第18話 たとえ届かぬ恋だとしても

 そこから、定期的にれんは私に相談をするようになった。友達の話なんだけどって、前置きと共に。


「好きな人とお話できなくて寂しい。けど、少しでも喋ると好意が溢れてしまいそうで、怖い」

「せめて、普段の感謝くらいは伝えたいのに、もうどんなふうに接すればいいのか完全に忘れちゃって、どうしようもないの」

「無視するたびに、辛くて、心が痛んで。けど、そんな風に冷たく接しているのに、見捨てないで話しかけてくれるのを少しだけ、喜んでしまう自分がいて。そんな自分が嫌になる」


 れんから放たれる言葉の数々が容赦なく私を襲った。私の知らない誰かへの想いが、私の恋心を粉々にしていく。

 

 皮肉なことに相談を重ねるごとに、私とれんの距離は縮まった。いつの間にか、お互い下の名前で呼び合うようになった。れんへの想いが砕かれるにつれて、れんとの仲が深まる構図は本当に、皮肉以外の何物でもなかった。


 そして、私が相談に乗り始めてから、れんの空気は柔らかくなった。以前のような底抜けの明るさではないものの、穏やかさを取り戻したれんの元には、また人が集まりだした。そんな風に、日々は流れていた。


 そんなある日、私とれんで廊下を歩いていると、前から二人の女子生徒が歩いてきた。上履きの色で、一学年上の先輩だとわかった。私たちより少しだけ背が低い人が興奮気味に何かを語っている。そしてそれに耳を傾けるもう一人の生徒は、さらに背が小さく、袖丈の少し余った制服が可愛らしかった。とても先輩とは思えない、愛くるしくて穏やかな空気が傍から見ても感じ取れた。


 私がぼんやりと、近づいてくるその人たちを見ていると、れんが一瞬、硬直した。その直後、小さい先輩がなぜかこちらを向いて笑みを浮かべた。それから

「れん!」 

 と叫んで、手を振る。制服の袖がひらひらと揺れる。


 しかし、れんは返事をしなかった。一瞬、立ち止まったあと、先ほどよりも早足で歩きだし、先輩の方を見向きもしなかった。小さい先輩は笑顔を張り付けたまま、肩を寂しげに竦め、その肩をもう一人の先輩が優しく叩いて慰めていた。そんな光景を最後に、私たちはすれ違った。

「妹ちゃんは相変わらずだねぇ」

 なんて声が後ろからかすかに聞こえた。


 しばらく歩いたところで、れんは急に立ち止まり、先ほどの先輩たちの小さくなった背中をじっと見つめた。物悲しそうに、焼き切れるぐらいの名残り惜しさを湛えて。


 その眼や表情で、私はすぐにわかってしまった。だって、その温度は私がれんに向けているものと同じ性質のものだったから。私は恐る恐る尋ねた。

「知り合い?」

 れんはそっと、まるで秘密を抱きしめるように呟いた。

「……私の、お姉ちゃん」


 れんの言葉を聞いた瞬間、私は天を仰いだ。


 その恋は不毛だ。私にも姉がいるけれど、その姉に恋をするなんて考えられなかった。

 しかし、れんの想いが一時の気の迷いじゃないことくらい、相談に乗り続けてきた私が一番よく知っていた。そんなの嫌というほど痛感させられてきた。


 だからこそ、相談が必要だったのだと、私は気づいた。その恋がいばらの道であることくらい、本人が一番わかっているだろうから。

 そして、その恋がどれだけいばらの道でも、想いを止めることができないことは、私が一番よくわかっていた。


 それでも、考えずにはいられない。私だったら、そんな思いさせないのに。私の気持ちに応えてくれるだけで、れんは救われるのに。


 れんの相談は止まらなかった。私がどれだけ無惨に砕かれても、この恋を捨てることができないように、れんもお姉さんへの恋を捨てることができないようだった。だから、わたしたちは、同じところを何周もぐるぐると、回った。


 れんはスポーツ推薦の誘いをすべて断って、地元の公立高校に進学した。そこは私の第一志望と同じだった。けれど、もちろん私が目的なわけじゃなく、お姉さんと同じ学校に通うため。

 それでも同じ高校に通えるだけで嬉しいと思ってしまうあたり、救いようが無かった。


 そうして、高校に進学しても私たちは不毛な繰り返しを繰り返した。私はいい加減、うんざりしていた。疲弊して、痛みにも慣れて、それなのに、手のひらで握るれんへの想いだけはいまだに熱くて、痛くて、だからどこにも行けなくて。


 ある日、救いを求めた私は、姉に事の顛末を相談した。

 少し。いや、かなり人間的に欠けたところのある姉は、私の相談に対して、とんでもない提案をした。

「じゃあ、その好きな人のお姉ちゃんと付き合っちゃえばいいじゃん。そうすれば、好きな人も目を醒ますかも」

 人の心をどこかに置いてきたような解決策。

 しかし、私には、それが蜘蛛の糸のように感じられた。



 そんな、馬鹿げた提案を実行した私が一番の馬鹿だって、靴箱に手紙を忍ばせた時にはもう気づいていた。ああ、今、私は過ちを犯している、って。お姉さんと対峙して、れんが夢中になるのも理解できてしまうくらいの善性の片鱗に触れた時にはもう気づいていた。

 お姉さんの元へと向かうれんの後をこっそりつけている時も、こんなことしても何もならないって。

 

 高槻友香に言われなくても、それくらい。

 

 しかし、理解できていたからこそ、高槻友香の指摘は耳が痛く、八つ当たりのような腹立たしさを感じていた。だから、彼女のお姉さんへの気持ちを指摘したのも半分当てずっぽうのやけっぱちだった。しかし、その自棄が思わぬ方向に転がった。


 さきほどまでの糾弾する姿勢から一転して、自身の恋心を打ち明け、片想い同士で同盟を結ぼうと持ち掛けてくる高槻友香。私はその勢いに飲まれ、あきらめきれない恋だとか、お姉さんとれんのそれぞれに感じる罪悪感とか、叶わぬ恋を包み隠さず共有できる仲間が欲しいとか、思惑や感情がごちゃ混ぜになって、訳が分からなくなって。

 気づいた時には首を縦に振っていた。そして、そんな混沌の中でも、一つ筋を通そうと、高槻友香に交換条件を持ちかける自分がいた。

「それじゃあ、お姉さんに伝えて。放課後、もう一度、体育館裏に来るようにって」

 もしかしたらそれすらも、ただ自分が楽になりたいが故の、望みなのかもしれないけれど。


 

 とにかく、私はそんなこんがらがった糸の積み重ねの上で、お姉さんを待っている。体育館裏、嘘の告白をしたあの日と同じように。今度は、本当の告白をするために。


 一陣の風が、背中を撫で、渡り廊下の方へと抜けていった。そして、その風に誘われるように、お姉さんは現れた。私の姿を認めて、小走りで、こちらに駆けてくる。


「遅くなってごめんなさい」

「いえ、こちらこそ何度も呼び出して、すみません」

「それで、話っていうのは……?」

 不安げに、お姉さんは尋ねる。私は、大きく息を吸って、言葉を吐き出した。

「ごめんなさい。この前の告白、嘘だったんです。私、本当は別の人のことが好きなんです」

 言葉にしてみて、改めて最低だと思う。到底許されないことだと思う。

 それなのに、お姉さんはにっこりと笑って

「良かった。わたし、島本さんのこと傷つけちゃったと思って、それがずっと心残りだったから」

 そんな風に、心底安心したような口調で告げる。私は痛感する。なんで、れんがそこまでお姉さんにこだわるのか。どうして、他の人じゃダメなのか。家庭環境だとかそんなことは、結局、一つの要因に過ぎなくて。れんにとっては、この人じゃないとだめなのだ。


 そんな事実を、突き付けられて、絶望して。けれど、それでも諦めることができない私の気持ちもまた、真実だから。

 それが、たとえ届かぬ恋だとしても。


 私は意を決して伝える。

「私、本当は、れんのことが好きなんです。今日は、謝罪とそれだけ、伝えたくて」


 私の言葉に、お姉さんは目を見開く。その仕草は、れんに怖いくらいよく似ていた。

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