第9話 皇太子アーネストの嫌疑
「ねえ、本当にここに入っていいの?」
地味な灰色のドレスの裾を引きながら囁く私は、泥棒みたいに辺りを見回した。
「問題ありません。ルーデンベルク公爵家の使者ということで話は通っていますので」
答えてくれたのは隣を歩くリヒト。彼は、騎士服の胸につけた徽章に恥じない堂々とした足取りで私をエスコートしてくれる。
ここはグランシュヴァイク皇国でもっとも壮麗だと名高い宮殿だ。外観や内装にふんだんに金が使われていて、屋根のうえにある聖なる獅子の彫像すらも金ぴかだ。
金の柱と美しい花の絵画が飾られた廊下には人気がない。たまに宮殿警備の近衛騎士が歩いてきては、私の姿を見て敬礼する。
いや、見られているのは私の手を引くリヒトの方だ。
(教会を追い出された元聖女なんて、もはや敬う必要のない相手だわ)
私は皇帝の死を予知できなかった。そんな人間が、皇帝が住んでいた宮殿を歩いていいのだろうか。咎められないか心配していたが、誰にも妨害されなかった。
リヒトはお目当てらしい部屋につくと、警備に当たっていた近衛のチェックを受け、私も刃物などを持っていないか確認されたうえで中に通された。
「こんなときに誰だと思ったら……お前か。リヒト」
窓際に立ち、カーテンを片手でめくって外を確認していた男性が振り返る。
宮殿を飾る装飾品に負けないきらびやかな金髪と彫りの深い目元の奥にある金茶の瞳、何時でも余裕をたたえた顔つきは見間違えようもない。
私はとっさにスカートをつまんで姿勢を低くした。
「お目にかかれて光栄です、アーネスト皇太子殿下!」
部屋にいたのは、皇太子アーネスト・グランシュヴァイクだった。
若々しい顔つきと引き締まった体つきは御年三十二歳とは思えない。側妃の子ではあるが、皇帝の長子で継承権は第一位。すでに立太子を終えてから七年も経つ。
国民の人気も高く、必ずや輝かしい未来を作り上げてくれる期待を込めて、グランシュヴァイクの若き獅子とも呼ばれていた。
私は預言の聖女として国の儀式に何度か出席していた関係で、アーネスト殿下とは面識がある。とはいえ、ケルビン様に会話を禁じられていたので挨拶くらいだ。
(皇太子殿下のお部屋を訪問するなんて聞いていないわ!)
わかっていたら、もっと格の高いドレスで来たのに。
恨みがましくリヒトを見ると、彼は敬礼もせずに突っ立っている。
「お久しぶりです、アーネスト殿下。俺と姉さんの結婚のため、さっさと自白してくれませんか。皇帝殺しを」
冷ややかな視線で問いただされて、アーネスト殿下は真顔になった。
(まさか、皇太子殿下が皇帝陛下を刺殺したの!?)
次の皇帝の座を約束された方がどうしてと戸惑っていたら、アーネスト殿下は「結婚……?」と呟いた後で、はっと短く笑った。
「俺は殺されることはあっても、殺すことはないってお前も知ってるはずだ」
「では、誰が殺したんです?」
「それがわかったら苦労はしてない」
殿下は窓際から離れてドガッと椅子に腰を下ろし、机に長い足をのせた。私が思っていたよりもお行儀が悪い人のようだ。
目を丸くしていたら、逆に不憫がるような目で見られてしまった。
「リヒトの姉君もこんな湿気たところに連れられて可哀想にな。宮殿は無駄に広くて疲れただろう。座ってくれ」
「し、失礼します」
別珍を張ったソファに腰かける。ふかふかの感触に表情を緩めれば、リヒトの顔にも温度が戻った。
私たちの顔を交互に眺めて、アーネスト殿下はため息をついた。
「お似合いではあるが、あのルーデンベルク公爵が姉弟の結婚を認めるはずがない。俺を自白させようとしたってことは、皇帝を殺した真犯人を見つけたら許可するとでも言われたか?」
「だいたいそんなところです」
ぶっきらぼうに答えて、リヒトは机に積み上がっていた書類を手に取った。
紙の束は製本されている物もいない物も合わせて、数十センチも折り重なっている。
「これは取り調べの記録ですね。アーネスト殿下は、犯行時刻には寝室でお休みになっていたと従者が証言している。アリバイとしては弱いですね。共寝する女性くらい作ればよかったではありませんか」
「うるさい。いまお妃探ししてる最中だったんだ」
アーネスト殿下はこの年では珍しく結婚していない。数年前に、さる貴婦人と大恋愛の末に別れるはめになり、以降は特定の女性とは親密になっていないようだ。
友好のために諸外国から王女を娶るという話が聞こえてきたのは今年の初め。しかし、その計画もとん挫するだろう。皇帝が崩御した場合、国は一年の喪に服すことになる。この期間は、皇族の婚約や結婚式も延期するのが普通だ。
リヒトは調書に一通り目を通し、パタンと閉じて書類の山の上に置いた。
「犯人はわかりませんが、継承問題を長引かせられると俺が困ります。さっさと即位してください」
「だ・か・ら! すんなりそれができたら苦労してないんだよ」
ガシガシと頭をかきむしって、殿下は椅子の背にぐってりもたれた。
そのまま腕を伸ばして後ろの棚から引っ張り出した小瓶をあおり、本に見える小箱からクッキーを取り出して口に入れる。
「皇帝殺しの嫌疑がかかった皇太子を即位させることはできないと、戴冠式を取り仕切る教会側が言ってきた。おおかたケルビンの策略通りだろうな。この猶予期間中に俺を亡き者にしちまえば皇帝を継ぐのはあいつしかいない。おかげで、俺は満足に食事も口に入れられない」
おやつを食べていると思ったら、これは殿下の貴重な食事だったようだ。
宮中では、料理に毒を紛れ込ませて政敵を殺害する事件がたびたび起きている。殿下も毒見役を置いていたが、すでに三名が亡くなっていると言った。
「これ以上、人死にを出すのはごめんだ。俺が食べるのを我慢すればいい」
殿下はカラカラと笑った。強がりの空笑いだと誰が見てもわかるような、悔しそうな笑顔で。
こんな表情、一国の皇太子にさせるべきじゃないわ。
胸を打たれた私は、思わず立ち上がっていた。
「宮殿の料理人が信じられないなら、我が家にいらしてください」
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