第35話 ワタシヲ

 家事を片付けてお風呂も入って、ドライヤーや洗顔、保湿も済ませて、あとは寝るだけ。こんな金曜日の夜はいつだって、一週間を乗り切ったという達成感と解放感に包まれる。


 それに、明日は、れんのバスケの試合を観に行く日だ。とても楽しみで、誘ってもらえたことが嬉しい。けれど、同じくらい緊張している。そわそわして落ち着かない。今日は中々寝付けなさそうだ。試合開始自体はお昼からだから、まだ寝なくても問題は無いけれど。


 そんな私と違って、れんは開会式に出るために、朝から会場で待機しないといけないらしい。

 一緒に会場まで行けるわけじゃないから、れんに教えてもらった試合開始の時間と場所をもう一度確認する。市民体育館のAコートで十四時から。友香ちゃんにも伝えたけれど、間違えないようにしなきゃ。

 

 というか、今日は珍しくれんが部屋を訪ねてこない。明日も早いし、もう寝たのだろうか。流石に試合前は一人で過ごしたいよねって分かっているけれど、どうしようもない寂しさに襲われる。


 少し前は、一緒に寝るどころか言葉を交わすことすら稀だったのに。いつの間にか、れんが傍にいることが当たり前の日常が再構築されつつあった。そのことが嬉しくもあり、少し怖くもあり。いつか、れんがわたしの元を離れる時、わたしは笑顔で見送れるだろうか。きちんと、妹離れできるだろうか。例えば、れんに恋人が出来たり、その人と暮らすってなった時は。


 心にモヤモヤとしたものが立ち込める。わたしはそれを慌てて振り払う。緊張しすぎて、少しナーバスになっているみたいだ。試合をするのはれんなのに。わたしは努めて明るさを取り戻す。折角、れんが誘ってくれたんだから、わたしは一生懸命応援しないと。


 そんな風に、自分に言い聞かせていると、コンコンとノックの音が響いた。わたしは、どうしようもなく湧いてくる期待を必死にこらえて、ドアの前へと足を伸ばす。


 ドアノブを引くと、目の前には、期待した通りれんの姿があった。


「やっぱり今日も、一緒に寝る」


 れんは当たり前のように断言して、わたしの部屋へと足を踏み入れた。


 ベッドに二人、慣れた動作で腰掛けてれんはわたしに身体を預けてくる。れんの体温が微かに触れる。そして、そんな状態ではとどまらず、更に身体をこちらに傾けてわたしの膝へと横たわる。いわゆる、膝枕の姿勢。長い脚が、ベッドの端まで伸びているのが見えた。れんのさらさらとした髪が、膝の上に広がった。れんはわたしの膝に頬ずりをして、心地よさそうに目を瞑る。その、子猫のような仕草に頬が緩む。心が満たされる。


 最近、れんに甘えられることで、安心を感じる自分がいた。それは、姉としての庇護欲のようなものともまた違ったところから湧いて出てくるもので、その危うさから目を逸らすように、その感情を姉としての振る舞いでかき消すように目の前の頭を優しく撫でる。そのまま言葉で上書きする。


「今日はまた一段と甘えん坊さんだね」

「別に」

「明日は試合だもんね。緊張して眠れなくなった?」

「緊張はしてない。ただ」

 相変わらずの平淡な口調。わたしの膝に顔をうずめたまま、目を瞑ったまま、れんは言葉を紡ぐ。


「お姉ちゃんと一緒だと、なかなか眠れないから、一人で寝るつもりだった。けど、お姉ちゃんと一緒じゃないと眠れなかったから」


 なぞなぞのような言葉。膝に触れる頬も呼吸も言葉も、やけに熱を帯びている気がした。それは容易くわたしにまで、伝播しそうで、慌てて、言葉で塞ぐ。


「ど、どういう意味?」


 わたしが、尋ねると、れんは静止して。程なくして唐突に起き上がる。そして、そのまま、わたしの頬に手を添えた。


 突如現れたれんの美しさが牙を剥く。


「どういう意味だと思う?」


 顔が強い。少女漫画のような振る舞いもすっかり板についてしまうくらい、全てが綺麗で、わたしの鼓動まで少女漫画みたいになる。そして、その振る舞いや鼓動の元凶が自分の妹だという事実に頭がおかしくなりそうになる。いや、もうこんなに沸騰しそうなくらい熱い時点でおかしいのかもしれないけど。わたしを捉えて離さない、れんの瞳に、吸い込まれそうになって、逃げなきゃって、それだけを理性が訴えて。


 何とか、言葉を絞り出す。


「わからない」


 わたしの答えにも、納得がいかないようで、れんはなおもわたしを見つめ続ける。その時間の長さに、視覚以外のあらゆる器官までれんに浸食されそうになる。匂いとか、感触とか、もっとれんに触れたいって。


 そんな欲望が形になる直前、れんがわたしから離れた。


「そっか、そうだよね」


 残された言葉は、少し寂し気で、反射的に追いすがろうとしてしまう。そうして、れんへと、手を伸ばす直前になって気づく。わたしを捉えるれんの視線が依然として、熱を孕んでいることに。


 そしてその、激しく美しい光線を伝って、言葉が届く。


「明日は、私を見ててね。私だけを、見ててね」

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