第19話 ホウタイ?
「私、本当は、れんのことが好きなんです」
島本さんの言葉が何度も脳内を駆け巡る。それを掻きだすように、フライパンの中身を菜箸でかき混ぜる。生姜の匂いが充満する。鶏むね肉が、ジュウジュウと音を立てて燃える。そんな慣れ親しんだ工程を無心でこなす。気を抜くと思考に意識が引っ張られ、注意が散漫になる。気づけば再び思考の袋小路に捕われる。
れんがモテるのなんて、今に始まった話じゃないのに。運動もできて、容姿にも優れていて、人気を集めないわけがないのに。それなのに、直接その事実を知るだけで、動揺する自分がいた。そして、その原因がなんなのか、このモヤモヤが何なのか、わからないことも動揺を加速させた。れんがいろんな人に好かれているなんて、素晴らしいことだ。姉として、誇らしいはずだ。それなのに、どうして手放しで喜べないのだろう。
そんな疑念を振り払うように、フライパンを揺する。
わたしはお姉ちゃんなんだから、もっとしっかりとしないと。
改めて気を引き締め直す。
すると、そんな心のうちと呼応するように、ガラガラガラと、玄関から音がした。軽い足音の後、れんがキッチンへ顔を出す。
「れん、おかえり」
「ただいま……あのさ」
れんは何か言いたげに、俯いた後、わたしの隣へと身を寄せる。
「今日も、ご飯食べさせて」
包帯の巻かれた右手首をことさらに主張しながら、そう告げる。声も、顔も大人びているのに、そんな動作だけ子供みたいで、そのちぐはぐさに目を奪われる。
「わかった」
れんを見つめているうち、わたしの口は無意識で動いた。最近何度も思う。わたしは少し、甘えてくるれんに甘すぎる。
「ありがとう」
感謝を告げるれんは、やはり無表情で、完璧すぎる美しさで、笑顔でも何でもいいから少しくらいその表情が崩れるところを見たいって変なことを思った。喜怒哀楽が激しかった昔のれんの表情を、もう上手く思い出すことができない。
そんなことを考えながら、れんをぼんやりと見つめていると、
「もういいんじゃない」
れんがわたしの手元を覗いて言う。そちらに視線を戻すと、フライパンの中で、鶏肉が焦げていた。
わたしは慌てて火を止めた。
そんなこんなで、焦げのひどい部分はわたしのお皿によそったりして、無事に料理の準備が整った。
部屋に戻っていたれんもちょうどいいタイミングで食卓に顔を出した。そして当たり前のようにわたしの隣の席に腰掛ける。そんな当たり前が生まれつつあることに、思わず笑みがこぼれる。
「なに笑ってるの」
そんなわたしの様子に、れんは冷たく言い放つ。
「ごめん、なんでもないよ。じゃあ、食べよっか」
わたしは自分の席に腰掛け、
「いただきます」
と告げる。れんもそれに倣って手を合わせたあと、じっとわたしを見つめる。
わたしは微笑んで、れんに鶏肉を差し出す。れんはパクリとそれを頬張る。相変わらず、小さな一口。
慣れたもので、わたしは順序良く、れんにご飯を与えながら、自分の食事も進める。もちろん、あまりれんから目を離すと、れんが不服そうな顔をするので、時折、視線を交わしながら。
そんな風に、風変わりな食事を進めていると、咀嚼を終えたれんが藪から棒に尋ねる。
「今日、ちょっと変だけど、なにかあった?」
「どうして?」
「だって、料理焦がしてたし、やたらとこっち見てくるし、変」
れんの問いかけにわたしは二重で驚く。れんの勘の鋭さと、そんなにれんのことを見てたのかっていうわたし自身の無意識に。
「別になにもなかったよ」
まさか、島本さんの本当の気持ちを知ったなんて言えるわけもなく、わたしはれんから目を逸らしてごまかす。しかしすぐさま、追及が飛んでくる。
「まさか、この前告白された人にまた何か言われたとか……」
そう言って、れんはグイっと身を乗り出してくる。美人が凄むと圧が凄くて、スタイルの良さも相まって、追い詰められたような格好になる。というか、近い。れんの長いまつげとか、つややかな唇とか、視界が綺麗な情報で埋め尽くされる。反射のように、鼓動が早くなる。
そうやって、わたしが小規模なピンチに陥っていると、玄関から扉が開く音がした。れんは反射で身体を遠ざけた。程なくして、食卓にお母さんが現れた。
「ただいま、って。どういう風の吹き回し? 仲良く隣り合ってご飯食べるなんて」
怪訝な顔をするお母さんにわたしは慌てて説明する。
「れんが手首を怪我したみたいで、それでわたしが代わりに食べさせてあげてて」
わたしの説明で、お母さんはれんの手首に巻かれた包帯に気づき、慌ててこちらに駆けよってくる。
「それは大変。その怪我の具合はどう?大丈夫? 今どんな感じになってるのか、ちょっと見せて」
そう言って、流石、医療従事者の手際の良さでれんの手首の包帯を解く。
「あ」
れんはなぜか慌てたような声を上げる。
直後、晒されたれんの手首は、白くて、他と同じように綺麗で、見たところ異常はなかった。
「ぱっと見た感じ、どうにもなってないけど」
困惑して呟くお母さんに、れんは告げる。
「治ったの、気づかなかった」
そう言って、ものすごい勢いで残りの料理を食べ始める。さっきまでの小さな一口は見る影もなく、器用に全て平らげて。
「ごちそうさま」
そう言って、これまたものすごい勢いで部屋へと帰っていった。平然を装ってはいたけどその顔は真っ赤だった。
なぜか、その赤に、心臓が弾んだ。
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