第42話 矢印は、こんがらがって

「島本さん、さっきラインしたでしょ。なんで来たの」


「私とお昼が食べられなくてあんたが寂しがってると思って、可哀そうだからしかたなく来てあげたわよ。ってそれより、お姉さんはともかく、なんでれんまでいるのよ」


「……それはお気遣いどうも。妹ちゃんは愛とお昼食べに来たけど、屋上が雨で使えないから一緒に食べてるの。島本さんも折角来たんだし、一緒に食べる?」


 私の問いかけに島本さんは沈黙する。


 まあそりゃそうか、愛とは自業自得とはいえ告白の件で気まずいだろうし、それにあの姉妹のやり取りを間近で見たら、倒れてしまいかねない。


 しかし、島本さんは逡巡の末に首を縦に振った。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 歯切れこそ悪かったものの頷く。そんな島本さんに、大した根性だと嫌味なく思う。そういう、気持ちの強さというか、妹ちゃんへの執着の真っ直ぐさを最近は快く感じ始めている自分がいた。それは、島本さんのお姉さんが総持先生だからとか、関係なく。


「じゃあ、行こうか」


 私はそう言って、元いた席へと戻る。島本さんも後ろを付いてくる。教室が、また少しざわつく。どうやら、島本さんも妹ちゃんほどじゃないけど、そこそこ有名人みたいだ。まあ、顔立ちだけ見れば相当整っている方だし、スタイルも妹ちゃんに負けず劣らずだし、バスケも上手だったしなぁと、内心で納得する。本人の素を知っているだけに少し悔しいけど。


 そんなことを思いながら、席へとたどり着く。


「てことで、島本さんも、一緒に食べていいかな?」

「もちろん!」


 愛は間髪入れずに頷く、告白関連で、色々あっただろうに、躊躇いなくそんな反応ができるあたりが、愛が愛たる所以だった。


「ありがとうございます! あと、改めてこの前はすみませんでした!」


「だ、大丈夫だから、頭上げて。あと、座って大丈夫だから」


 愛の言葉に島本さんはおずおずと頭を上げ、促されるまま席へと座る。その礼儀正しさや律義さに、やっぱり悪い奴ではないんだよなぁと思う。愛には敬語で私には敬語じゃないんだ、とかそういうのは置いといて。


 そんなことを考えていると、島本さんと愛のやりとりをじっと見ていた妹ちゃんが、ぼそっと呟く。


「りら、お姉ちゃんと接点あったんだ」


 妹ちゃんの言葉には警戒するような響きがあった。


 さっきの、「私のお姉ちゃん」発言もそうだけど、妹ちゃんは愛に対してかなり独占欲が強いようだった。その感情の本質が、家族愛なのか、それとも別の感情なのかはわからないけれど、それだけは確かだった。


 そして、鈍感な愛以外にはバレバレな感情の重さを見せつけられて、島本さんは、パンチを食らったような表情を浮かべた後、それを必死に取り繕って答えた。


「ちょっと色々あってね。けど、お姉さんを取ったりはしないから安心して」


 そう言って、妹ちゃんを安心させるように微笑む。なんか、島本さんが見たことないくらい健気だ。恋の力ってすごい。


「べつにそれは、気にしてないけど」


 とか言いながら、その声色にはがっつり安堵が浮かんでいる。色々とバレバレすぎる。普段からそんな一挙手一投足で島本さんのメンタルを削っていることが容易に想像できて、心中お察ししますって感じだ。


 そして、とうの愛は、妹ちゃんと島本さんの会話をニコニコと眺めていて、こちらも流石愛といった感じの鈍感さ。


 そんなこんなで、唐突に始まった四人での昼食会は表向きは和気藹々と進んだ。裏では様々な矢印が入り乱れているわけだけれど。特に愛は、それにはてんで気づかない様子で、純粋な言葉を並べる。


「そういえば、この前わたしと友香ちゃんでバスケ部の試合観に行ったんだけど、二人とも本当にすごかったよ! カッコよかった」


「ありがとうございます!」


「お姉ちゃんのために、頑張った」


 快活に頭を下げてお礼を言う島本さんとは対照的に、妹ちゃんはまたしれっと湿度の高い言葉を落とす。椅子を愛の方に寄せて、身体をくっつけるようにして。


 そんな一連の動きに、島本さんが硬直している。普段はクールな想い人が、お姉ちゃんにベッタベタに甘えている様子を至近距離で見せられるってすごい複雑なんだろうなってその心中を慮った。なんか、本当にかわいそうになってきて、私は助け船を出す。


「ところで島本さんさぁ。なんか私と愛で態度違くない?」

「は? どこがよ」

 

 私の配慮とか同情とか、知りもしないで。島本さんはぞんざいに答える。


「今まさにじゃん! 愛に対しては敬語ですごい後輩って感じなのに、わたしに対してはタメ口だし! 呼び方もあんたとかだし! なにこの落差?」

「そうだっけ?」

「気づいてなかったってことは、本当に自然に敬われてなかったってことじゃん......」

「ごめんごめん。けど、今更あんたに敬語使う気にはなれないわね」

「なんでよ。私、普通に素晴らしい先輩でしょうが」

「どこがよ。厄介オタクだし、テンションおかしいし、口悪いし、敬えるようなところ、どこにもないけど」

「厄介オタク以外はあんたも人のこと言えないでしょうが!」


 そんな風に助け船から始まり、殴り合いへと発展した会話に対して、妹ちゃんがボソリと呟く。


「なかよし」


「「どこが!」」


 意図せず、否定の声が揃ってしまう。


「息ぴったりだね」


 先ほどの意趣返しのように、愛がニコニコとこちらをみて告げる。


「愛ちょっと良い性格になった? 悪い意味で」


 そんな言葉遊びを、苦笑いの隙間から漏らす。以前までの純粋で人をイジったりなんて絶対しない愛を返して欲しい。


 冗談はさておき。今の愛は普段よりも生き生きとしているように感じた。それはやはり、妹ちゃんが隣にいるからなのかな、なんて考えて、少し曇る。窓の外に広がる雨雲のように激しくはないけれど、ほんの少しだけ。


 そんな風にモヤモヤしていると、今度は意図せず、島本さんの方から助け船めいた話題の展開があった。


「そういえば、れん。さっき、キャプテンと廊下ですれ違った時に言われたんだけど、私たち今度の夏大会前のAチームの合宿に参加だって。また詳しくはミーティングで言われるらしいけど」

「......わかった」


「Aチームってことはすごいの?」

 私はその話題に乗っかる。


「まあ、一年生から選ばれてるのはれんと私だけね」

 得意げに島本さんは胸を張る。


「すごいすごい! れん、おめでとう」


 愛は純粋に賞賛の言葉を並べる。しかし、妹ちゃんは、心なしか浮かない表情で、愛に尋ねる。


「けど、合宿行ったらお姉ちゃんと離れ離れになっちゃう。私がいなくても、お姉ちゃんは平気?」


 おお......まるで今生の別れを前にした時みたいなテンション。そのあまりの湿度の高さに心の中で唸る。なんか妹ちゃんからはどんな話題でもお姉ちゃんに甘えてやるぞという気概を感じる。


 私はこっそり、今にも泡を吹いて倒れそうな島本さんに尋ねる。


「合宿ってそんなに長いの?」

「ううん。一泊二日」

「マジか」


 たった一日離れるだけで、この湿度。妹ちゃんの愛への依存の深さを思い知る。


 そしてとうの愛は、そんな妹ちゃんの問いかけに頬を仄かに染めながら答える。


「ちょっと寂しいかも。けど、れんのこと応援してるから。頑張ってきてね......!」


 そんなやりとりの後、二人は見つめ合って、しっとりと頷きあう。


 なに? 付き合いたての恋人?


 頭に浮かんだ疑問符をいやいやと慌てて取り外す。二人はあくまで仲の良い姉妹、なはず。


 蚊帳の外になった私と島本さんは、目の前に広がる光景に糖分過多で胃もたれしそうになりながら、むしゃむしゃと食事を咀嚼していた。


 もっさりとした、パンの感触を口の中で味わいながら、私は愛の表情を盗み見る。妹ちゃんを見つめる瞳の輝きや、仄かに染まった頬の色を。


 愛は今、何を考えているんだろう。愛が妹ちゃんに向ける矢印の中には何が隠れているのだろう。


 少し前までは呆れるほどよくわかった。姉として妹ちゃんを守ってあげたい。妹ちゃんのために何かしてあげたい。愛から感じるものはそればかりだった。


 しかし、今はわからない。お出かけの時も、今も、軽率に二人だけの世界を作り上げる川井姉妹の中にあるものが本当に家族としての愛情だけなのか。それとも島本さんが危惧するように、ありえないはずだったことがありえてしまうのか。


 そして、何よりも。私はどうあってほしいと思っているのか。それが何よりもわからない。自分も他人もわからない。私の矢印はどこに、どのように伸びるのか。


 そんな、袋小路に囚われる私の横で、島本さんは、妹ちゃんをじっと見つめている。


 その疑いようもない明瞭さに、少し救われた。


 

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