第12話 ウタゴエ?

 先日購入したスポーツ栄養学の本を参考にしながら、メニューを考える。副菜や汁物は昨日お母さんが保存の利く形で作り置きしてくれているから、ひとまずは主菜さえ作れば問題はない。熟考の末、作り慣れている豚肉のトマト煮を作ることに決めた。ビタミンが豊富に取れて、疲労回復効果もあるから、部活終わりで寝不足のれんにはぴったりだ。ついでに、同じく寝不足のわたしにも。


 わたしは部屋着の上にエプロンを巻いて、帰りに購入した豚肉を取り出す。そこから、調味料など取り出して、手慣れた手つきで料理に取り掛かっていく。機械的に手を動かしながら、先ほどの友香ちゃんの言葉を考える。彼女はなにか、島本さんの言動について察しがついているみたいだけど、一体何に気づいたんだろう。というか、わたしの支離滅裂な説明で、仮説を立てられるだけでもすごい。さすが、勉強ができて、読書家なだけあるなと感心する。わたしも本はよく読むけれど、得意なのは現代文くらいで、彼女みたいになんでもそつなくこなすことはできない。


 告白され慣れている友香ちゃんなら、上手にお返事もできたのかな? 島本さんの切羽詰まった声や縋るような眼を思い出す。わたしはきっと、何かを間違えた。けれど、恋愛だとかそっち方面はからっきしなせいで、何が悪かったのかわからない。


 無力な自分にため息が出る。こんなんじゃ、れんやお母さんを守れるような大人になるなんて夢のまた夢だ。弱気が顔を覗かせる。一瞬それに呑み込まれそうになるけれど、友香ちゃんに励ましてもらったこととかを思い出して、気を取り直す。とりあえず今は、自分にできることをやらなくちゃ。


 そんな風に内心や、フライパンと格闘していると、引き戸がガラガラと開く音がした。足音が、いつもより心なしか速いテンポで鳴り、キッチンにれんが顔を出した。


「おかえり」

 わたしはれんの方へと振り向いて微笑みかける。いつもは頷いたりそっぽを向いたりするだけで何も返してくれないことがほとんどだけど、朝に続いて、れんの口は動いた。

「ただいま」

 小さな声でそう言って、押し黙る。そして、その場で立ちすくむ。その仕草はいかにも何か言いたげだった。


「どうしたの?」

 わたしはこまめに火加減や火の通り具合を確認しながら、れんに水を向ける。れんは一瞬、逡巡したあと、そっと尋ねる。


「お姉ちゃん、告白された?」

「うん。わたしなんかに、びっくりだけどね」

 れんは目を見開く。それから、再び口を開く。

「なんて答えたの」


 フライパンの上で、豚肉がジュっと音を立てている。わたしは、その質問に今更ながら、顔が熱くなる。恥ずかしさと居心地の悪さが半分ずつ同居しているみたいな。そんな状態で言葉を選びながら答える。


「えっと、すごく畏れ多かったんだけど、断ったよ。わたしには付き合うとかまだよくわからないから」

「そっか」

 いかにも興味なさそうに呟いて、れんは足早にキッチンを後にした。


 わたしは、その背中を見送って、それから程なくして、昨日のれんの言葉を思い出した。

「誰かと付き合うとか、ダメだから」

 あれは本当に何だったのだろう。昨日はその言葉に切実な物を感じたけれど、さっきのリアクションの薄さを鑑みるにわたしの勘違いかもしれない。そもそも、その記憶さえもてんぱっていたが故の聞き間違いかもしれない。


 そんな風に頭を悩ませているうちに料理が完成した。

 わたしは火を止めて、お皿に三人の分をそれぞれ取り分けて、ラップをかけて冷蔵庫に入れる。今日みたいにお母さんが仕事でいない日は、それぞれがそれぞれのタイミングでご飯を食べる。わたしとお母さんは、タイミングが合えば一緒に食べることもあるけど、れんは大抵自分の部屋で食べるから、顔を合わせて食事をする機会はあまりない。


 そんないつからか続く当たり前に少しだけ、寂しさを覚えたところで、ご飯にはまだ早い時間だから、他の軽い家事を済ませようと、動き出す。


 二階へと赴き、洗濯物を取り込んで、畳んで、クローゼットにしまう。それから、タオル類を片付けるため洗面所兼脱衣所へと向かう。


 脱衣所の扉は閉められていた。どうやら、れんがシャワーを浴びているみたいだった。微かに水音が聞こえた。わたしは、さっとタオルだけ片付けてしまおうと扉を開けて、中に入った。すると、耳を疑った。



 君が大人になってくその季節が 悲しい歌で溢れないように



 風呂場から聞こえるのは、シャワーの水音と、歌声。れんの口から出ているとは到底思えないご機嫌な歌声。それはもう、熱唱といってもいいくらいの声量で。れんは昔よくお父さんの車で流れていた曲を歌っていた。


 なにかいいことでもあったのだろうか? あの、いつもクールなれんと今響いている歌声は結びつかなかった。


 わたしは何か見てはいけないものを見てしまった気分でそそくさとタオルを片付け、風呂場を後にした。

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