第17話 初恋は、叶わない


 一目惚れだった。


 背が高いからという理由だけで何となく入ったバスケ部で、れんを見つけた。その瞬間、私は初めての恋と出会った。


 れんは、私と同じ初心者での入部ながら、早々に存在感を放っていた。まず、その天性の運動センス。初心者とは思えない動きで、上達も早く、背も高かったからすぐに試合に絡むようになった。突如現れたスーパールーキー。そんな立ち位置の中、彼女はその持ち前の明るいキャラクターですぐに部に馴染んだ。先輩も同級生も彼女に一目置いていた。


 そして、何よりも、れんは容姿に優れていた。長い黒髪に、猫を思わせる涼し気で愛くるしい瞳。彼女はただそこにいるだけで人を惹きつけた。それこそ、私のような何もない人間が、うっかりと恋に落ちてしまうくらいには。


 れんはいつだってみんなの中心にいて、太陽のようにキラキラと輝いていた。私はその輝きを、ただ見ていた。焦がされんばかりの熱を、胸の内に抱えながら。


 私とれんは同じ女子バスケ部員の一年生でありながら、住む世界が違った。だから、私は自分の恋を、初めから諦めていた。どうせ手を伸ばしても届かない、と。

 言葉を交わすこともなく、ただ想うだけで緩やかに私の初恋は終わるはずだった。そんな諦念が変わったのは、入部してから二カ月ほどが経過した、梅雨の時期。


 れんはいきなり、髪をバッサリと切った。そして、それに呼応するように、持ち前の明るさは鳴りを潜めて、眩いばかりの輝きを周囲にまき散らすことは無くなった。まるで、人が変わったように。皆を照らす太陽ではなく、夜空にそっと佇む月のように。


 急変した彼女の様子に周囲は戸惑った。いつしか、人を惹きつけて止まなかった愛くるしい瞳は憂いを帯びて、誰も軽率に手を出せないような美貌へと変わった。

 そうして、れんの周りからは人がいなくなった。みんな、触れたら壊れる芸術品のように、おっかなびっくり、遠くから彼女の美しさを眺めていた。


 私もその一員だった。畏れ多くて自分からはとても近づけなかった。

 

 近づいてきてくれたのは、れんからだった。

 恐らく、バスケ部の中でも、図抜けて口数が少なく、大人しいのが都合よかったのだと思う。

 

 何か特別なきっかけがあったわけではない。いつからか、彼女は私と多くの時間を過ごすようになった。例えば移動や、試合前の待機時間など。何をするでもないけど、私の隣にいることが増えた。言葉を交わすことはほとんどなく、静寂の中、私の心臓の音だけがひたすらにうるさかった。諦めたはずの初恋が、すぐ近くに。碌な言葉を交わせなくても、ただ彼女の隣にいるだけで、世界は甘く色づいた。


 れんと同じ歩幅で歩くとき、隣で着替えるとき、練習中、私がシュートを決めて手と手を合わせた時。その一瞬の淡い体温。すべての時間が鮮明に刻まれている。いつまでも、この穏やかな日々が、柔らかく弾む張り裂けそうな鼓動が、初恋が続いてほしいと願った。叶ってほしいのではなく、終わってほしくない。私の中にあるのはそんな後ろ向きな願いだった。


 しかし、いつまでも幸福な時間は続かなかった。ある日の帰り道、れんは珍しく口を開いた。

「島本さんにちょっと相談があるんだけどいい?」

 鼓膜を震わせた鈴のような音。縋るように、夕焼けを反射して輝く瞳が私を見つめた。頷くしかなかった。

「いいよ」

 れんは一息ついた後、まるで罪でも告白するように、苦しげに、語り始めた。


「これは友達の話なんだけど。友達がね、好きになったらダメな人を好きになったの。好きになったというか、前から多分その人のことがずっと好きで、最近、それが普通じゃないってことに気づいたんだけど。とにかく、それで、その気持ちは隠さなきゃいけなくて、近くにいたら溢れだしそうだから距離を取ることにしたの。けれど、それが辛くて、わざと冷たく接するたびに心が張り裂けそうで。それで悩んでるんだけど、島本さんはどうすればいいと思う?」

 

 こんなに口数の多いれんの姿は見たことが無かった。その痛切な態度が雄弁に“友達”の気持ちの大きさを表していて、放たれる言葉の一つ一つで、鼓動が切り裂かれるようだった。


 彼女は、私の答えをじっと待つ。私は、叶うことも伝えることもできなくなった恋心を呆然と握りしめ、なんとか言葉を絞り出す。


「解決策とかは、わからないけど。私も叶わない恋の辛さなら、ちょっとわかるから。だから、友達にそれだけ伝えてあげて。一人じゃないよって」


 れんは私の言葉に大きく目を見開き、頷いた。


「分かった。伝えておく。島本さんも、もしその恋で悩んでるなら、相談して。私で良ければ、力になるから」

「ありがとう。いつか、ね」


 私は、力なく笑った。

 相談なんて、できるわけがない。

 切り裂かれた初恋の残骸は、繋ぎ合わせて元に戻すことも、捨てることもできず、いつまでも手のひらの中を漂っていた。

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