第44話  アリガト

 自分の部屋がなんだか広く感じる。最近は寝る時に限らず、ずっとれんが入り浸っていたから、一人でいるということに慣れない。学校の課題には身が入らず、小説を読んでも目が滑るばかり。家事をこなす以外に、一人での過ごし方がよく分からなくなっていた。


 そしてずっと、普段はあまり使わない、スマホに気を取られている。机の上、未だに液晶は光らず、通知音も鳴らない。おもむろに手に取って、アプリを開いても、やっぱりメッセージは届いていなかった。


 遅くまで練習だろうし、仮に宿舎に帰っていても友達と一緒だろうし、中々連絡をする暇もないんだろうな、って。そんな風に自分を納得させる。


 俯いた頬に、カーテンの隙間から差し込んだ西日が刺さる。わたしは、のろのろと立ち上がり、晩ご飯の準備をするべく部屋を出た。


 晩ご飯を作っていると、途中でお母さんが帰ってくる。土曜日で仕事が早く終わったらしい。なので、久しぶりに二人で料理をして、一緒の食卓に着いた。


 食卓に並んだ鶏肉の照り焼きや、茶碗や、みそ汁。それらは全部二人分。お母さんと一緒に晩ご飯を食べられることは嬉しかったけど、同時にれんの不在も強く感じる。


 わたしは心の中に侵入してくるなにかを吹き飛ばすように、大きな声でいただきますを言う。その声にお母さんの声も重なる。それから、鶏肉の照り焼きを頬張る。こんがりと焼けたお肉に甘辛いタレが絡んで美味しかった。れんもこの味好きだろうな、なんて考えて、無意識に、れんが好きそうな味に調整していたことに気づく。


 離れて、改めて、れんがどれだけわたしにとって大きな存在か痛感する。れんが反抗期でわたしから離れた時よりも、更に。


 もちろん前から、れんは大切な妹ではあったけど、今はそこに何か更に加わったものがあるような。質量が増して、その重さで沈んで、深まっていくような、深みにハマっていくような。沈んで、潜って、その先には一体何があるのだろうか。


 そんなことを考えながら、ぼんやりと俯いていると、唐突にお母さんの声が触れる。


「れんがいなくて、寂しい?」

「……うん」

「やっぱり」


 お母さんは悪戯っ子のように無邪気な笑みを浮かべる。その笑みは、やはり、久しく見ていないれんの笑顔によく似ていた。


「どうしてわかったの?」

「今から言うことは、れんには内緒ね」


 お母さんの口元に当てられた人差し指。わたしは、唐突に現れた内緒話に困惑しながら頷く。


 お母さんはそっと、微笑みながら呟いた。


「れんが反抗期で、愛にツンツンしてた時も、よく似たような表情を浮かべていたから」


 差し出さられたささやかな内緒に、わたしは目を見開く。

 お母さんは遠くを見るような目で、言葉を続ける。


「繊細な年ごろだから、あえて何も言わなかったけど。れんが内心で寂しがっているのはすぐわかった。バレないように、愛の方ばっかり見ていたし、なにか考え込んでいる姿も見かけた。私の目からは、口では冷たくても、昔と変わらずお姉ちゃん大好きっ子のままにしか見えなかったよ」


「そうなんだ」


 確かに、れんには絶対に聞かせられない内緒話。れんがいないところで、そんな話を聞いていることに罪悪感を覚えつつも、嬉しくて少し照れくさい。


「だからね、最近、あなたたちがまた仲良さそうにしていて、お母さんは凄くうれしいの。れんも、表情こそ硬いままだけど、反抗期の時とは打って変わって、毎日楽しそうで」


 お母さんは心底嬉しそうな表情で言葉を並べる。それから、笑顔を保ったまま、わたしの寂しさを包むように告げた。


「愛、いつもありがとうね。れんのことを大事にしてくれて。お母さんの分まで、それ以上に、ずっとれんの側にいてくれて、ありがとう。愛は本当に優しくて、頑張り屋さんで。だから、寂しい時は、甘えてもいいのよ」


 お母さんの手がそっとわたしの頭に触れる。暖かくて大きな手のひらが、私の頭を撫でた。


「ありがと」


 わたしは、小さな子供みたいに呟く。


 胸を占めるのは、安心と喜びと照れくささと、罪悪感。お母さんと交わした内緒話とは、別の種類の、けれどそれとも結びついているような、後ろめたさ。


 そんなふわふわとしたものの裏にある、仄暗い感情の正体に気づかないふりをして、わたしは自らに触れる温かさを抱きしめた。


 それから程なくして、手は離れた。お母さんは、真面目なテンションで長いこと話したのが恥ずかしかったのか、照れ隠しのように、いつも通りの会話を続けた。職場の話を一通りして、わたしも学校の話をして。そんな風に賑やかに、穏やかに、時間は流れた。



 晩ご飯を終え部屋に戻ると、暗闇の中、スマホの液晶が光っていた。わたしは慌てて電気を付けて、机に駆け寄る。


 そして、映し出された画面を見て、思わず目を疑った。

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