第13話 アカイロ?

 細かい家事を終えたわたしは、キッチンに戻り、電子レンジで順番にご飯を温める。温め終わったものからラップを外して、一人で座るには広すぎる食卓に料理を並べていく。一通りの準備ができたところで、手を合わせて、いただきますと言う。か細い声が部屋に響く。


 豚肉のトマト煮はいつも通りの味で失敗していないことに安堵する。できるだけ、よく噛むことを意識しながら、食べ進めていると、ひょこりとれんが顔を出した。


「れんもご飯?」

 咀嚼を終え、尋ねる。

「うん。ちょっとお姉ちゃんにお願いがあるんだけど」


 れんは顔を逸らしながら、呟く。お風呂上りで火照った頬が照明に照らされていた。


「どうしたの?」

「部活で、手首を怪我しちゃって。だから、ご飯を、食べさせてほしい」


 そう言って、右手を控えめに上げる。確かに、その手首には包帯が巻かれていた。


「ほんとだ、怪我してる。大丈夫?」

 わたしは思わず立ち上がり、れんの手を取ろうとする。

「だ、大丈夫だから!」

「ご、ごめん」


 すると、れんに強めに拒絶される。どうやら急に距離を詰めすぎたみたいだ。昨日の一件もあって、少しは反抗期も収まったかなと思ったけれど、この分だと、まだまだ壁は厚そうだ。そして、そんなわたしにご飯を食べさせてとお願いするくらいには、怪我の具合は悪いらしい。とても心配だ。


「それで、食べさせてくれるの?」

 れんは平淡な声で尋ねる。

「もちろん。れんは座ってて、ご飯の準備するから」


 そう言って、食卓に座るよう促す。れんは、促されるまま、わたしの隣の席に座った。てっきり、正面に座るものだと思っていたけど、確かにわたしが食べさせるなら、そっちの方が都合がいい。


 順番に料理を温め、ラップを外してれんの前に並べる。れんは大人しく準備が終わるのを待っている。

 わたしはご飯をよそったり、コップに麦茶を注いだりしながら、わたしの席の隣に食器が並ぶのをそわそわした気持ちで見ていた。れんと二人でご飯を食べるのは本当に久しぶりだ。れんの怪我が原因で転がり込んできた僥倖を不謹慎にも喜んでしまう自分がいた。


 そんな風に内心で感情を咀嚼しているうち、準備が整った。わたしは改まって席に着く。あまりにも慣れない作業に少し緊張していた。


「お願いします」


 れんはそう言って軽く会釈した。

わたしは頷いて箸を手に持った。


「何から食べたい?」

「お肉」


 わたしのすぐ隣で、れんは真っ直ぐにこちらを見つめている。その大人びた眼差しとこれから行う行為のギャップにどこか面映ゆい気持ちになる。そんな困惑はさておき、ひとまず注文通りに、豚肉をつまんで、左手をかざしながら、れんの口元に持っていく。

 れんはそれを難なく口に入れ、頬張る。


「おいしい?」

「うん」


 れんは頬張りながら素直に頷く。料理の感想をもらうことはないからそれだけで嬉しくなる。わたしは白ご飯やサラダを順番に差し出しながら、れんの様子を眺めていた。恋人のような絵面の中、わたしの胸を走っているものは、雛に餌を与える親鳥のような慈愛だった。形はどうあれ、自分の作ったものをれんが食べてくれて、その空間を共有できていることが嬉しかった。


「見すぎだから」

 れんに窘められた。

「ごめん」


 わたしは慌てて、視線を外して間を埋めるために自分の食事に手を付ける。しかし、暖かな心に釣られるように、口元が緩むのを止められなかった。


「なんで笑ってるの」


 不服そうな声で問われる。わたしは素直に答える。


「れんがわたしの作ったご飯を食べてくれるのが、嬉しくて」

「なにそれ」


 れんは困惑の表情を浮かべた。それから、なにか考え込むように俯いて。意を決したように、口を開いた。


「お姉ちゃん」

「ん?」


 一瞬、沈黙が走る。そして、それを切り裂いて、れんの言葉が鼓膜を優しく震わした。


「いつも、ご飯作ってくれてありがとう。料理も家事も、お姉ちゃんにばっかり任せちゃって、ごめんなさい」


 すぐ隣、わたしよりも大きな体。モデルさんのように整った表情。しかし、れんの纏う雰囲気は昔と何も変わらなかった。小さな子供のような瞳が縋るようにこちらを見つめていた。


「そんなの全然気にしないで。れんだって朝早くから部活頑張ってるんだから。でも、ありがとうって言ってくれたのはすごくうれしかった。こちらこそ、素直に伝えてくれてありがとう」


 そう言ってわたしはれんの頭を優しく撫でる。れんは恥ずかしそうに、横を向く。その拍子に視界に飛び込んでくるトマトと同じ赤色にこそばゆい気持ちになる。れんの反抗期に慣れすぎて、純粋に与えられ、湧いてくる愛情への適応が間に合わなかった。


 れんもそれは同じみたいで

「早く食べさせてほしいんだけど」

 口をとがらせ、そんなことを言う。


「はい、どうぞ」


 わたしはその可愛らしい照れ隠しに思わずにやけて、それを不服そうなれんの無言の圧力で咎められて、肩を竦めながら豚肉を口元に運んだ。


 そんなふわふわと落ち着かない空気の中で無言の時間が続いた。わたしは、間を埋めようと、部活で怪我をしたという手首を眺めているうちに思いついたことを尋ねる。


「そういえば、れんって島本りらさんって子と知り合い?」


 わたしの問いにれんは怪訝そうな表情を浮かべる。


「中学校からのチームメイトで、友達だけど、なんで」

 心なしか圧を感じて、今日の顛末を話すと色々とこじれそうに思えたので、ごまかした。


「ううん。この前廊下ですれ違って、れんと一緒にいる子だなと思って少しお話したから。ただ、それだけ」

「ふーん」


 少し要領の得ないわたしの答えにれんは心なしか不服そうな声で、呟いた。

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