第10話 おびえる心に温かなスープを
「ルーデンベルク公爵家に?」
不審そうなアーネスト殿下に、私は大きく頷いた。
「我が家であれば安全な食事をお出しできます。ルーデンベルク公爵は亡き皇帝陛下の廷臣であるがゆえに、使用人や下男にいたるまで身辺を洗い出して汚点がない者のみを雇い入れていたのです。宮殿と違って、我が家には皇太子に毒を盛る者はおりません。ご不安なら、私とリヒトで殿下が口にする料理をお作りして、毒見もいたします」
「それはありがたいが……いいのか?」
殿下に視線を送られたリヒトは、ふいっと明後日の方向を向いた。
「姉さんがそうしたいなら俺もお手伝いするまでです。このままアーネスト殿下が餓死されるのを見殺すわけにもいきませんので」
「お前は本当に可愛くないな。だが助かる。ルーデンベルク公爵家に案内してくれるか。念のため変装していく」
赤を基調とした宮中服を脱ぎ、下男のような粗末な服に着替えたアーネスト殿下を連れて、私たちはルーデンベルク公爵家にとって返した。
家令にだけ事情を告げて、そのまま厨房へと向かう。
(殿下自身が作るところを見張ってくだされば、安心して食べられるはずよ)
毒を盛る可能性があるのは、料理を作っている最中と皿に盛りつける際、また食事を運んでいる途中だ。料理と盛り付けは私とリヒトが担い、運ぶ必要がないように厨房にテーブルセットを準備して召し上がっていただくことで、毒の混入を防ぐ。
白いエプロンをつけた私は、地下の食糧庫を吟味した。
ひんやりした空間には、日持ちのする根菜や新鮮な葉野菜、チーズが並べられていて、今朝届いたばかりのミルクやベーコンもあった。
「アーネスト殿下は、しばらくちゃんとした料理は召し上がっていないわ。フルコースのような重いメニューは胃もたれしてしまうから、今日はあっさりした料理がいいわね」
「何を作るか決まりましたか?」
階段を降りてきたリヒトは、紺色のエプロンを身につけていた。騎士服を脱ぎ、シャツを腕まくりしている。顔に似合わず筋肉質な腕を見たら、なぜだか胸がドキッとした。
思わず口をたわめたら、リヒトに目ざとく見つけられる。
「姉さん?」
「なっ、なんでもないわ。今日はミルクスープを作りましょう!」
ボウルに根菜とベーコンの包みを入れて階段を上がる。リヒトにはミルク缶を持ってもらった。後ろから付いてくる彼の気配に、呼吸の深さに、彼の成長を感じて心が落ち着かない。
(リヒトったら、いつの間に大人になっちゃったのかしら)
出会ったころのお人形のようなイメージを捨てられずにいたけれど、リヒトは私が考えている以上に大人の男性なのだった。急に求婚されたのが恥ずかしくなってくる。
リヒトの目的が復讐なら、もう十分に達成していると教えてあげたい。だって、私はこんなに翻弄されているんだから。
厨房で待っていたアーネスト殿下に材料を広げ、異変がないか確認してもらってから調理に入った。野菜を刻み、にんにくを漬けたオリーブオイルで炒めてから水を加え、灰汁を取りながら煮込む。淡く色づいたらミルクを加え、塩で調味して最後に溶かしバターを加えて完成だ。
「お手製のミルクスープです。熱いので気をつけてどうぞ」
お皿に盛りつけて、簡易テーブルについたアーネスト殿下に出す。殿下は湯気のたったスープを見つめて喉を鳴らした。
「殿下、俺が毒見をしますのでお待ちください」
リヒトは、純銀のスプーンでスープをすくって口をつけた。味わってこくんと飲み込んだ後、ほうっと頬を染めてはにかむ。
「美味しい。それに、体にも異変はないようです。姉さんが料理に毒を入れるはずはありませんが、殿下が食べても問題ありません」
「そうか」
ほっとした様子でスプーンを握った殿下は、恐る恐るスープを口に運んだ。異変がないか舌で探り、ぴくんと耳を動かして飲み込む。
「……美味い」
ぼそっと呟き、今まで我慢していた食欲を解放したように夢中で食べていく。
「たくさんありますから、好きなだけ食べてください」
私が鍋をかき混ぜると、手を止めた殿下の瞳がうるんだ。
「まともな食事は死ぬまでできないと思っていた。イライザ殿、本当にありがとう」
口を拭って立ち上がった殿下は、私の手をとって口づけた。皇太子殿下という高貴な方に、紳士の礼を尽くされて、私は固まる。
すると、リヒトが仇敵でも見つけたように殺気立って、腰にはいた剣に手を当てた。
「殿下、誰の許可を得て姉さんに触れているのですか?」
「イライザ殿に礼をするのにお前の許可はいらないはずだ。そんな風に悪態つくなら、俺がお前の姉さんを嫁にしてしまうぞ」
怒るリヒトとからかう殿下。二人に挟まれているのが気まずくて、私は「家令に報告してきます」と言づけて厨房を飛び出した。
(リヒトは不敬が過ぎるわ)
以前なら、お父様に告げ口して叱ってもらっていた。だけど、アーネスト殿下に毒の心配のない食事を提供できて上機嫌な私は、たまには見逃していいかもと思った。
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