面をわたしに突き付ける。
待ち受けには、時刻と共に、この前のデートの時撮った、わたしがれんのほっぺたにちゅーをしているプリクラが表示されていた。
「れん!?」
「わたし人前でスマホ使わないから。誰かに見られたりはしてない。大丈夫」
「そういう問題じゃないんだけど……」
平然と告げるれんに、わたしは頭を抱える。あの時のプリクラがずっとれんの画面に表示されているなんて。恥ずかしくて死にそう。顔が熱くなる。
れんは更にその熱に追い打ちをかけるように尋ねる。
「今度は、どこにしてくれるの?」
そう言って、れんはわたしの瞳を覗き込むように、顔を近づける。れんに覗かれたわたしの瞳は、れんの唇を見つめていて、それに気づいて、慌てて視線を逸らす。
けれど、れんは、そんなわたしを逃がしてはくれなくて。
「お姉ちゃんは私とキスするの、いや……?」
いつもの平淡な声が、少しだけ揺れた気がした。それだけで、わたしの心も揺れて。実際に、嫌とは全く思っていなくて、だから問題だった。
「いや、ではないけど。でも、キスは好きな人同士でするものだから……」
「それなら、問題ない。だって、お姉ちゃん昨日言ってた。私のこと好きだって」
「言ったけどそれは……」
妹として、家族としての好きだから。そんな言葉が頭に浮かんで。けれどなぜか、れんにはそれを言ってはいけないと思った。
それに、そんな言葉だけでは、わたしのれんに向けた感情は言い表すことができないって分かってて、けれど名前を付けることは怖くて。ずっと、逃げ続けている。今も、自分の感情という矛から逃れたくて、れんに言葉を投げかける。
「れんはどうなの? れんも昨日、わたしのこと好きって言ってくれたけど」
わたしの問いかけに、れんはハッと目を見開く。いつもは凪いでいる水面が揺れる。
れんはしばらく、何か考え込むように俯いて、それから意を決したように顔を上げた。
その瞳の輝きに吸い込まれると同時、言葉が落ちてくる。
「私は、好きだよ。ずっと、昔から、お姉ちゃんが好き。キスしてほしいって、思うくらい。お姉ちゃんじゃないと嫌だって、思うくらい」
れんの頬は真っ赤で、声はいつもの平淡さが嘘のように震えていて、可愛らしい子猫のような瞳だけが、いつもと同じようにわたしをまっすぐ見つめていた。
目の前の縋り付くように揺れる瞳の輝きから、目を逸らすことができない。先ほどのれんの言葉が何度も頭の中でリプレイされる。リフレインする。
れんの言葉はわたしの心と同じ形をしていた。言葉と心が溶け合って混ざり合って、名前を付けるのを避けていた感情が、れんと同じ名前になっていく。
「ねえ、昨日、ごほうびくれるって言った。だから、キスして?」
その揺れる声や、瞳は昔と何も変わらなくて。
れんは追い打ちをかけるように、わたしの首に腕を回す。もう、逃げられない。れんの美しさだけが目の前に広がっている。長いまつ毛、猫のような瞳。きめ細やかな肌。真っ赤な頬。薄い唇。
ああ、だめだ。わたしは、いつだって甘えてくるれんを拒めない。そんな事実を突きつけられて。
目を瞑ったれん。差し出された唇。わたしは、吸い込まれるように、自分の唇を近づける。
重なる直前、これから犯す罪から逃れるように、目をぎゅっと瞑って。
暗闇の中、冷たくて甘くて柔らかなものに触れた。
一瞬の接触。それだけで、永遠かのように静寂が広がる。わたしはゆっくりと目を開く。
そこには顔を真っ赤にして、惚けたような表情をしたれんがいた。いつもからは考えられない、とろんと溶けた瞳で。れんは、ポツリと呟く。
「ほんとだ、甘い」
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