第15話 愛の世界
「後輩ちゃんと一緒に歩いていった子。あれって、川井さんだよね。なんであの子と知り合いなんだろ」
「知り合いもなんも、あの二人、姉妹らしいよ」
「ええ!? 全然似てないじゃん。川井さん、地味であんまり目立たないし。ていうか妹さんの方が背高いし」
そんな風に好き勝手いう教室の喧騒に、うるせーって思う。愛の良さがわからないなんて、見る目のない奴らだ。
というか、そういうナチュラルに他者を評価する側にいるんだっていう尊大な自意識とか、他者の自意識にはズカズカと踏み込んでくる無遠慮さだとかがどうにも我慢できなくて、人付き合いに後ろ向きになったんだった、と、思い出す。それは、私も少なからず持っているもので、潔癖の入り混じった同族嫌悪が自分自身に牙を剥く感覚も含めて人間関係に纏わるあれこれはどうも苦手だ。
昔の私はそういったしがらみから自由になりたくて、人付き合いを断って、その隠れ蓑としてBLにのめり込んだ。没頭できて人と隔てられさえすれば、何でもよかった。更に言えば、当時の私も含む多くの人にとって馴染みの薄い、男同士の恋愛を耽美的に描いた世界は、現実からの防御壁として最適だった。もちろん今では、BLは人生の中心と言ってもいいくらいだけど、初めはそんな打算と俗に塗れた理由だった。
そして、愛と出会ったのもちょうどそんな時だった。
愛という人間はそういった私の忌避する煩わしさとは対極に位置する存在だった。愛から感じるものはいつだって優しさや慈愛といった、おおよそ同年代の人間が持ち合わせているとは思えないもので、それゆえに私は愛に強く惹かれた。初めは半信半疑だった。ただ、気が弱いだけで、薄皮を一枚剝いだら他の人と同じものが出てくるのだと思っていた。
けれど、愛は違った。人に優しく、自意識を守ることには何の執着もない。例えば、妹ちゃんに半ば理不尽に反抗されても、怒るどころか、何か嫌なことがあったんじゃないかって心配して私に相談を繰り返すくらいにはお人好しだ。名は体を表すという言葉がこれ以上似合う人を私は知らない。愛はまさに、無償の愛で溢れている。
一度、愛に聞いたことがある。
「なんで、そんなに妹ちゃんのこと気にかけるの?」
って。
そしたら
「だって、お姉ちゃんだから。れんのことはわたしが守らないと」
って答えが返ってきた。これは適わないなと思った。愛の世界は狭かった。その狭い世界は優しさと慈愛で埋め尽くされていた。
そりゃ妹ちゃんも、シスコンになるわって、納得するくらいに。その輝きがあまりにも眩しくて、素直になれず、目をそむけたくなる気持ちも分かるくらいに。そして、そんな仮初の拒絶にもめげずに注がれ続ける無償の愛を、少しだけ羨ましくなるくらいに。
愛の世界の片鱗に触れて、私は思った。私も愛の世界の一部でいたいって。愛の傍にいれば、少しだけ、他人や自分を愛することができるような気がしたから。愛の傍で妹ちゃんの話を聞いていれば、少しだけ人間の善性を信じることができるような気がしたから。
愛は私にとって救いだった。人間不信を拗らせた私も、愛のことだけは無条件で信用できた。
時折、思う。そんな私の愛への信頼はただの盲目なのではないかと。"良い子"というキャラクターの中に愛を閉じ込めているだけなのではないかと。そんな風に不安になるけれど、それが杞憂に終わるくらい、愛はいつだって優しくて、素直で、気遣いに溢れた素敵な女の子だった。
優しくて、綺麗で、すぐにでも壊れてしまいそうな、宝石でできた世界。これからの人生でもう二度と出会えないであろう、宝物のような友達。それが私にとっての愛だった。
だから、私は愛を守りたいと思う。
そして、最近、そんな大切な友達に降りかかってきた火の粉。私の推測が正しければ、その魔の手が今この瞬間も愛へと伸びようとしているかもしれなくて。私はそんな予感に突き動かされて、席を立ち、教室を出る。
廊下を見渡すと、遠くの方に並んで歩く、愛と妹ちゃんの不揃いな背中があった。そして、私の危惧を裏付けるように、そんな微笑ましい光景を恨めしげに見つめる視線も、また、存在した。
そんな少女の背の高さや、見覚えのある輪郭、あまりにもわかりやすい表情から、ある種の確信を持って私は話しかける。
「あなたが島本りらさん?」
少女は驚いたように、こちらを振り向いた。その素振りや、先ほどの表情だけで答え合わせには十分だった。
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