第10話 マッスグ?
遂に訪れた昼休み。わたしは菓子パンをいつもより早く頬張る。時間の指定はされていないけど、相手をあまり待たせてもいけない。緊張でパンが喉に引っかかる。それを無理やりお茶で流し込んで、席を立った。
「いってらっしゃい、頑張って」
「ありがとう。いってくる」
友香ちゃんに見送られ、教室を出る。まだ昼休みの浅い時間で廊下に人はまばらだった。その中を、俯きながら歩く。鈍くうるさい鼓動に呼応して、とりとめもない考えが浮かんで消える。
体育館裏に現れるのはどんな子なのだろう。あの可愛らしくて丁寧な文字は女の子だと思うけど、男の子だったらどうしよう。どちらでも結局断ることに変わりはないけど、体格のいい男の子だったら怖いな。
というか、わたしは今から告白されるのか。いやそもそも、本当に告白なのだろうか。友香ちゃんは否定していたけど、告白じゃなく別で伝えたいことがあるとか、そういった可能性だってありえる。そもそも、あれがただの悪戯で、体育館裏に現れない可能性だってあるし。
そんな風に頭の中でいくつもの仮定を積み重ねながら、廊下を抜け階段と踊り場を下る。そこから冷水機の並ぶ渡り廊下も通り過ぎる。そんな一瞬の風景にも、れんのことを思いだしたりして、鼓動の鈍さを一瞬忘れたところで、思考の空白地帯に一人の少女の姿が飛び込んできた。
たどり着いた体育館裏、壁にもたれるように一人の少女が佇んでいる。地面をぼんやりと見つめながら黄昏るように。
そして、そんな彼女がわたしの足音に、顔を上げこちらを向いた。彼女の姿の全容が現れた。
彼女はれんに負けないくらいの長身で、理知的な顔をしていた。どこか愛くるしさの残るれんとは違い、その目は神経質に歪められ、放たれた視線はこちらを射抜くような力強さを孕んでいた。
わたしはその視線に覚えがあった。そして、その正体に、程なくして思い至る。
彼女は、昨日、こちらをじっと見つめていたれんのチームメイトだった。
「あの、待たせてごめんなさい。昨日、お手紙をくれた子で会ってますか?」
「はい。私は島本りらといいます。今日は川井先輩にお話があって来ました」
島本りらと名乗る少女は、ハキハキと言葉を紡ぐ。そこに疑問を挟む余地はない。そして、その緊張とは無縁な明快さに、わたしは一瞬、要件が告白でないことを期待した。しかし、次の瞬間、そんな期待は裏切られた。
「先輩、私と付き合ってください」
少しの揺らぎもなくまっすぐに言葉が鼓膜を震わした。あまりにも簡潔に直球に訪れたそれに、わたしは面食らってしまい、要領の得ない言葉が口から洩れた。
「あの、その、どうしてわたしと付き合いたいと思ったの」
「それは……一目見た時から、好きだからです」
島本さんは恥ずかしいのかわたしから目を逸らして答える。しかし、その頬は肌色を保ったままで、やはり大人でしっかりした子なのだなと思った。昨日のれんの朱色に染まった頬の色を思い出して、そう思った。そして、そんな子に自分が一目惚れされたのだという実感は湧かなかった。湧かなかったけれど、彼女の真っ直ぐな言葉に応える義務があるということだけは分かった。
わたしは、まっすぐ彼女の目を見つめて、告げた。
「ごめんなさい。気持ちは嬉しいけれど、わたしにはまだ、好きとか恋とかよくわからなくて、だからあなたとは付き合えない」
心のうちをそのまま伝えた。友香ちゃんに言われたみたいに、真摯に丁寧に。
しかし、まっすぐ伸ばしたはずの想いの線は震えた。それは目の前の島本さんに届く前に、途絶えた。しっかりしているはずの彼女が決壊した。
「あの。それじゃ困るんです。先輩が付き合ってくれないと困るんです! だってそうしないと、れんが……」
肩を掴まれ、ゆすられながら言葉を浴びせられる。それから、なぜかれんの名前を口走り、失念したかのように、目を見開いた。
「あの、違う。ごめんなさい……すみません。私はこれで」
先ほどの言葉をかき消すようにそう言って、島本さんは駆け足でわたしの前を立ち去って行った。渡り廊下を渡って、冷水機も通り過ぎて。
わたしはその背中を呆然と見つめる。彼女につかまれた制服の肩口は、皴になっていた。
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