第22話 ガンバル
晩ご飯の後片付けやお風呂など、するべきことを全て終え、ベッドに身体を横たわらせる。いつもは小説を少し読んで眠りにつくけれど、今日はなんとなくそんな気になれず、電気をつけたまま目を閉じる。
先ほどのお母さんの言葉について考える。お母さんは、強くて、優しくて。だからそれ故に、ずっと、わたしたちに対して後ろめたさを抱えているのだと思う。責任感の一際強い人だから、少しでも普通が与えられないことが悔しいのだと思う。わたしたちは今のままで十分、幸せなのに。
それが伝わっていないことが、少しだけもどかしい。けれど、それだけ真剣にわたしたちの幸せについて考えてくれていることは嬉しいし、そんなお母さんをわたしは尊敬している。
やっぱり、わたしが守ってあげられるようにならなきゃ。お母さんも、れんも。いつまでも、家族で仲良く暮らせるように。結局、行きつくのはそんな決意で。だから、早く大人になりたいと思う。
そんな風に決意を新たにしていると、部屋のドアがコンコンと鳴る。きっと、お母さんだ。なにか、用事だろうか。
「はーい」
わたしはベッドから飛び降りて、ドアの前に向かう。それから、ドアをゆっくりと開くと、想定していたよりも高い位置に頭があった。
そこに立っていたのはれんだった。予想外の来訪者に、わたしは動揺して尋ねる。
「え、どうしたの?」
わたしの問いかけに、れんは視線を伏せて、ぽつりと言葉を落とす。
「一緒に寝てもいい?」
平淡な口調に反して、頬はお風呂上りで赤く染まっていて、小首を傾げる仕草は、わたしよりも背が高いのに、上目遣いのように感じられた。れんのこういうところに、わたしは弱い。
「……いいよ」
理由も聞かずに了承してしまった。けれど、あのれんが一緒に寝たいって言いだすってことはよっぽど寂しかったり、他にも何か理由があるんだろうから、それを聞くのも野暮か、と一人で納得した。
「じゃあ、お邪魔します」
そう言って、れんは恐る恐るといった感じで部屋に入る。わたしは、ドアを後ろ手で閉めて、れんを追い越し、そのままベッドへと横たわる。そして、部屋の真ん中で所在なさげにしているれんを導くように、隣のスペースを指し示し、声をかける。
「れん、おいで」
わたしの呼びかけに、れんは、なぜか一瞬身体を固まらせて、それからこちらへと近づいてくる。そのまま、わたしの隣に、横たわる。
かと思いきや、まるで落下するように、不自然な動作で、わたしの上に覆いかぶさる。
「れん……?」
突如、五感を襲った体温に、大きすぎる感触に、困惑の声が漏れる。近い。急激にあがった心拍数が伝わってしまいそうなくらい、近い。そしてそれが伝わってると想像すると、恥ずかしい。なんで? なんで恥ずかしいのか明確な理由はなく、それでも顔が熱くなる。
れんの大きな手が、細くて長い指がそんな顔のすぐそこにあって、布団に沈みこんでいる。
というか、顔。顔も近い。れんの瞳に映るわたしが見えそうなくらい。
「おねえちゃん」
れんは、わたしの耳元で呟く。その綺麗な声が鼓膜を震わせて、全身を駆け巡って、血が沸騰する。
こんな距離、ダメだ。ただでさえ、最近おかしい距離感が本格的にダメになりそうだ。今日のお昼も、反射で頭を撫でてしまったばかりなのに。
そんな風に、一人内心で様々な思考を駆け巡らせていると
「ごめん、間違えた」
そう言って、れんは密着を解き、わたしの隣へと、身体を横たえた。
心に隙間風が吹くようだった。今でも十分、近い距離にいるのに、そんな風に感じるなんて。いよいよ本格的に感覚がおかしくなっているようだった。姉としての威厳なんて、あったものじゃない。わたしは一度落ち着きたくて、れんのいる方とは逆向きに頭を置いて、深呼吸をする。そしたら
「こっち向いてよ」
背中から、れんの声が響く。珍しく、すねたような声色で。わたしは思わず、寝返りを打つように姿勢を変えてれんに向き直る。
すると、れんの顔がすぐ目の前にある。足は少し折り曲げられて、わたしの身体に沿わされている。それでもなお、わたしより先まで伸びるつま先に、スタイルの良さを実感する。そして、鼻腔をくすぐる匂い。わたしと同じシャンプーの匂い。それにもかかわらず、れんの方が甘く感じる。その理由を探るように、ひとまず、目の前の瞳を見つめる。普段はその大人びた雰囲気と、洗練された立ち居振る舞いから、クールな印象を受けるけど、同じ目線で見つめると、むしろ、愛くるしい。まるで、子猫のような可愛らしい瞳をしている。そんなところは昔から、変わらない。
そんな、れんの昔と変わらないところを見つけると、不思議と心が落ち着いた。そして、そんなわたしと対照的に、れんは目を回すようにきょろきょろと視線をさまよわせる。まるで、わたしの視線から、逃げるように。けれど狭いベッドの中、逃げ場はどこにもなくて、観念したようにわたしを見つめて、ぼそりと呟く。
「ちかい」
「さすがに高校生になると、二人で寝るのはちょっと狭いね」
そう言って、微笑んで、れんの頭を軽く撫でる。そうしていると、心が和らぐ。
れんは目を瞑って、されるがままになっている。そうして、しばらく無言で、ベッドの上を、二人で揺蕩う。お互いの体温の輪郭が軽く触れあうくらいの距離感で。それはとても柔らかな時間だった。
わたしは、枕元に手を伸ばし、電気のリモコンのスイッチを押す。暗闇が、部屋を包む。
かすかな常夜灯だけに照らされた視界で、れんが身体をこちらに寄せる。わたしは、安らかさを維持するように、お姉ちゃん口調で尋ねる。
「今日は、どうしたの」
核心に触れすぎないよう、やんわりと、感情の外縁だけをなぞるように。
れんは、少し、考え込むように静止してから、ゆっくりと、噛み締めるように答える。
「頑張ろうって、決めたの。今まで、迷ってたことを、迷わないことにしたの」
わたしの意図を知ってか、知らずか、れんの答えも抽象的で、頑張るための元気が欲しいってことかな、と納得する。その元気の源にわたしが選ばれたのなら、それは光栄だ。
誇らしい気持ちと、寂しい気持ちが入り混じる。寂しいのは、れんのその頑張りたいことっていうのが、部活にしろ、勉強にしろ、恋愛にしろ、わたしの世界とは離れたところの話なんだろうなと、思うから。
反抗期が少し収まって、距離が近くなって、近くなったからこそ思う。姉妹の距離っていうのは、徐々に、徐々に離れていくのが普通なんだろうなって。違う部活に入って、一緒に登下校しなくなって、部屋も別れて、そんな風に知らないれんが増えていったように。
島本さんみたいに、れんに想いを寄せて一緒に人生を歩みたいって人だって、これからいくらでも現れるだろうし。
家族の繋がりは絶対に消えないけど、その繋がりがあるからこそ人は違う世界を広げていく。家族とは隔たった場所に自分の居場所を築いていく。家はあくまで帰ってくる場所で、目的にはなりえない。わたしみたいに、家族が世界の中心でいる人は、本当に少数なのだと思う。
だから、一緒だった世界は徐々に切り離されて、れんはわたしとは違う空を羽ばたいていく。
それでも疲れた時や、今みたいにちょっと寂しくなった時に、身を寄せてもらえるような場所になりたい。いつだって、安心して帰ってこれるような場所を築きたい。れんが、辛いときは、守ってあげられるようなお姉ちゃんでいたい。
「そっか。応援してる。お姉ちゃんも、頑張るよ」
れんの世界に少しでも存在できるように。そんな願いを込めて。
その言葉に、れんは寂しそうな表情で頷いた。それが本当に寂しさなのか、確かめる前に、意識が睡魔に吞み込まれた。朦朧とする意識で、れんが何か呟いたような気がするけど、その言葉を捉えることはできなかった。
「私、本当に頑張るから。覚悟してね、お姉ちゃん」
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