第41話 センパイ

 降りしきる雨が教室の窓を叩く。少し遅れてやってきた梅雨は帳尻をあわせるようにその雨脚を強める。チョークが黒板をなぞる音、しゃがれた先生の声。数多の音によって引き立てられた静寂の中、恨めし気に、窓越しの世界を眺める。


 この雨じゃいつもの屋上は使えないから、れんと一緒にお昼は食べられないだろう。そんなことを考えて、気分が沈む。たったの一日、そんな日があるだけで、落ち込んでしまうなんて。


 わたしは慌てて、気持ちの手綱を握り直す。当たり前だけど、家では毎日会えるんだし、夜だって一緒に寝ていて、昼休みのほんのわずかな時間くらいなんてことない、はずだ。


 沈んだ気持ちを何とか立て直して、また沈んで、そんなことを何度か繰り返して。そういうの全部雨のせいにしたあたりでチャイムが鳴った。わたしが、ぼんやりと自分の席で佇んでいると、友香ちゃんが声をかけてくる。


「お疲れ~。相変わらず、お昼前の授業は眠いね。まあ、お昼後の授業も眠いんだけど」

「そうだね。友香ちゃん、今日は、お昼、島本さんと食べないの?」

「ああ。いつも、中庭で食べてるんだけど、あいにくこの天気だしね。今日は止めとこっかってラインしといた。愛も今日は教室で食べる?」

「そうだね。この天気なら、れんも自分の教室で食べるだろうし」

「じゃあ、久々に二人で食べよっか!」

「うん」


 そんなやり取りの後、友香ちゃんはわたしの前の席に座る。クラスには様々なグループがあって、それぞれ集まって座るから、昼休みは席が流動的に入れ替わる。更に、食堂で食べる人も少なくないから、空席も目立つ。わたしの隣の席の人も、斜め前の席の人も、それぞれ別の席で食べていた。


 久々のいつも通り。談笑しながらお昼の準備を進めていると、ガラガラと、教室のドアが開く。そして、想定外のいつも通りが訪れる。


 れんが、教室の前方でこちらの様子を窺っていた。いつもと同じように、ざわめく教室。

「あれ? 妹ちゃんじゃん」

「うん。ちょっと行ってくる」


 わたしは、慌ててれんの元へと駆け寄った。

「れん、どうしたの?」

「お昼、一緒に食べようと思って」

「この雨だから、今日は来ないかと思ってたよ」

「それは、わたしがいないと、お姉ちゃん寂しいかなと思ったんだけど……そんなことなかった?」


 れんは、視線を伏せて、少しばつが悪そうに尋ねる。そんな様子に、素直な感情が引きずりだされる。


「ううん。寂しかったから、来てくれて嬉しい。それじゃあ、一緒に食べよっか。今日は友香ちゃんもいるけど、大丈夫?」

「大丈夫、挨拶もしたかったし」


 れんが頷いたのを確認して、わたしは席に戻る。れんはその後ろを、持ち前の美貌をまき散らしながら付いてくる。教室の喧騒がより一層ひどくなった気がした。


 友香ちゃんは、れんを携えて帰ってきたわたしを笑顔で迎えてくれた。


「れんも一緒にお昼食べたいらしいんだけど、大丈夫?」

「全然大丈夫! ほら座って座って」


 促されるまま、れんはわたしの隣に腰を下ろす。元来の人見知りからか、少し肩身を狭そうにしているれんに、友香ちゃんは優しく話しかける。

「ていうか、直接話すのは初めてかな? 愛の友人の高槻友香です。よろしくね」

「高槻せんぱい、よろしくお願いします。いつも、"私"のお姉ちゃんがお世話になってます」


 不自然なところが強調された挨拶に友香ちゃんは苦笑いを浮かべる。わたしは、友香ちゃんとれんが言葉を交わしているのが不思議で、そわそわした気分で、二人を見つめていた。


 それと、もう一つ、別のベクトルで、落ち着かないことがあって、それがぽろっと言葉になってこぼれる。


「せんぱいって、いいなぁ」

「というのは?」


 唐突な呟きに、友香ちゃんが首をかしげる。れんは無表情でこちらを見つめる。


「いや、れんのせんぱいって呼び方が新鮮で、いいなぁって。わたしは、お姉ちゃんとしか呼ばれたことないから。ねぇ、れん。ちょっと、わたしのことも、せんぱいって呼んでみてよ」

「やだ」


 速攻で否定された。


「おねがい」


 普段はこんなに、甘えないのに、少しテンションがおかしいかも。そんなことを思いながら、上目遣いで懇願する。


 れんは喉をぐっと鳴らして、視線をさまよわせて、それでも首を横に振った。


「だめ。だって、お姉ちゃんは私のお姉ちゃんだから」


「そうだけどさぁ」



「……めっちゃいちゃつくじゃん」


 友香ちゃんがぼそっと呟く。


「違います」

「ちがうから!」


 わたしたちは慌てて否定する。示し合わせたように、同時に。


「ははは。息ぴったりだし。さすが、姉妹」


 友香ちゃんはそう言って、微笑む。わたしたちは、どちらも顔を朱に染めて、撃沈する。


 そんな、折、再び、教室のドアが開く。


 その、突然の来訪者に穏やかだった友香ちゃんの様子が一変した。目を丸くして、席を立ち、一目散にそちらへ向かった。顔を出したのは、島本さんだった。


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