第7話 公爵家に引き取られる前

 イライザはリヒトが妾の子だと思い込んでいるが、実は、リヒトの母は暗殺された皇帝の妹だった。その皇女は近衛騎士と道ならぬ恋に落ち、駆け落ちして生まれたのがリヒトだ。

 皇帝には側妃から生まれた長男アーネスト、皇妃の子どもである次男ケルビンがいたので、継承順位は三位となる。

 皇族として敬われる人生を約束されていたが、母はリヒトの存在を隠した。気性の荒い皇妃に見つかれば何をされるかわからなかったからだ。


 田舎の小さな家で家族三人、身を寄せ合った暮らしは貧しくても幸せだった。

 両親が立て続けに流行り病で亡くなるまでは。

 遺されたリヒトは、雨に打たれながら一人で墓地に穴を掘って、家にある一番綺麗なシーツでくるんだ両親を埋めた後、その場で動けなくなった。

 手に負えないほどの悲しみが体を支配していた。頭のてっぺんからつま先まで、ずっしりとした疲労感が詰まっていて指一本動かせない。両親の亡骸が目に見えている間は涙が止まらなかったのに、目が乾いて仕方がなかった。


 目蓋を閉じると自動的に過去が流れ出してくる。

 最初に熱を出したのはリヒトだった。都では流行り病の薬が庶民でも買える値段で流通していたが、田舎ではまだ高値で取引されていた。家の金をかき集めてやっと買えた一人分の薬を、両親はリヒトに飲ませてくれたのだ。二人にも病はうつっていたのに。

 だから、父と母が死んだのは自分のせいだ。

 後悔と罪悪感が胸の奥でうずを巻く。それなのに涙が出なかった。泣けないことがこんなにも苦しいのだと、まだ幼いリヒトは知らなかった。


 土のうえで体を丸め、獣のようにうなっていると、墓地に上等な馬車が走り込んできた。

 従者を従えて王様のように降り立った男性は、リヒトのまえで足を止め、両親を埋めた辺りの黒々とした土を悲しそうに眺めた。

「間に合わなかったか……」

「あなたは?」

 リヒトは土に濡れた顔を上げると、その男性は手を差し伸べてきた。

「私はルーデンベルク公爵だ。ご両親に頼まれて薬を届けにきたんだよ。リヒト君」


 公爵に手紙を送ったのは母だった。家族全員が流行り病にかかった。せめて息子だけでも助けてやりたい。内密に都から薬を運んでくれないだろうかと、皇女時代に親交があった公爵に隠棲している田舎の住所を教えたのだ。

 馬車に乗ったリヒトが見たのは、たくさんの薬だった。

 これだけの薬があれば両親は助かったかもしれない。運命の非情さを感じたら、枯れ果てた涙がぽろっとこぼれた。

「この薬を、村の人に配ってあげてください。まだ苦しんでいる人が大勢いるんです」

 泣きながら頼み込むと、公爵はそうすると約束してくれた。

 村人に薬を渡した公爵は、都までの道を走りながらたくさんのことを教えてくれた。


 リヒトが実は皇女の子どもで、皇帝を継ぐ権利を持っていること。そのせいで命を狙われるかもしれないので、両親は田舎に身を隠していたこと。そして、今日からは公爵の愛人の子ということにして保護すること。

 親を亡くした喪失感から抜け出せないリヒトにとって、公爵の話は夢物語のように現実感がなかった。けれど、馬車が到着したお屋敷を目にして夢は終わった。

(お城みたいだ)

 地主の家だってここまで立派ではなかった。

 豪華な部屋に通され、お湯で体を清められ、上等な衣服に着替えさせられると、いよいよ公爵の話は現実なのだと思い知らされた。

 公爵には実子が二人いるという。貴族の子息が、とつぜん現れた父の愛人の子を受け入れてくれるだろうか。

 虐げられるのではと身を固くするリヒトは、公爵に連れられてジョシュアとイライザが待つ部屋に入った。


「はじめまして、リヒト。僕はジョシュアだよ。仲良くしてね」

「私はイライザ・ルーデンベルクと申します。お見知りおきを」

 兄ジョシュアの印象はひ弱だった。威張りちらす地主を見ていたせいか、やけに庶民的で驚いた。だが、娘であるイライザはツンとした表情を崩さない。

(どうしよう……)

 リヒトは丈の長いシャツの裾を握りしめた。頭から血の気が引いて、指先が震える。

 何の反応も示せずにいたら、やっぱりイライザは怒り出した。

 彼女は言う。リヒトは今日から、ルーデンベルク公爵家の子どもなのだと。だから、貴族らしい振る舞いをしなければいけない。

 それが上手にできたら、大好きになってあげると。


「大好き……」


 その言葉を聞いた瞬間、リヒトはこの家に居場所を見つけたような気がした。

 大好きは、両親から何度も言われた言葉だった。リヒトへの愛を惜しみなく与えてくれた母と父は、毎日のようにリヒトにそう伝えてくれていたのだ。

 両親と同じ〝大好き〟を与えてくれる人が、ルーデンベルク公爵家にはいる。

 イライザ・ルーデンベルク。彼女は言った通り、リヒトが貴族らしく振る舞うと大仰なほどに褒めてくれた。「大好き」だと何度も何度も言ってくれた。

 リヒトが彼女を盲愛するようになるまで、さほど時間はかからなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る