第12話 突然ですが添い寝です

 ――早朝、私は宮殿の廊下を足早に歩いていた。

 先日も通った金の柱がある角を曲がり、甲冑の置物のまえを通り過ぎて奥へ進む。

 目指すは広間だ。飴色のピアノがあって、音楽家の演奏会がよく開かれる。グランシュヴァイクの舞踏会で演奏される宮廷音楽はここで生まれてきた。

 私は『皇都の春』という曲が好き。弾むようなメロディを聞くと、気持ちが軽やかに踊り出す。いつか舞踏会に参加することがあったら踊ってみたい名曲だ。


 窓から差す光が強くなってきた。急がなければ待ち合わせに遅れてしまう。

 今日は亡き皇帝のための鎮魂歌の打ち合わせがあるのだ。皇帝に目をかけられていたピアニストに作曲を頼んだ。

 広間の扉を開けて中に入る。

 アーチ状の高い天井と鏡のように磨き上げられた床、ドレープを描くカーテンがかけられた窓が一列に並ぶ広い空間には、誰もいなかった。


 今日、この時刻に試演奏するので感想を聞かせてほしいと言われたのに……。

 日差しが入り込む広間の中ほどまで進むと、背後から物音が聞こえた。

 振り返った私の目には、ナイフを振り下ろす宮廷服の男が見えた。

 ザクっと胸を刺された衝撃で床に膝をつく。

 手をついた床に映った姿は――


 

「アーネスト殿下っ」

 飛び起きた私は、真っ暗な寝室に荒い息の音を響かせた。

(予知夢だわ。アーネスト殿下が殺される夢だった)

 犯人はピアニストの男だ。斬りかかってくるときの悲壮な表情は、かなり思い詰めているように見えた。皇帝のための鎮魂歌が完成しなかったか、アーネスト殿下が皇帝を殺したという噂を聞いたかしたに違いない。

 ベッドから下りた私は、鍵を開けて扉を開け放った。照明が落とされて、月明りしか頼りにならない廊下を、ネグリジェに裸足という淑女にあるまじき格好で走っていく。

 目指す部屋は私の寝室からずいぶん離れた位置にあった。

 薔薇が彫られた扉を開けて、部屋の主が眠る大きなベッドに向かう。


「リヒト! リヒト、大変よっ」

 布団に手をついて揺さぶると、健やかな寝息を立てていたリヒトは眉をひそめ、私の腕をぐいっと引いた。

「きゃ!?」

 体制を崩した私は、あろうことか眠るリヒトの胸に倒れ込んだ。それでもなお起きてくれないリヒトは、私の体を抱き枕みたいにぎゅうっと抱え込んだ。

 甘える子猫みたいに私の頭に頬をすり寄せて、むにゃむにゃと寝言を言う。

「んん……姉さん、すき……」

 至近距離で吹き込まれた愛の言葉に、顔がカーッと熱くなる。

(ど、どうして動揺しているの、私は)


 ベッドで抱き寄せられたって相手は義弟。家族だ。好きの言葉は親愛以上の意味を持たないし、体が触れ合ってドキドキするような相手でもない。それが当たり前。

 それなのに胸が騒いで落ち着かない。リヒトが恋人にするように甘えてくるせいだ。寝ているときまで私をからかって、本当に酷い弟だわ。

「リヒト、起きて」

 トントン胸を叩いていたら、長いまつ毛が震えて紫色の瞳がのぞいた。リヒトは、腕のなかで困っている私に気づいても、まだ夢を漂っているかのようにぼんやりしている。

「……姉さん?」


「そうよ、私。予知夢を見てリヒトに知らせようと思って来たら、急に抱きしめられてびっくりしちゃったわ。寝ぼけていたのね」

 暗に離してほしいと訴える。しかし、リヒトは瞬きするばかり。私がここにいるのを信じられないようだったので、上体をほんの少し持ち上げて彼の顔をのぞき込む。

「リヒト?」

 アメジストにも見まがう美しい瞳は水面のように潤んでいた。嬉しくて感動しているみたい。でも同じくらい寂しそう。

 かける言葉に迷っていたら、リヒトは複雑な表情に微笑みを加えて、私の顔に指をすべらせた。


「すみません。姉さんと一緒に夜を過ごせるとは思っていなかったので、自分に都合のいい幻かと思ってしまいました」

「幻を見るほど私と眠りたいの?」

「俺も男ですから。愛した女性を――姉さんを抱きしめて眠れたら、どれだけ幸せだろうと毎晩のように焦がれているんですよ。姉さんが腕のなかにいるなんて、夢みたいだ」

 幸せそうにはにかまれて、尋ねた私の方がひるんでしまった。

 言葉も態度も本気で私を愛しているように錯覚するけれど……。


(そんなことあるわけないわ)

 我がまま放題に振り回した私を、リヒトが好きになるはずがない。

 大好きも、愛しているも、全ては私をルーデンベルク公爵家に閉じ込めて悲惨な人生を遅らせるための嘘に違いない。

「冗談はよして。今はそれどころではないのよ」

 私は、リヒトの手を払いのけて、強引に彼の腕を抜け出した。起き上がった彼は、シュンと肩を下げて「手ごわいな、姉さんは……」とボソボソ言う。

 意味はよくわからないが追及している時間が惜しい。


「アーネスト殿下が宮廷音楽家にナイフで刺される夢を見たの。早朝の宮殿、飴色のピアノがある演奏用の広間で事件は起こるわ」

「早朝ですか……」

 リヒトは窓の方に視線を向けた。厚いカーテンの隙間から白んだ空が見える。もうじき太陽が昇る。もしも事件が今日起こるなら、おちおちしていたら間に合わない。

「アーネスト殿下を助けに行きましょう」

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