第8話 義弟は片思いをこじらせています
「……何を笑っているんだ?」
公爵に尋ねられてリヒトははにかんでいた頬を押さえた。
いけない。イライザのことを思うと表情が勝手に緩んでしまう。
「出会ったときの姉さんを思い出していました。俺をルーデンベルク公爵家にふさわしい子どもにするために付きっきりで世話を焼いてくれて、それが俺はすごく嬉しかったんです。次第に、彼女のためなら何でもしてあげたいと思うようになりました。今は守りたい気持ちが強いです。それが夢中であるかのように見えるのだと思います」
「ただ守るにしては過保護すぎるように思えるよ」
「そうですか?」
そうはいっても、イライザに近づく者は全て警戒対象なのだから仕方がない。
イライザに危険が及ばないよう、彼女の外出先ではエスコートが欠かせない。身辺を守るだけでなく、馬車の乗り降りで転ばないよう手を貸し、足が疲れないよう座る椅子を準備して、美しい衣装が汚れないように食事を運ぶこともある。
家にいるときも安心はできない。届く手紙は渡す前に開封して、イライザを傷つける言葉が書かれていないか確かめるし、夜中に不届き者が侵入しないように部屋には鍵をかけさせ、深く眠っているか確認しに寝顔を見に行く。
どれもリヒトにとっては当たり前の行動だ。
「……特に変わったことはしていません。ですが、ジョシュア兄さんにもほどほどにした方がいいと言われました」
「私も同じ思いだよ。君の気持ちは、騎士に召し上げられる際にも聞いているがね」
一般的に、騎士見習いは従騎士という修業期間を経て騎士に任命されるが、リヒトは修行を飛ばして叙任された異例の騎士だ。
これはルーデンベルク公爵家にとっても栄誉あることで、公爵はリヒトに叙任の記念に何でも望む物を与えると言ってくれた。
――では、姉さんと……イライザと結婚させてください。
正直に思いを打ちあけたリヒトに、公爵とジョシュアは大いに戸惑った。
彼らはリヒトを完全に家族の一員のように考えていたから、まさかイライザに懸想しているとは思いもよらかなかったのだ。
しかし、リヒトは違った。グランシュヴァイク皇国の皇女から生まれた皇族だと強く自覚していたのだ。ルーデンベルク公爵家と血のつながりはないのだから、姉と慕うイライザを本心では愛しいと思っていても問題はないはずだ。
皇帝の座に興味はない。豪華絢爛な宮殿での暮らしも、上流階級での華やかな交流にも憧れていない。皇族の矜持を捨てないのは、イライザを諦められないからだ。
じっと答えを待つリヒトに、公爵は一言「認められない」と告げた。
「父さんは、俺が皇族だと表明すれば無駄な争いが生まれるとおっしゃった。皇妃が俺の命を奪いに来る。だから、名乗り出てイライザに求婚してはならないと」
亡き皇女に託されたリヒトの身の安全を考えれば、公爵の返答は道理にかなっている。もしもイライザに懸想していなかったら、リヒトとしてもこのまま一生をルーデンベルク公爵の妾の子として終えてもかまわなかった。
だが、リヒトはイライザを愛してしまった。
彼女の弟として振る舞う限り、リヒトは彼女を手に入れられない。この期間が長ければ長いほど、彼女を他の男に奪われる可能性があがる。
もっとも危険視していたのは第二皇子のケルビンだ。あの男は聖女であるイライザを自分の所有物のように連れ歩いていて、いずれ結婚の話が持ち上がるだろうと噂になっていた。
それを聞いたリヒトは当然焦ったが、公爵が皇帝にやんわりとイライザを皇子に嫁がせる気はないと牽制しているのを知っていたので気持ちをこらえられた。
それでも、儀式で寄り添う二人の姿を見るたびに、腸が煮えくり返った。短気に暴れそうにもなった。殺気に気づいた騎士団長が押しとどめてくれなければ、ケルビンの奥歯は四本とも折れていただろう。
あれだけイライザを寵愛していたケルビンは今、皇帝の死を預言した元修道女のベルという少女を連れ歩いていて、周囲に結婚すると漏らしているようだ。
聖女の地位を剥奪されて実家に戻ってきたイライザには、まだどこの家からも縁談が着ていない。
今こそ、リヒトがイライザに求婚する絶好の機会である。
「俺は姉さんを――イライザを諦めません。ルーデンベルク公爵家にご恩はありますが、いずれ皇族だと明かして彼女と結婚します」
「認められない。宮中は継承問題で荒れているんだ。君がいくら騎士団で剣の腕を磨いても、皇族だと名乗りをあげれば命を狙われてしまう」
苦渋の表情で首をふる公爵は優しい人だ。愛娘を狙うリヒトを、お前なんか我が子ではないと追い出して見殺しにしたっていいのに。
リヒトの母に託された命を守り、そして娘イライザの心を傷つけまいと、必死にリヒトを諫めようとしている。
養父は不変を願っている。イライザは家で守られ、リヒトは出自を隠したまま、これまで通りの家族であってほしいと。
だが、それではリヒトの恋は叶わない。
いい子でいたいが、こればかりは従えない。
「それでは、継承問題を俺が解決します」
リヒトの案に、公爵の眉間からふっと力が抜けた。
「君が、解決する?」
「そうです。皇太子アーネストか、第二皇子ケルビンかで宮中が二分化されている現状、俺が亡き皇女の息子だと名乗り出ればさらに荒れるでしょう。いきなり現れた第三勢力を抱え込んでいたのが殺された皇帝の廷臣ルーデンベルク公爵となれば、わざと波風立てる者もいるはずです。出方を間違えれば、俺も公爵家も歴史の闇に葬られます」
皇帝の死によって貴族間のパワーバランスは崩れ始めている。ここでどのように動くか誰を信用するかによって、次の治世下における立ち位置が決まるのだ。
新たな皇帝の廷臣になるために最も確実な方法は、自分が後継する者を即位させること。皇太子アーネストに皇帝殺しの嫌疑をかけて得する人間たちのせいで、公爵もジョシュアも寝る間も惜しんで働かねばならない。
悪い人間が得をして、誠実な人間が苦労している。こんなのはおかしい。
「俺が皇帝の死の真相を解き明かし、次の皇帝を即位させた後ならば、皇族だと名乗ってイライザに求婚しても何ら問題はない。違いますか?」
「違わないが……。私は君に危険な目にあってほしくないんだよ、リヒト」
心配そうな公爵の視線にたしかな親愛を感じて、リヒトは微笑む。
(天国のお母さん。俺は、本当にいい家に拾われましたよ)
公爵もジョシュアもイライザも。全てがリヒトの宝物だ。
今回の件で傾きはじめた公爵家を救うのは、ひとえに恩返しの意味もある。
「大丈夫ですよ、父さん。俺が皇族であることは、新たな皇帝が即位するまで決して誰にも漏らしません。それに俺なら、重要人物の本音を聞けると思いますから」
宮殿にいるとある男を思い浮かべながら、リヒトは冷めた紅茶を飲み干した。
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