第21話 シアワセ?
今日はお母さんが早く帰ってくる日だから、友香ちゃんと二人で部室にいる。
グラウンドや体育館から聞こえる運動部の掛け声と、吹部の楽器の音、その隙間に潜ませるように、ページをめくる微かな音が響く。繰り返される動作の中でゆっくりと進んでいく日常。
しかし、今日は友香ちゃんの様子がいつもと少し違っていた。いつもなら、BL小説を読んでニコニコと笑みを浮かべたり、身を悶えさせたり、声にならない声を上げたりするのに、今日はやけに難しそうな顔で淡々とページをめくっている。もしかして遂に一般小説を、と思い表紙を覗き込んだら、似た顔をした男性二人が裸で向き合っているいつもの表紙で、わたしは思わず顔を逸らした。
「どうしたの?」
一人で忙しなくなっているわたしに友香ちゃんは尋ねる。
「いや、なんか友香ちゃんの読んでいる時の様子がいつもと違うなと思って」
「そうかな」
「いつもはもっと楽しそうというか、笑顔というか」
「うそ!? そんな顔に出てるの!?」
わたしは、その大げさなリアクションに苦笑しながら頷く。
「まじか。ちょっと気を付けよ」
友香ちゃんはそう言って、顔に手をやって表情をキリっとさせる。彼女も容姿は整っているのに、どこかその動きはコミカルで、彫像のように表情を崩さないれんの凄さを改めて思い知った。
わたしは、表紙を覗き見た時に、見えた文字列が馴染みのあるものだったなと思い返しながら尋ねる。
「それって、前話してた総持先生の新刊だよね?」
「うん。ちょっと、気になる所があって読み返してるんだけど……あ、先生の名誉のために言っておくと、面白くないって訳じゃないからね」
推し作家のため必死になる友香ちゃんの様子が面白くて、わたしは笑った。
そんな一幕がありながらも、総じて、部活はつつがなく終了した。
下校のチャイムに合わせて、わたしたちは学校を出る。
この時間まで、残ることは珍しく、目前に広がる夕焼けをどこか目新しいような、懐かしいような気分で見つめる。学童保育の終わり、れんと二人で帰っていた時の空は、こんな色だったっけ。そんなことを考えながら、隣を歩く友香ちゃんととりとめもない言葉を交わして、また一つ、日常が積み重なっていく。小学校の時から、そういった日々は終わらないような気がしていたけど、一つ一つ、終わった先に今があるわけで。そして今日も、また一歩未来に近づくように、友香ちゃんと別れるT字路にたどり着く。
「じゃあまた明日」
「また明日」
そう言って、ばいばいして。少し歩けば我が家にたどり着く。慣れた手つきで引き戸を開ける。
「ただいま」
小さい頃、お母さんに口を酸っぱくして言われた言いつけ通り、人がいてもいなくても、挨拶をする。
「おかえりー」
返事があることに、やはり嬉しくなる。友達と別れた後、迎えてくれる声があるって素敵なことだと思う。
廊下までかすかに漂ってくる料理の匂いに釣られるように、わたしは歩く。
キッチンまでたどり着き、コンロに向かう背中に尋ねる。
「今日のご飯、カレー?」
「正解。よくわかったね」
「そんな匂いしたから」
「さすが、いつも料理してくれてるだけある。もうすぐご飯できるから、お皿の準備だけ手伝ってくれる?」
「うん!」
わたしは洗面所に行って手を洗い、自分の部屋に荷物を置き、制服から部屋着に着替える。部屋着というか、れんのお古のTシャツに袖を通す。姉として少し恥ずかしいなと思いながらも、捨てるのももったいないから部屋着で使わせてもらっている。
それから、再びキッチンに戻って、お皿を出したり、料理を食卓に並べたりして晩ご飯の準備を手伝う。
そうしているうちにガラガラと音が鳴って、れんが居間に顔を出す。
「ただいま」
「おかえり。もうご飯だから、着替えておいで」
れんは頷いて、自分の部屋へと消えて行く。わたしはその背中を穏やかな気持ちで見送る。三人での食事はいつだって心が躍る。最近は、れんが一緒にご飯を食べてくれていたから、寂しくなかったけど、家族が揃う時間は貴重だからこそ、大事にしたいと思う。
そんなことを考えながら準備を進める内、料理がすべて食卓に並び、わたしとお母さんは席に着く。程なくして、部屋着のれんも顔を出し、席に着く。用意された席ではなく、わたしの隣に。いつの間にか、こちらが定位置になったみたいだ。食器を何食わぬ顔で動かすれん。そんな様子をお母さんはニコニコと見ている。
「いただきます」
誰からともなくそう言って、晩ご飯が始まる。カレーを掬って食べる。いつもと同じ、鶏肉や野菜のいっぱい入ったカレー。
「美味しい?」
「美味しいよ。やっぱりお母さんのカレーが一番安心するね」
わたしの言葉にお母さんは頬をほころばせる。隣で、れんも頻りに頷いている。
そんな暖かな時間。その延長線上に小石を転がすように、お母さんは尋ねる。
「そういえば、愛がこの前話してた告白の件、どうなったの?」
娘と恋バナをするのが楽しいのか、お母さんはニコニコしている。隣で、れんは澄ました顔で水を飲んでいる。すると、器官にはいったのか、ゲホゲホとむせる。
「大丈夫!?」
前もこんなことあったような。わたしは既視感に襲われながられんの背中を撫でる。撫でながら、答える。
「断ったけど、相手の子を、傷つけずには済んだよ」
色々と事情が込み入っているうえに、今背中を撫でているれんがその張本人なこともあり、含みのある言い方になる。案の定、わたしの回答にお母さんは怪訝な顔を浮かべる。それから、こちらを安心させるような笑みを浮かべて言う。
「そっか。ちょっとよくわからない部分もあるけど、愛が自分の気持ちに正直に選んだ結果なら、それでいいと思うよ」
「ありがとう」
わたしは微笑む。お母さんも微笑む。それから、お母さんは小さく息を吐いて言葉を続ける。
「愛とれん。二人が大きくなったら話そうと思ってた話があって、ちょうどいいタイミングだから、今言うね」
穏やかな口調とは対照的な改まった語り口に背筋が伸びる。れんも真剣な顔でお母さんを見つめる。わたしはそっとれんの背中から手を離す。
「わたしはね、お父さんとの結婚、全く後悔してないの。だってそのおかげで、二人の可愛い娘に、世界で一番大切な宝物に出会えたからね。だから、いろんなボタンの掛け違いで別れることにはなったけど、お父さんのこと、嫌いじゃないし感謝してる」
今までなんとなく話題に上がるのを避けていたお父さんの話。それにあえて触れて、お母さんは力強く、わたしたちの目を交互に見て言う。
「だからね、愛も、れんも。恋や、幸せになることに、臆病にならないでね。自分が幸せになるために、人生を使ってね。それだけは、二人にいつか伝えておかなきゃと、思っていたの」
お母さんは微笑みながらも、その目は真剣な響きを帯びていた。そういうお母さんは自分の人生の大半をわたしたちのために費やして、いつだって、わたしたちの幸せのために生きている。
「って。いきなり、こんな話されても困るよね。カレー、冷めちゃうから、食べて食べて」
柔らかく、明るく告げるお母さんを見て思う。
わたしもこんな風に、強く、優しくなりたいって。
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